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8月, 2016の投稿を表示しています

三宅洋平は権力にすり寄る節操なしではない

2013年、2016年と過去二度の参院選に立候補したミュージシャンの三宅洋平氏ですが、参院選直後、沖縄高江でのヘリパッド建設が強行される中で、安倍総理夫人昭恵氏との会食、そしてその後の昭恵氏の高江訪問へ同行したことが物議を醸しています。 先の参院選での三宅氏の支持者からも、こうした三宅氏の行動を、沖縄の気持ちを踏みにじり、安倍政権に擦り寄るものだという批判の声が上がっています。 また、最近 「週刊SPA!8/30号(8/23発売)」に、安倍昭恵氏との対談が出た こともあり、三宅氏が権力に迎合しているとの主張がネット上で散見されます。 しかし、彼は「選挙フェス」においても、対立ではなく、対話を呼びかけていたわけですから、安倍昭恵氏と対話していることをもって、権力に迎合しているというのは、拙速な判断に思えます。 ぼくは残念ながら三宅氏とお会いしたこともなければ、生で彼の演説や歌を聴いたこともありません。 けれども、彼の「選挙フェス」の動画を見て感じるのは、彼が「反戦・反原発」という確固とした主張を持っている限り、保守側に寝返るわけがないし、保守側が彼を取り込みようもないということです。 とはいえ、三宅氏の言説には、支持者の混乱を招きかねない表現が散見されます。 たとえば、昭恵氏と会食した際に、安倍総理に電話で言ったという「国を思い世界を憂う国士として同じ気持ち」という発言です。 この発言だけを単独で考えたならば、安倍政権の「暴政」を許していると思われても仕方がないでしょう。 さらに、三宅氏は、昭恵氏との会食についての発言に対して「幻滅する」と言われると、それに対して「いくらでも幻滅すればいい」と答えています。 ミュージシャンとファンとのやりとりなら、これでもいいかもしれませんが、仮にも選挙に立候補したものとしては、「与党にすり寄るのも俺の勝手だ」と思われかねない発言をすることは、失言と言わざるを得ないでしょう。 三宅氏は政治家の卵として、こうした発言には十分注意をしていくことが必要でしょう。 同じ流れのツィートで三宅氏は、「私は間違っても自民党改憲草案にほだされるような事はありません」と明言していますから、全体としては、彼の主張は辻褄が合っているのですが、彼の人物をよく知らない人から見れば、当選すると自民党に寝返ってしまう

安倍マリオをぶっ飛ばせ、あるいはぼくらの未来への責任

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[2017/03/17追記: 森友学園問題がメディアでは取り沙汰されていますが、それも所詮「共謀罪」法案通過のための隠れ蓑にすぎないのかと思われる昨今です] 巷では、安倍総理演ずるところの安倍マリオなるキャラクターが話題を呼んでいるようです。 [2016/12/21追記: 安倍マリオもすっかり「昔」の話になってしまいました] どこかチャップリンの「独裁者」を思わせないこともない、この「悪ふざけ」のためにブラジルのリオまでジャンボジェットを飛ばす安倍総理には、ついつい怒りも沸こうというものです。 けれど、安倍総理に対して怒ってみても、そいつはエネルギーの無駄というものでしょう。 もちろん、ぼくは安倍総理が「素晴らしい」とか思ってるわけじゃありません。 第二次安倍政権は、福島第一事故後の、環境汚染、経済的後退、政治的混迷の中から生まれてきた、「危険」な「全体主義」政権だと思っています。 とはいえ、その政権の旗印になっている安倍晋三氏という個人に対して、いくら怒りをぶつけたところで、エネルギーの無駄遣いにしかならないだろうから、「せっかくのそのエネルギーを有効利用したらいいじゃないか」と思うのです。 沖縄高江でのヘリパッド建設の強行を見ても、経産省前の反原発テント撤去を見ても、安倍政権のやっていることは、弱者や少数者の権利をないがしろにする「全体主義」的政策にほかなりません。 しかし、安倍総理と言えども、個人として好き勝手にやっているわけではないでしょう。 安倍総理にしてみれば、合州国の意向に沿う範囲内で、彼なりに国益を考えてやっているのでしょうし、けれども、えげつないやり方をきちんと見れれば、その政策を批判することは当然です。 けれども、「怒りの罵声」を浴びせるようなやり方をいくらしたところで、あちらとしては痛くも痒くもないでしょうし、総理大臣自らが国会で野次を飛ばすという、相手の情けないレベルにまでこちらの立場を引き下げることにしかなりませんから、決してほめられるやり方とは言えないでしょう。 結局のところ、怒りのエネルギーを直接相手に向けても葛藤は深まるばかりなのです。 かといって、怒りの感情を押し殺すことにも益はありません。 ですから、怒りという自然な気持ちを押し殺すことなく、その怒りのエネルギーを、現在の

沖縄高江ヘリパッド反対運動と「子どもの盾」

沖縄・高江のヘリパッド建設反対運動の現場に、子どもを連れてきていた人がいることが、ネット上で取り沙汰されています。 「子どもを反対運動の道具に使うとはなにごとだ」と言い、これを「子どもの盾」とまで言う人がいます。 確かに、安全を確保できるとは限らない反対運動の現場に、子どもを連れて行ったことは、褒められるべきことではないでしょう。 しかし、子どもを連れて行った人が、子どもを反対運動の道具として連れて行ったと主張するのは、乱暴な意見というべきではないでしょうか。 子どもを連れていかざるを得なかった人の事情を想像することもせずに、「反対運動の現場に子どもがいた」ということだけを取り上げ、そのこととネット上の断片的な情報とを組み合わせて、反対運動は「子どもを道具に使う」ような非人間的なものであると主張し、さらにはそれをテロリズムと同一視するような言動は、自由な言論を保障するという民主主義の根本を危うくするものだと考えます。 しかしながら、こうした問題は、ネット上で「反対運動=テロリズム」といった「過激」な主張をする方々を責めたからといって解決する問題ではありません。 ネット上で「過激」な発言をし、「鬱憤」を晴らしている方々も、実のところ、現在の日本に蔓延する様々な「抑圧」の犠牲者であると考えられるからです。 「過激」な発言をし「鬱憤」を晴らす様子は、「いじめの構図」そのものです。 抑圧的状況の中で、自分がいじめに遭わないために弱者をいじめることに加担して、自分の身を守っているのが実情なわけですから、いじめをする人たちを責めるのではなく、この「いじめの構図」をひっくり返す必要があります。 抑圧されるもの同士がいがみ合う「いじめの構図」をひっくり返し、抑圧的状況を変えていくためには、多くの人々が立場の違いを乗り越えて、手を取り合うことが必要です。 もちろん「いじめの構図」をひっくり返すと一言で言っても、それは簡単なことではなく、一朝一夕にできることではありません。時間をかけて少しずつ前進していくしかないことでしょう。 その第一歩としては、「いじめに加担している人たちも被害者なのだ」ということに気づくことが重要です。 急速に戦争国家化が進む日本において、この強力な流れを一気に変えるような劇薬は存在しないように思えます。 とすれ

ホメオパシーに関連して日本のジャーナリズムの問題とカルト的思考、そして三宅洋平

日本語版Wikipedia に 「山口新生児ビタミンK欠乏性出血症死亡事故」 と題する記事があります。 以前書いた記事 「三宅洋平、ホメオパシー、カルト、民主主義」 でも触れましたが、ホメオパシーを実践する助産師が、出生直後1ヶ月以内に計3回ビタミンKを経口投与するよう厚生労働省が指導しているにも関わらず、それを怠ったために新生児が死亡したとされる事故です。 前回の記事では、Wikipedia の記述に沿って、助産師に問題があったように書いてしまいましたが、死亡事故の原因は分かっていないし、助産師の責任についても明らかではない、とするのが適当であると考えるに至りました。 というのも、この事故については、朝日新聞が「生後2カ月の長女が死亡したのは、ホメオパシーという民間療法をする助産師が適切な助産業務を怠ったためだとして、山口市の女性(33)が助産師を相手取り、約5600万円の損害賠償を求めた訴訟で、助産師側が女性に和解金を支払うことで合意したことが21日、分かった」と報道していますが、和解で解決したため、裁判所は死亡原因についても、助産師の責任についても判断を下していないからです。 また、日本におけるホメオパシーの普及を推進している日本ホメオパシー医学協会は、 朝日新聞によるこの事件の報道について、死亡原因がホメオパシーにあるかのような記事を掲載する、その姿勢を批判しています。 この批判を読む限り、日本ホメオパシー医学協会の主張はもっともなものと考えられます。 日本のジャーナリズムには、「問題」を「創作」する「悪い癖」がないでしょうか。 一方、Mochimasa 氏という方が、この日本ホメオパシー医学協会の主張について、ご自分のブログで批判していらっしゃいます。 [ 山口ホメオパシー訴訟は和解で終結。しかし、ホメオパシー団体は"言いたい放題" ] こちらの記事は「批判のための批判」といった趣きがあり、もっぱら日本ホメオパシー医学協会に対する「攻撃的」な言辞に終始している感があります。 しかしながら、こちらで引用されている日本ホメオパシー医学協会会長の由井寅子氏や、日本助産師会理事の神谷整子氏の主張を見ると、新生児に対するビタミンKの投与について否定的な見方をしており、これがただちに上記の事故の死亡原因となるわ

夫婦茶碗、男女平等、文化相対主義

Twitterでシュナムル氏が、次のように述べています。 フランス人の友達の結婚祝いに夫婦茶碗を送ったら新婦の不興を買ってしまったという失敗話を同僚から聞いた。もちろん「なぜ妻の方が小さいのか、夫より少なく食べろという意味か」と眉をしかめるフランス人の感覚が全く正しいわけだが、それを認識できる日本人はどれくらいいるんだろう。 それに対して、ことだま けむりん氏はこう述べています。 ‏ それは男尊女卑ではなくて、男女の体(手と口)の大きさによるものだから。 けむりん氏の主張は、日本の人には、あまり違和感がないものだろうと思います。 一方で、フランスの方も含め、「欧米」の方からすれば、「なぜ妻のほうが小さいのか」というのも、まったく当然の感じ方だろうと思います。 ここで、しっかりと抑えるべきなのは、この二つの考え方の、 「どちらかが正しいわけではない」 ということです。 シュナムル氏は、フランスの考えに馴染んでいるため、夫婦茶碗は差別的だと言い、 けむりん氏は日本の考えに馴染んでいるため、それは差別とは関係ない、 というわけですが、どちらの主張も、立場が異なっているだけで、間違ってはいないのです。 このような議論があるときに、日本人として気をつけなければならないのは、夫婦茶碗のような、日本人にとっては一見ふつうのものが、他の文化の人から見たとき、まったく差別的なものに見える場合があるということです。 「欧米」の人であっても、「東洋」には別の文化体系があることを知っている人ならば、夫婦茶碗くらいで驚いたりはしないでしょうが、「東洋」の文化をまったく知らない「欧米人」からすれば、夫婦茶碗をはじめ、様々な「東洋」の文化が、「遅れた」、「野蛮」な文化に見えてしまうということがあるわけです。 そこで、こうした見解の相違が生じたときには、自分の文化の一方的な見方を主張するのではなく、相手の文化の見方を受け入れ、尊重した上で、自分たちはこのように考えるのだ、ということを、伝えていくことが大切になります。 「欧米」の文化には学ぶべきところが多々あります。 同時に、日本も含め、東洋の文化にも優れた点はたくさんあります。 どちらかの文化が優れている、というような見方にとらわれることなく、それぞれの文化にはそれぞれの価値があるという、文化

三宅洋平は「許可」を得て安倍昭恵を高江に案内したのか

三宅洋平氏が安倍昭恵氏を、沖縄高江のヘリパッド建設反対運動のテントに案内したことについて、現場の実質的な代表者である沖縄平和運動センター議長の山城博治の「許可」があったのかどうかが、ネット上の一部で取り沙汰されています。 この件については、山城氏のインタビューの動画があり、これを見れば山城氏が「昭恵氏の現場訪問を拒んでいない」ことは明らかでしょう。 [ 山城博治 昨日8/6の安倍昭恵の訪問ほか 中継iwj okinawa1 ] 山城氏はインタビューで確かに、「(昭恵氏を)案内することは許可していない」という意味のことをおっしゃっています。 けれども同時に、「(昭恵氏に)公然と来てもらうわけにはいかないが、目立たないように来てくれるのはかまわない、その場合は自分が話を聞くと言った」と説明しています。 山城氏は昭恵氏がテントを訪れたとき現場にいなかったわけですが、体調不良のため一旦引き上げた際、対応を求めたスタッフに十分意志が伝わらなかったために現場で混乱があったのだとも、説明しています。 また、昭恵氏の訪問については、否定的な見解を述べていますが、昭恵氏の訪問が反対運動にマイナスの影響を与えることはないという主旨の発言をしています。 こうして見ると、「三宅の言う山城氏の『許可』はなかった」とネット上で広め、「三宅の行動は運動の分断を謀っている」といった発言をしている人たちは、現場で反対運動をしている沖縄の方々とは関係のないところで、勝手に「三宅氏排除」を主張しているにすぎないことが分かります。 三宅氏が現場の方々の気持ちを考えることができずに昭恵氏を案内したことは、もちろん問題ですが、「三宅氏排除」を主張する方々も、現場の方々の気持ちを考えていない点については、五十歩百歩ということです。 また、山城氏がインタビューで三宅氏について特に触れていないところを見ると、山城氏自身は三宅氏の行動を運動に上手に役立てているように思えます。 山城氏は、いくらかの混乱はあっても、高江の問題が少しでも知られることが大切だと考えて、昭恵氏の訪問を受け入れたのではないかということです。 なお、今回のように「都合よく切り取られた事実」の拡散によって、歪んだ現実が伝えられることは、場合によっては大きな問題となる場合がありますが、この件については、もとも

三宅洋平、ホメオパシー、カルト、民主主義

[追記: 2016.08.21] こちらの記事では Wikipedia の記述 に沿って、助産師に問題があったように書いてしまいましたが、死亡事故の原因は分かっていないし、助産師の責任についても明らかではない、とするのが適当であると考えるに至り、もう一つ記事を書きました。[ ホメオパシーに関連して日本のジャーナリズムの問題とカルト的思考、そして三宅洋平 ] 「自然志向」の三宅洋平氏は、医療に頼りすぎないほうがよいとの考えを持ち、ホメオパシーなどを勧める発言をしているために「非科学的」で「カルト的」であるとの批判をされています。 けれど、ホメオパシーを勧めることは「非科学的」で「カルト的」なことなのでしょうか。また、それは反社会的で悪いことなのでしょうか。 政策としてホメオパシーを推進するとなれば、これはまた別の話ですが、彼はツイッター上の個人的な発言でホメオパシーを勧めているにすぎません。 こうしたことが一々政治家の欠格条件になるとしたら、日本には政治家などいなくなってしまうのではないでしょうか?   *  *  * ホメオパシーについて、要点を説明します。 ・ホメオパシーは医学的にはプラシーボ以上の効果はないとされています。 ・レメディという砂糖玉を処方するだけなので、有害な副作用はありません。 ・ヨーロッパやインドなどでも民間療法として普通に実践されています。 プラシーボ効果というのは、実際には薬効のない物質を患者に投与した場合、一定の割合で症状が改善する現象のことで、暗示によって自然治癒力が引き出される効果のことです。 普通の薬のような薬効こそありませんが、患者が治療者を信頼してレメディを服用することで、自然治癒力が発揮され症状が改善されるのですから、ここには何ら問題はないと言えます。 むしろ、こうした暗示と自然治癒力の効果を否定し、薬効はあっても同時に副作用も強い現代医学のみを肯定する態度のほうが、よほど「非科学的」なものにも見えます。 それではなぜ、日本ではホメオパシーが嫌われるのでしょうか。 その理由は、ホメオパシーの誤用によって発生した事故によって、ホメオパシー自体が危険であると勘違いされているということです。 2009年に山口県山口市で、新生児がビタミンKの欠乏により硬膜下血腫を起こして死亡する

三宅洋平の「カリスマ」は「カルト」じゃない

[この記事のまとめ] ・三宅洋平氏の「カリスマ」には可能性があります。 ・彼の政策で最重要な点は、「反戦・反原発」です。 ・その「カリスマ」に「カルト的」なものを見る人もいますが、その二つは区別できます。 ・三宅氏を応援するものとしては、彼が「カルト」になってしまわないように、きちんと批判しつつ応援していくことが必要と考えます。   *  *  * 三宅洋平氏が参院選後に安倍昭恵氏と会食し、その後、沖縄高江のヘリパッド建設反対運動の現場に同行したことで、ネット上では、三宅氏を非難する声が多く見受けられます。 反対運動の現場の方々に十分な説明もないまま昭恵氏に同行し、現場を混乱させたことは問題ですが、そのことを理由に三宅氏を「運動」から「排除」しようとするかの発言には、まったく不可解なものを感じます。 どうして三宅氏の「カリスマ」を「運動」に生かすことができないのでしょうか。 「運動系」の人たちの中には、三宅氏の「非科学的・非論理的」な部分を批判する声があります。 そうした、はじめから三宅氏に批判的な人たちが、今回の件を使って三宅氏を「排除」しようとしているようにも見えます。 あからさまに「非科学的・非論理的」であることは問題を引き起こすこともありますが、昭恵氏と高江に同行したことは、その意味では問題とは思えません。 彼は、安倍政権を批判はしていますが、同時に対話の重要性も強調しています。 高江でヘリパッドの建設が強行される中、安倍昭恵氏と会食し、昭恵氏を高江に案内したことは、時期的にも、説明責任的にも問題のある行動ですが、彼の主張する対話の姿勢からすれば一貫性のあるものです。 「選挙フェス」の「盛り上がり」を冷静に見れば、そこに多くの人が集まっている状況が、他の立候補者のような支持基盤による動員とは違うことははっきりと分かるはずです。 それにはいろいろな要因があるでしょうが、三宅氏の打ち出している反戦・反原発の明確な姿勢が大きく影響しているものと思われます。 政策においては、彼は、自衛権のみを許すという形で、憲法の九条を強化改憲するという提案をしています。 この案については、実現性にも実効性にも疑問を感じますが、これがいわゆる「改憲派」の戦前回帰を目的とする「全体主義憲法」と異なることは誰の目にも明らかで、こ

三宅洋平は安倍総理の「コバンザメ」じゃない

[この記事のまとめ] ・三宅氏は安倍総理のコバンザメではありません。 ・しかし、沖縄高江ヘリパッド反対運動の現場の方々にきちんと謝罪するべきです。 ・三宅氏は社会の「構造」を問題にしている点で評価できます。 ・一方、陰謀論などに傾きがちな点には大きな危険もあります。 ・彼が社会的責任を自覚した上でのびのびと活動をすることを期待します。   *  *  * 参院選に二度の立候補をしたミュージシャンの三宅洋平氏が、安倍総理の夫人である安倍昭恵氏を、沖縄高江のヘリパッド建設反対運動のテントに案内をしたことが、ネット上で波紋を広げています。 今回は、昭恵氏が帰ったあとで、反対運動の現場の方々との対話の中で三宅氏が言ったとされる言葉、 「すべて安倍の意図とは限らない」 (onoyasumaro氏のまとめによる言葉) について考えてみます。 参院選の翌日からヘリパッドの建設再開を強行し、今までにない強圧的な姿勢を日本政府が取っているときに、総理大臣である安倍晋三氏について、「すべて安倍の意図とは限らない」と反対運動の現場の方々に対して言うというのは、普通に考えて、ありえない発言でしょう。 ただし、同じ現場での対話のIWJによるまとめでは、これに相当する言葉は 「安倍総理が全部決めてスイッチを押しているのではない」 ということで、若干ニュアンスが違ってきます。 いずれにせよ、安倍総理の名のもとに行われている工事の強行などにより、直接・間接に被害を受けている方々に向かって言っていい言葉とは思われず、昭恵氏を同行して現場を混乱させたことに加え、こうした発言をしたことについても、三宅氏はきちんと謝罪すべきだと思います。 しかしながら、安倍総理を擁護しているかのように見えるこの発言をしたことをもって、三宅氏が安倍総理の政策に賛同していると考えるのは、まったく軽率なことではないでしょうか。 三宅氏は、自民党政権ならびに日本の官僚機構が行なっている政策の実行について、必ずしもすべてを総理大臣が把握しているとは限らない、という一般論を述べているにすぎません。 「主流派」である安倍政権を批判する「反主流派」の人々は、ともすれば「安倍総理や自民党が悪」であって「安倍総理と自民党を倒せ」ばよいかのような考えを振りまいています。 しかし、そのよう

伊方原発再稼働の日に「原爆・原発の不必要な危険」について考える

ガメ・オベール氏は、日本語堪能なイギリスの方で、欧米と日本の両方の社会をよくご存知です。 そのガメ氏が「ヒロシマ」と題する記事を書いています。 彼はその中で福島第一原発の事故に触れ、日本の社会は『それが通常の事故として処理が可能であるかのような「ふり」をすることにした』と厳しい言葉で述べています。 そして、原爆の開発を指揮した物理学者オッペンハイマーに言及してその記事をしめくくっています。 日本が福島第一事故で平然を装っていることの重大な副作用のひとつに、日本人たちの平静な無表情を見て、「なんだ、核なんてあの程度か」という、それまでは絶対の破壊の神としてすべての言語世界で君臨し恐れられていた核エネルギーの日常への組み込みとでもいうべき人類の思想上の変化がある。核戦争と核発電事故は、ふたつの「絶対に起きてはならないこと」であったのが、すぐに大量死が起きたりしないので、なんだ、たいしたことないじゃないか、と述べるオチョーシモノが、科学者のあいだにさえ現れ始めている。その思想的な変容の恐ろしさは、破壊が、いわば時間を圧縮した形で起きたヒロシマをつぶさにみていけば判ります。オッペンハイマーが涙をぬぐいながら述べた言葉の意味を、彼の恐怖を、世界の人間ひとりひとりが理解しはじめるのは、むしろ、これからのことなのでしょう。 この結論には、まったく異論はありません。 けれど、広島に落とされた原爆の意味に関して、ガメ氏の主張は、戦勝国側の視点に傾き過ぎではないかと思われますので、その点について少し書きます。   *  *  * ガメ氏は、日本の敗戦について次のように書いています。 日本語世界では、奇妙な事に「現実に戦争を終わらせたのは原爆ではなくソ連の参戦だ」ということになっている。英語人たちの一般的な理解は「理解不能な狂気によって最後のひとりまで自殺攻撃をする決意を固めていた日本の戦意を打ち砕いて降伏に持ち込んだのは広島と長崎に落とした二発の核爆弾だ」でしょう。 ここに述べられている言葉は、間違いとは言えませんが、やや一方的な見方に思えます。 「現実に戦争を終わらせたのは原爆ではなくソ連の参戦だ」という見方を「奇妙」であると表現し、「日本の戦意を打ち砕いて降伏に持ち込んだのは広島と長崎に落とした二発の核爆弾だ」が英語圏では一般的な見方だ

「天然系・総理の密使」安倍昭恵氏が沖縄高江のヘリパッド建設反対運動テントを訪問

[この記事のまとめ] ・安倍昭恵氏の高江行きは、自分が現場を見たいという、ただそれだけの理由で行われた。 ・三宅洋平氏は、軽率にもそれに協力した。 ・現場では一時的に多少の混乱があった。 ・三宅氏は昭恵氏との関係を断ったほうがよい。 ・弱者の気持ちが分からない、昭恵氏の人物について少々。   *  *  * 2016年8月6日、安倍総理大臣夫人の安倍昭恵氏が、三宅洋平氏の案内で、沖縄・高江のヘリパッド建設反対運動のテントを訪れました。 琉球新報8月7日の記事より、昭恵氏の高江訪問について、前の記事とは別の部分を引用します。 ミュージシャンで参院選へ2回立候補した三宅洋平さんによると、今回の訪問は、昭恵さんが高江のヘリパッド問題などを描いた映画「標的の村」を鑑賞したことをきっかけに「現場を見たい」と三宅さんへ相談したことがきっかけ。三宅さんは沖縄平和運動センターの山城博治議長へは相談したが、大半の市民らには昭恵さんの訪問を知らせていなかったことから戸惑いや疑問の声も上がった。 昭恵氏は 「何が起きているのか、自分の目で確かめたい」 から高江に行ったのだと、8月7日Facebookに書いています。 しかし、昭恵氏は先日の参院選では自民党の島尻あい子氏の応援で沖縄入りしており、一私人として高江の問題に関心を持って訪れたという説明は、現場で反対している人々には受け入れがたいものでしょう。 昭恵氏の高江行きを仲介した三宅氏も当然のように非難されており、この昭恵氏の行動は反対運動に一時的に多少の混乱をもたらしました。 このことは安倍政権から見れば、まったく小さいお話で、毒にも薬にもならないほどのエピソードでしょう。 ですから無用に騒ぎを大きくすることは、ヘリパッド建設反対の運動に水をさす結果にしかならないので、慎んだほうがよいと思います。 また、三宅氏にぜひお伝えしたいのは、昭恵氏の「お気持ち」に付き合うのはもうこのくらいにしたほうがいいだろうということです。 昭恵氏が高江の問題を本当になんとかしようというのなら、きちんと自分の持てる力を使ってやるべきです。 仮にそのことで援助を求められても、関わりにならないほうがよいでしょう。   *  *  * 「天然系・総理の密使」である安倍昭恵氏について、もう少し見てみま

昭恵氏の高江訪問について三宅洋平氏に今伝えたいこと 2016年8月9日

8月6日に安倍昭恵氏が、沖縄高江のヘリパッド建設に反対するテントを訪問したことについての、 三宅洋平氏による経緯の説明を読みました。 三宅氏が、昭恵氏の「現場を見たい」という気持ちを尊重し、それが高江の問題を多くの人に伝える役に立つのではないかと考えたことには、一理はあると考えます。 しかしながら、自分の行動が、高江で反対運動をする人々の気持ちを傷つけてしまったことについて、謝罪の言葉は見当たらず、現場で湧き上がった「困惑」と「怒り」の感情を、三宅氏は今のところ十分に受け止めることができていないようです。 反対運動の実質的な責任者ともいえる沖縄平和運動センター議長の山城博治氏に昭恵氏の高江訪問について相談し、そのやりとりの中で行き違いのあった事情も考慮した上で、やはり三宅氏の今回の行動には、 「お騒がせした部分はすみません。自分の判断ややり方が全部あっていたとは、毛頭思っていません」 とご自身でも認めている通り、少なからぬ「非」があったわけですから、そのことについての謝罪の言葉がともなわない事情の説明は、「火に油を注ぐ」ようなものでしょう。 三宅氏には、なるべく早く、この件について、反対現場の人々に謝罪をしていただきたいと思います。 また、三宅氏に近い方々にも、この件について冷静に考えていただき、三宅氏に助言していただきたいと思います。 そして、三宅氏を応援する皆さんには、この件の「非」を三宅氏が認めてくださるように、批判的な応援の声を上げていただけたらと思います。 以上、簡単ですが、三宅洋平氏の今後の活動に期待するものとして一言述べさせていただきました。 [追記] 今回の三宅氏の行いと言葉に対する厳しい指摘がこちらのSAKATE氏の記事にあります。 三宅氏の支持者には耳が痛いと思いますが、こうした指摘はきちんと受け止める必要があると思います。 ○ 高江に対する暴力に与してきた総理夫人が「私」「個人」の立場で「実態を知りたいから来た」は、あり得ない ------------------------------- ☆こちらもどうぞ。 [ 「大物」か「あほう」か、三宅洋平、安倍昭恵と高江に同行 ] [ なぜ今井絵理子は当選したのに三宅洋平は落ちたのか ] [ 「陰謀論者」で「レイシスト」な洋平を、それでも俺が応援

「大物」か「あほう」か、三宅洋平、安倍昭恵と高江に同行

2016年8月6日、参院選に二度の立候補をしたミュージシャンの三宅洋平氏が、安倍総理大臣夫人の安倍昭恵氏に同行し、沖縄・高江のヘリパッド建設反対運動のテントを訪れました。 琉球新報は8月7日、この昭恵氏の高江訪問について次のように伝えています。 7月の参院選沖縄選挙区ではヘリパッド建設や米軍普天間飛行場の辺野古移設を容認する島尻安伊子氏の応援演説で来県していたことを踏まえ「何をしに来たのか」と批判する声や「首相へ現場のことを伝えてほしい」などの声もあり波紋が広がった。 しかし、本土のマスメディアは何か伝えているでしょうか。 昭恵氏の高江訪問が、本土に高江の問題を伝えるためにプラスとなるとは考えられません。 ネット上での声はどうでしょうか。 洋平氏や昭恵氏を「大物」だと言ってほめそやす人たちは、沖縄の人々の痛みが分からないのでしょう。 洋平氏と昭恵氏をただ非難するだけの人たちは、建設的な提案をすることなく、対岸の火事を眺めているだけのように思えます。 沖縄の人の怒りの声は別です。 沖縄の人々の痛みがわからないからこそ、洋平氏は今回のような「愚にもつかぬ」行動で、反対運動に混乱をもたらしているのですから、沖縄で現に被害を受けている方々が怒りの声を上げるのは当然です。 けれど今、本土のぼくらに必要なのは、評論家のような顔をして、誰かのことを持ち上げたり、また誰かの失敗を指摘することではないでしょうし、沖縄の人と一緒になって洋平氏に怒りをぶつけることも違うように思えます。 今まさに、日本という国が「戦争賛美」の「全体主義」国家へと変わり果てていく流れにあるとき、その流れに少しでも棹さすことにこそ意味があるのではないでしょうか。 そのためには、洋平氏を批判的に応援する必要があります。 昭恵氏のことはさておき、今の洋平氏には沖縄の痛みが分かっていません。 今回のことで少しは彼がそのことに気づいてくれればよいのですが、残念ながら彼は弱者の痛みを想像する能力が弱いように思えます。 ですから、洋平氏の行動に疑問を感じながらも、彼の将来性にかすかにでも期待する皆さんにはお願いをしたいのです。 洋平氏に、彼の弱点を伝えてあげてください。 彼が弱点を克服できるように手助けをしてあげてください。 そして彼が強みを生かせるように状

きみは「シン・ゴジラ」に日本の未来を見たか[ネタばれ御免]

[この記事のまとめ] ・東浩紀氏、杉田俊介氏、はてな匿名ダイアリーの[大絶賛の謎]氏の三つの感想を紹介。 ・「シン・ゴジラ」は夢物語などではなく、戯画的かつリアルに「日本の現在」を描いた問題作である。 ・我々日本人は「現在進行形」の福島第一の問題と「決死の思い」で取り組まざるをえない。 ・同時に、弱者に自己犠牲を強いる全体主義的な状況には十分注意する必要がある。 ・西洋的な「個」を超えた、「集合意識の力」こそが我々に与えられた武器である。   *  *  * みなさん、「シン・ゴジラ」もう見ましたか。 脚本・総監督が「エヴァンゲリオン」の庵野秀明氏、 監督は「平成ガメラ」の特技監督・樋口真嗣氏ということで、 元SFファンのぼくとしても、たいへん気になる作品です。 予算が15億円とかなり少なめなところにも、期待感が盛り上がります。 学生時代にアマチュアとして「帰ってきたウルトラマン」や「愛国戦隊大日本」を実写で撮った庵野氏が総監督、「進撃の巨人」の樋口氏が特撮ですもんねー。   *  *  * 第一作めの「ゴジラ」では、ゴジラは水爆実験が生んだ怪獣とされ、核兵器や戦争の象徴でした。 今回の「シン・ゴジラ」は、東日本大震災によりメルトダウンを起こし、今日も放射性物質を吐き出し続ける福島第一発電所の象徴として、ゴジラを現代に甦らせました。 評論家の東浩紀氏は、 「ゴジラが覚醒するクライマックスの1分ほどがおそろしく美しい映像だから」観た直後には絶賛したくなったけど、一日経つとそれほどでもないか、単純な物語だし、と書いています 。 批評家の杉田俊介氏は、「シン・ゴジラ」に政権批判の意図を見、 「なぜエリートや霞ヶ関や自衛隊ばかりに夢を託すのか。民衆や東北や犠牲者の目線がなぜ薄いか」といささか勘違い気味の感想を書いています。 はてな匿名ダイアリーの『「シン・ゴジラ」大絶賛の謎(ネタバレ)』という記事を書かれた方(以下、[大絶賛の謎]氏)は、 『国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「 有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観』や「半ば特攻精神的」な表現に違和感を表明しています。 また、プロットから見ても物語に十分なカタルシスがないことを、娯楽性の欠如

内海聡医師は「差別主義者」でも「親学」でもないが「困った」人物である

[この記事のまとめ] ・内海聡医師のネット上での発言には、いささか「常軌を逸した」ものがあります。 ・化学物質やワクチンの問題点を指摘していることは評価できます。 ・内海医師は「差別主義者」でも「親学」の推進者でもありません。   *  *  * 内海聡医師という、少し「おかしな」お医者さんがいます。 「『障がい』児の親には反省が必要」という「問題」発言をなさっている方です。 ミュージシャンであり、2013年と2016年の参議院選に立候補し、政治活動を行なっている三宅洋平氏が、この内海医師の発言を擁護して問題となったことは、以前の記事で論じました。 [ 三宅洋平氏の「内海聡発言」擁護問題を考えてみます ] 今回は、内海医師がどういう人物で、なぜこのような発言をしているのかを、少し詳しく見てみます。 まず、「『障がい』児の親には反省が必要」という内海医師の発言ですが、これは『障がい』児者およびその家族の気持ちを傷つけるものであり、このような発言をネット上という公的な場で行ない、謝罪する必要を認めないその態度は、極めて「非社会的」なものです。 この内海医師の発言を擁護した三宅洋平氏や、 内海医師の著書で対談をしている 山本太郎氏は、内海医師の「非社会性」に関してきちんと批判的な発言をするべきではないかと思われます。 しかしながら、内海医師の主張自体は必ずしも否定できるものではありません。 内海医師は、食品などに含まれる化学物質やワクチンの毒性が障がいを引き起こしていると主張しています。 化学物質やワクチンの毒性が過小評価されている可能性を考えると、彼の主張には十分な意味があります。 したがって、無防備に毒性のある物質にさらされている人々に注意を呼びかける意味では、内海氏の発言には妥当性があると言えましょう。 (もちろん人を傷つけるような表現には大いに問題がありますが) ところで、内海医師の発言を、ナチスの優生思想や自民党政権の「親学」の思想と結びつけて論じる方々がいます。 優生思想は「遺伝」を問題にするものですから、内海医師の主張がこれに当てはまるとは考えられません。 「親学」は、「発達障害が親の育て方によって起こる」という擬似科学的な主張ですが、内海医師は発達障害は化学物質などによって起こるという考え

なぜ今井絵理子は当選したのに三宅洋平は落ちたのか

[この記事の見出し] ・はじめに ・選挙制度自体の問題 ・障害者問題 ・沖縄問題 ・「不正選挙」問題 ・政治は、息の長い地道な積み重ねと、瞬間の爆発的な力。 ・民主主義は死なない。今は「脳死状態」だけれども。   *  *  * ・はじめに Twitter などでいろいろな方々の投稿を見ていると、今回2016年の参院選で、今井絵理子氏が当選して、三宅洋平氏が落ちたのはおかしいじゃないか、といった内容のものが散見されます。 そう言いたくなる気持ちは分かるのですが、単純におかしいと言ってすむ問題かというとそうは思えません。 今井氏が当選し、三宅氏が落選したことには、相応の理由があります。 三宅洋平氏を応援する立場から、この問題を少し細かく見ていきたいと思います。 ・選挙制度自体の問題 今井絵理子氏は、自民党の候補として参院選の比例区から立候補し、31万票を獲得して当選しました。 それに対し三宅洋平氏は、東京選挙区から立候補し、生活の党と山本太郎となかまたちちから勝手連としての支援を得て、25万票を獲得したものの当選ラインの50万票には遠く及ばず落選しました。 今井氏は知名度の高さに加え、自民党という強力なバックのもとに当選したわけで、これはある意味、当然と言えましょう。 それに対し、三宅氏が、知名度は低い上、特別な支持基盤を持たないにもかかわらず、25万票を獲得したことは、「選挙フェス」手法の成功、新しい投票者の掘り起こしといった意味で大きく評価できることであり、残念ながら当選ラインまではまだ相当の距離があるものの、将来への期待は十分できるものと思われます。 ・障害者問題 今井絵里子氏はご自身、「障害」のあるお子さんを抱え、「障害」者問題に積極的に取り組んでいるわけですから、そうした関心を持つ方からの支持があったものと思われます。 それに対し、三宅氏はその政策に「保育・介護の社会化の徹底」という言葉があり、「障害」者問題にも理解があるのではないかと期待されるところです。 ところが、2015年に「『障害』児を持つ親もそのことを反省しつつ」という発言したことで、「障害」者に対する差別意識があるのではないかと思われた状態のまま、今回の参院選立候補に至ったという経緯があります。 三宅氏はこの問題について、参