いんたーねっとトハ超次元的ニ縫イ合ワサレタ便所ノ落書ノ網目ナリ

その昔、世の中にワールドワイドウェブとかいう言葉が出回り始めたころに、「インターネットとは便所の落書きプラスアルファだ」と書いている人がいて、「なるほど!」とうなずいた記憶があります。

一方、「インターネットは錬金術の完成形である」というのが、ぼくの実感としてあります。

今日はこの二つの柱を使っていい加減な「小屋」でも立ててみましょう。

  *  *  *

「便所の落書き」といえば、ばかばかしいもの、下品なもの、人を貶めるもの、大体がそんなようなものです。

残念ながら、役に立つ「便所の落書き」というのは、まだ見たことがありません。

インターネットというものが持つ、発言の自由さ・気軽さという特徴と、そのテクノロジーの大衆化が相まって、当初から「便所の落書き」的なものだったネットが、加速度的に「便所の落書き」化することになったのは当然のことと言えましょう。

ヘイトスピーチ「のようなもの」の蔓延に対して社会がどう対応すべきか、といった問題はさておき、便所の落書き「のようなもの」が同好の士の間で、共有され、拡大し、「価値」を生み出していく点が、インターネットの「錬金術」としての側面ということになります。

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ところで、錬金術とは何でしょうか。

それは、「金(きん)ではないものから金(きん)を生み出す方法」のことであり、言い換えれば、「無価値なものから価値を生み出す方法」のことです。

人類は素朴な錬金術を近代的な科学へと洗練させていく過程で、化学的には「ほかの物質から金を作れない」ことをまず知り、素粒子的には「金は作れるがコストが高すぎること」を知ることになりました。
(その過程で、原子力というパンドラの箱を開けてしまったことも興味深い事実です)

そうして、名前こそ「科学」というものに変わりましたが、錬金術の時代から綿々と続く、それまでは無価値と思われていたものから価値を生み出すための研究が、現在も人類にとって大きな野望として存在していること自体には、なんら変わりはないように思われます。

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「インターネットは錬金術の完成形である」と考える理由は、その手軽さと大衆性によります。

株式会社が生まれ、株式市場が成立し、近代国家の成熟が金本位制を不要とすることにより、為替市場が世界を覆うに従って、経済的錬金術は変貌の上に変貌を遂げ、日々新しい形に変身を続けています。

こうした状況にインターネットという技術が導入されることによって、「ネットに接続するコスト」さえ負担できれば、誰もが巨万の富を手に「しうる」時代が到来したわけです。

「大衆化された錬金術としてのインターネット」の時代をわれわれは生きているわけです。

これが「インターネットは錬金術の完成形である」ということの意味なのです。

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西洋に発する近代の合理主義的価値観は、機会の均等を撒き餌とすることによって、人々を労働に駆り立てることに成功しました。

だれにでも働く権利があると啓蒙し、働くことによって巨万の富を得る「可能性」を多くの人に開いたのです。

ネットという名の錬金術も、基本的にその構造は同じで、これがもたらすものは、ネット上で情報をやりとりする機会の均等ということになります。

これにより、だれもが自由に情報を発信することができ、情報のやり取りによって巨万の富を得る「可能性」が大衆に開かれることになったのです。

では、その「可能性」というものは、どうすれば実現できるのでしょうか。

あるいは、その実現にはどんな意味があるのでしょうか。

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実のところ、ここからが本当の錬金術の問題になります。

「便所の落書き」が、便所の落書きのままで終わるのか、それとも「金の卵を生むガチョウ」に育ってくれるのか、という問題です。

金の卵を生むガチョウがネット上に存在することは分かりました。ネットに接続する方法も勉強しました。ガチョウを育てる方法もネット上には溢れています。ガセネタをつかませられながらもあなたはめげずに頑張り、ついに金の卵を生むガチョウをあなたは手にします。

金の卵を生むガチョウを、あなただけが持っているのなら、あなたはとりあえず裕福な暮らしが送れるでしょう。

けれど、それと引き換えにあなたは、そのガチョウを安全に守るための気苦労を抱え込むことになるのです。

そして、デジタルの世界はコピー世界ですから、金の卵を生むガチョウなど、あっという間にコピーされてしまいます。

あなたは次には、プラチナの卵を生むガチョウを見つけなくてはなりません。

そのように、「物質的」な富を目的としてしまったら、この泥沼から抜け出すことは困難です。

もちろん、あなたが錬金術師として、日々戦い続けていくことをよしとするのなら、それはそれで構いません。

あなたの戦いに幸あらんことを祈ります。

  *  *  *

もうひとつの道は、心の錬金術を極める道です。

お金が稼げようが、稼げまいが気にすることはありません。

社会の要請に応えられるかどうかも、本当は気にしなくていいのです。

自分自身を見つめて、この世界のあり方を見極めて、日々を静かに生きていくだけのことです。

ここには外側の敵はいません。

心の錬金術を邪魔するものは、あなたの内側に潜んでいるだけです。

外側に邪魔者がいる、というのは錯覚です。それを邪魔者と捉えてしまうあなた自身の心の癖が問題なのです。

生まれていらい身につけてきた、さまざまな習慣、周りから吹きこまれてきたいろいろな考え、そうした自分の中にある反応のパターンに、自分で気づき、少しずつ取り除いていくこと。

それが心の錬金術なのです。

あなたの心はもともとが、まばゆく輝く黄金の心なのです。

この世に生まれ落ちていらい、少しずつ汚れが積もって、今はその輝きも見えづらくなっているかもしれません。

けれども、少しずつ気長に磨いてあげてください。
毎日少しずつでいいのです。
気がついたときにひと磨きするだけでもいいのです。

そうした小さな積み重ねが、結局はあなたの人生を変えることになるのです。

いつかあなたは驚くことになるでしょう。
自分の心は、本当はこんなにも輝きを放つものだったのかと。
そして、そのとき、周りのみんなの心も、素晴らしい輝きを放っていることに、あなたは気づくはずです。

  *  *  *

というわけで、「便所の落書き」と「錬金術」という二本の柱を使って、大風呂敷をひろげ、駄法螺の小屋を立ててみました。

少しでも楽しんでいただけたならば幸いです。

ではまた、アスタ・ルエゴ!

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