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2016年7月30日土曜日

三宅洋平は「ナチズムの先兵」の差別主義者なのか


三宅洋平氏は、もちろん「ナチズムの先兵」の差別主義者ではありません。
まして「親学」の推進者であろうはずがありません。
それなのに、なぜそのような批判が絶えないのか、考えてみます。

  *  *  *

三宅洋平氏は、過去に「障害を持つ子を産んだ人も、そのことを反省しつつ」と発言しました。

これについて、彼は、「反省」という言葉を使ったことにより、「障害」児者やその家族を傷つけてしまったことを認め、謝罪の言葉を述べています。

この発言のもともとの意図は、食べ物を含め環境からの化学物質が、親の体に蓄積することで、その子どもに「障害」が引き起こされる可能性を指摘したものです。

つまり、これは環境問題の視点からの発言なのです。

ところが、この三宅氏の発言をとらえて、ナチスの「優生思想」や「親学」とつなげて考えようとする方々がいます。

  *  *  *

「優生思想」は、「障害」者を劣ったものであり、その原因は遺伝にあると考え、その生きる権利を様々に剥奪しようとする大変危険な考えです。

しかも、ナチス・ドイツはこの考えに基づいて、実際にユダヤ人と障害者の虐殺を行ないました。

このような悲劇が繰り返されないように努めることは当然のことです。

三宅氏が環境中の化学物質の問題について、「障害」児者の親に反省を求める発言をしたことは問題ですが、彼は「障害」児者が劣った存在であるというような発言はしていませんし、遺伝の問題についても何も言っていません。

ただ、化学物質の毒性の問題を語っているだけです。

「障害」児者とその家族を傷つけるような発言をしたことを根拠に、彼を「差別主義者」であり「優生思想」の持ち主であると見なすことは不可能としか言いようがありません。

  *  *  *

「親学」は、自民党政権が提唱する戦前回帰的な家庭内教育の思想です。
(参考: 親学のムック)

「戦前のような教育を家庭でできるようにすれば、発達障害が防げる」とでもいうような奇妙な主張をしているのですが、学校教育を管理教育にするとともに、家庭内にもそれを補完する体制を作り上げることを目指していると考えられます。

子を育てる親の責任を問題とし、親の育て方を国家が管理しようとしている、ということができるでしょう。

一方、三宅氏は、親の責任という意味で「反省」という言葉を使ったわけですが、これは子育てのあり方を問題にしたわけではなく、親自身が化学物質について無防備であったという生活のあり方を問題にしています。

それを「反省」すべきと言ったことは当然問題ですが、親に対して子育ての仕方の注文をつけたわけではありません。

「親学」と関連があるとは、考えようがありません。

  *  *  *

では、なぜ、このような不可解な批判がなされるのでしょうか。

それは日本における多くの言論が、「論理」に基づくものではなく、「感覚」に基づくものだからだと考えます。

「論理」によっているものであれば、事実を確認し、共通の認識を作っていけば、どの主張は正しく、どの主張は間違っているということは、相当程度まで明らかになります。

ところが「感覚」によっている限り、自分に都合の悪いことは無視して、主観によって自分の意見を主張するばかりで、相手の意見を否定するのも「感覚」に基づくのですから、建設的に議論が進むわけがありません。

ただ、似たもの通しが集まって派閥を作り、派閥通しで争い合い、離合集散を繰り返すのみであることは、日本の政治状況とまったく同じに思えます。

残念ながら、今ぼくがここで書いていることも「感覚」によるものにすぎません。
(三宅氏に関わる話は「論理」によるものです、念の為)

ですから、これはまだ仮説にすぎず、実証されたものではないことにご注意ください。

しかし、この「感覚」と「論理」の問題は、日本だけの問題ではなく、東南アジアにも共通する問題に思え、また、日本と欧米の違いという意味も含め、これからもずっと考えていきたい問題の一つです。

☆こちらもどうぞ。
[神奈川・相模原「障害者」殺傷事件が三宅洋平氏に波及(内海聡医師の発言擁護で)]

[神奈川・相模原「障害者」殺傷事件の「真犯人」は誰なのか? あるいは、差別のない社会を創るための第一歩]

2016年7月29日金曜日

神奈川・相模原「障害者」殺傷事件の「真犯人」は誰なのか? あるいは、差別のない社会を創るための第一歩


[タイトルを『神奈川・相模原「障害者」殺傷事件の「真犯人」は誰なのか? あるいは、差別のない社会を創るための第一歩』に『「障害者」殺しの「真犯人」は誰なのか?....』より改めました]

2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設で45人が殺傷されるという事件が起こりました。

死亡した19名の方々はすべて施設に入所されていた「障害」をお持ちの方で、他の負傷者26名のうち、20名の方が重傷を負うという事件でした。

お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、ご親族、関係者の方々にはお悔やみを申し上げます。また、心身ともに傷ついた皆さまの、一日も早いご快復をお祈りするものです。

  *  *  *

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。

今回の事件は大変「残虐」なものであり、その「犯人」を恐ろしいと思い、「犯人」憎しと思う、そして厳しい処罰を求める気持ちは理解できるものです。

けれども、一番大切なことは、今後このような事件が起こらないですむようにするためには、どうしたらよいか、ということではないでしょうか。

そのためには、容疑者の方が、なぜこの事件を起こさざるを得なかったのかを考えることが必要です。

一体なぜ、こんな悲惨な事件を起こさざるを得なかったか。

それは「恐れ」のためではないでしょうか。

この「恐れ」という気持ちの中には、「障害」者に対する恐れ、生活に対する不安、うまくいかない生活に対する不満など、いろいろな感情がごちゃまぜになって詰まっています。

そして、今回のような事件を起こす「真犯人」は、ぼくたち一人ひとりの中に潜む「恐れ」の気持ちだと思うのです。

なぜなら、個人の気持ちには、社会の空気が反映され、社会の空気は個人の気持ちがつくり上げるものだからです。

単純に、犯人が悪いのだ、というような考え方をするのではなく、こうした見方で事件をとらえ、自分自身に関わる問題として考える。そのような道筋を取っていかないと、類似事件の発生を防ぐことはできないように、思えるのです。

  *  *  *

今回の事件の容疑者の方は、衆院議長に宛てた手紙の中で「重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界」が目標であると述べています。

大変危険で差別的な考えですが、これは彼一人の問題ではありません。

元東京都知事の石原慎太郎氏は、1999年9月に府中療育センターという重症心身障害児者の入所施設を訪れ、次のような発言をしたと伝えられています。
「ああいう人ってのは人格あるのかね」「 ショックを受けた 」「 僕は結論を出していない 」「 みなさんどう思うかなと思って 」 「 絶対よくならない、自分がだれだか分からない、 人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって…。 しかし、こういうことやっているのは日本だけでしょうな 」「 人から見たらすばらしいという人もいるし、 恐らく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。 そこは宗教観の違いだと思う 」「 ああいう問題って 安楽死 なんかにつながるんじゃないか という気がする 」(「 安楽死 」の意味を問われた知事は)「 そういうことにつなげて考える人も いるだろうということ 」「 安楽死 させろといっているんじゃない 」 (と否定した。)「 自分の文学の問題にふれてくる。非常に大きな問題を抱えて帰ってきた 」[朝日新聞1999.09.18 ただし孫引き]
それに対し、都議会で「ああいう人たちに人格はあるのか」という発言を問いただされて、石原氏はこう言います。
府中療育センターの視察の感想を述べた私の発言についてでありますが、私の発言の真意は、行政の長というよりも一人の人間として、みずからも思い悩むことを感じさせられ、そのことを自分自身にも、及び記者の皆さんにも問いかけたものであります。 ある新聞が、現場にも同行せずに、この発言を意識的に曲解し、あたかも私が障害を持つ方々の人格を傷つけた──多くの読者に印象づけたことは、報道の正確性にもとり、許せぬ行為でもあります。これは卑劣なセンセーショナリズムであり、アジテーションであり、社会的には非常に危険なことだと思います。
石原氏のおっしゃる通り、報道側の姿勢にも大きな問題があります。

けれど、「人格はあるのか」という問いかけ自体が
「障害を持つ方々とその関係者の人格を深く傷つけるものであり、行政の長として重大な発言です。発言を撤回し陳謝すべき」
という質問を受けているにも関わらず、石原氏はそれについては何も答えていません。

謝罪の言葉がありません。

彼の発言の全体像が、「障害者には安楽死の道を」という危険な思想を、無意識のレベルで示唆していると考えても、あながち間違いではないでしょう。

この石原氏の発言は、一つの象徴的な例にすぎませんが、こうした考え方が社会の空気の中に拡がっているからこそ、今回の事件が起きたのではないでしょうか。

  *  *  *

ぼくは以前、東京都江戸川区の身体障害者の作業所で働いていたことがあります。そのとき、都立の養護学校で行事があり、餅つきのお手伝いで行ったことがあります。
(なお、現在は「養護学校」から「特別支援学校」に名前が変わっています)

そのとき、重度の心身「障害」を抱えるある一人の方を見て、「おそろしさ」を感じたことを、正直に書かせていただきます。
(だから、石原氏が「ショックを受けた」という言葉には体験としての重みを感じるのです)

ぼくの働いていた作業所は、決して「障害」が軽い方ばかりというわけではなかったのですが、その養護学校で出会った方は、ぼくの知っていた方々とはタイプの違う重度の「障害」をお持ちの方で、彼の外見から、何か「異質」なものをぼくは感じたようなのです。

その方と知り合いになって、日常的に触れ合うことになれば、そうした「恐怖」は根拠のないものだということに、だんだんと納得していくことができたでしょう。

けれども、そういう機会は誰にでもあるものではありません。

そして、そうした「恐怖」というものは、人間の心の奥底に潜む「原初的」な情動であり、「理性」では抑えがたいものであることを、ぼくたちはよくよく知る必要があります。

事件の容疑者の方は、自分の中のそうした「おそれ」や「不安」、そして自分自身が社会にうまく適応できないことからくる「怒り」や、さらには「憎しみ」の感情をもてあまし、それを、なんとか解消しようとして、社会的な「弱者」に向けてしまい、「大爆発」してしまったように思えます。

「障害」という「烙印」の問題、「障害」者に対する差別意識の問題は一筋縄ではいかない、解くことの大変むずかしい問題だと思います。

この問題は、考えるだけ、論評するだけでは決して解くことはできません。

あなたの周りにも「障害」児者の学校や施設があるはずです。バザーやお祭りなどの催し物をしていることがないでしょうか。

どうか機会を見つけて、「障害」を持つ人と知り合いになり、友だちになってください。

そうやって思い切って行動するとき、あなたの人生に新しい扉が開きます。

新しい人と出会い、新しい体験をすることで、あなたの人生が豊かなものになるのです。

あなたの人生が豊かなものになれば、周りの人の人生も豊かなものになり、社会全体も豊かなものになります。

そうして初めて、差別のない、戦争のない、平和で豊かな社会へと、一歩ずつ近づいていくことができるのです。

平和な社会を作るための第一歩は、あなたが思い切って行動するという、小さな勇気から始まるのです。

長い文章を最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。

それではまた。

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[2016.12.31 追記]
この事件に関して、次のような意見を twitter で、いただきました。
知り合えば差別がなくなるというものではないと思います。
むしろ差別をする気がない人が、現実の障害者の「醜さ」に直面して考えを変えていくことすらあるのではないかと。

確かに、今回の容疑者の方について報道されていることを考えると、「障害者」と知り合って、却って「障害者」を嫌う人が出てくる可能性はあります。

その点を考えると、ただ知り合って、友だちになればいい、と言うだけでは問題解決にはつながらないのだと、改めて考えました。

「障害」のあるなしとは関係なく、人間には誰でも、よい面もあれば、わるい面もあります。

そうした当たり前のことをしっかりと受け止めた上で、「障害」のあるなしに関わらず、人間関係を作り、普通につき合うという態度が必要なのでしょう。

「障害」のある人だからといって、可哀想だと思ったり、優しくしなければ、と考えるのでなく、あくまでも対等な人間として、相性があえば、友だちとしてつき合えばいいし、そうでなければ、別に無理につき合う必要はないわけです。

「障害」の問題だけでなく、民族や国籍、宗教や政治的立場の違いによっていがみ合うことなく、普通につき合い、あるいは、適度に距離を取るようなことが、当たり前の社会になることを祈るものです。

(この追記にともない、一部加筆訂正しました)

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☆こちらもどうぞ

[三宅洋平氏の内海聡医師擁護発言に神奈川・相模原「障害者」殺傷事件が波及]

[三宅洋平、ホメオパシー、カルト、民主主義]

[精神医療における減薬の問題をめぐって -- 「不適応状況」についての覚書]

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[惜しい! イケダハヤト氏の「三宅洋平不支持」発言]

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2016年7月28日木曜日

鳥越俊太郎氏のニコ生・候補者討論会に不参加につき、想田和弘氏にひとこと



[この記事のまとめ]
・鳥越俊太郎氏のニコ生の候補者討論会に不参加について、想田和弘氏が鳥越氏の行動を否定する発言をした。

・想田氏が、安倍政権に批判的な意見を持ち、ご自分の社会的立場をよく理解なさっているのなら、今後こうした「軽率」な発言は慎んだほうがよくはないか。

・こうした「軽率」な発言をしないためには、感情が高ぶっているときには発言を控え、時間をおいて気持ちが落ち着いてから発言すべきである。

  *  *  *

映像作家の想田和弘氏が Facebook と Twitter に流した、都知事選候補者・鳥越俊太郎氏についてのこの発言には、驚きました。
鳥越氏がニコ生での候補者討論会に不参加だったことには、違和感を覚えざるをえない。そういうの、よくないですよ。正直言って、彼を支持する層をも萎えさせる態度だと思います。戦略的にも道義的にもよろしくない。そこんとこ、よくわかってないんじゃないか。
というのは、その投稿を見る直前に、三宅洋平氏と安倍昭恵氏の会食に関する、想田氏のこちらのご意見に、まったくその通りだと、納得したところだったからです。
三宅洋平を政治的存在、リーダーとしてみるならば、今回の会合はいたずらに誤解をまねくものであり、政治的には否定的な影響の方が断然強いように思う。とくに三宅洋平の考えをあまり知らない(知ろうとしない)人々の間で、政権に取り込まれた、寝返ったと早合点する人が多いだろう。

[中略]今回の会合によって誰が政治的に得をするのかといえば、「反対者」に対する懐の深さを示すことができる安倍昭恵、いや、その配偶者である安倍晋三である。三宅には彼らのイメージアップをアシストする意図はなかったと信ずるが、結果的にはそうなってしまっている気がする。余計なお世話かもしれないが、すでに政治的存在である三宅は、そこまで考えて行動すべきだと思う。
このように想田氏は、三宅氏を支持し、安倍政権に批判的な考えを持っているのに、安倍政権への批判票が鳥越氏に集まるかどうかが焦点になっている状況の中で、鳥越氏の行動を頭から否定する発言をしたことは、「不可解」かつ「軽率」なものに思えます。

けれど、想田氏は宇都宮健児氏の支持者なんですね。それで、野党の鳥越氏擁立のために、宇都宮氏が今回立候補を取りやめざるを得なかったことに、どうしても違和感があるのかもしれません。

それに映像作家という職業柄も、ニコ生討論のようなものに期待をしてらっしゃるのでしょう。

けれども今は、安倍政権に反対するという一点において、大同団結して鳥越氏を支持するときじゃないかと思うんです。

もちろんぼくも、宇都宮さんが立候補して都知事になれたら、それが一番とは思う。

けれど、今回あえて立候補を取り下げた宇都宮氏の決断を生かすためには、鳥越氏の政策を充実させるよう意見していくことが大事なのであって、「足を引っ張りかねない」発言をするのはちょっと違うと思うのです。

宇都宮氏が、現状では鳥越氏を応援できないというねじれた状況もあるけれど、それを解消するためにも、鳥越氏を「応援」しつつ、「意見」していくという、二つの行動が有効でしょう。

鳥越氏が当選しなかったら、どうなるのか。

想田氏の発言は、それに対して、どういう影響があるのか。

「余計なお世話かもしれないが、すでに政治的存在である」想田氏は、「そこまで考えて行動すべきだ」とぼくは思うのです。

  *  *  *

さて、なぜ想田氏は今回このような発言をしたのか、ということを考えると、鳥越氏が討論会に不参加という事実を知ったとき、「感情的」な部分で「ありえない」と思ってしまったからではないだろうかと推測します。

人間は一旦「感情的」になってしまうと、冷静に物事を考えることが難しくなります。

また、ネット上では、書き手の感情と読み手の感情が複雑に増幅し合って「炎上」という現象が起こることもよく知られています。

ですから、不用意に「対立」や「分断」を生まないようにするためには、自分が感情的になっていることに素早く気づき、気持ちが落ち着くまで発言を控えることが大切だと考えます。

自分の感情の高ぶりに気づくことは、慣れないとなかなか難しいものがありますが、ネット上でやりとりをする皆さんが、少しでもこの点に注意してくださると、「言い争い」ではない「対話」が生まれる土壌が整っていくのではないでしょうか。

2016年7月27日水曜日

三宅洋平氏の内海聡医師擁護発言に神奈川・相模原「障害者」殺傷事件が波及


※記事タイトルを[神奈川・相模原「障害者」殺傷事件が三宅洋平氏に波及(内海聡医師の発言擁護で)]より改めました。

[この記事の内容]
・事件への追悼
・三宅洋平氏の発言への波及
・内海医師の数々の問題発言
・三宅氏への提言

  *  *  *

・事件への追悼
昨日、2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設で45人が殺傷されるという事件が起こりました。

死亡した19名の方々はすべて施設に入所されていた「障害」者の方で、他の負傷者26名のうち、20名の方が重傷を負うという事件でした。

お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、ご親族、関係者の方々にはお悔やみを申し上げます。また、心身ともに傷ついた皆さまの、一日も早いご快復をお祈りするものです。

なお、この記事では、相模原の事件については、これ以上、言及いたしません。
この事件の持つ意味と、それに対してどう向き合う必要があるかについては、日を改めて書きたいと思っています。

  *  *  *

・三宅氏の発言への波及
相模原での事件を受けたタイミングで、政治学者の五野井郁夫氏が、三宅洋平氏の過去の発言を引用して次のようにおっしゃっています。
近年の障害者差別で象徴的なのは、三宅洋平氏の「障害を持つ子を産んだ人も、そのことを反省しつつ」発言だろう。これは「発達障害は親の育て方のせい」で悪名高い「親学」の主張と繋がる。恐ろしい。
この発言に続くのがこちらです。
都知事候補の小池百合子氏が、子供の発達障害は「日本の伝統的な子育てをしない」親のせいだと主張をする「親学」推進議員連盟会合に、2012年5月11日出席した事実を削除している。マズい団体だと事実上認めたようなものだ。
一見、別々の発言に見えますが、これを続けて読めば、『三宅氏は小池百合子氏と同様「障害は親の責任」という主張の持ち主である』と、読者が誤解する恐れがあります。

三宅氏はすでに「障害を持つ子を産んだ人も、そのことを反省しつつ」という発言に関し、「反省」という言葉を使ったことについて謝罪の意を表明しています。

にも関わらず、なぜこのような発言が出てくるのでしょうか。

五野井氏の意図はさておき、三宅氏側の問題点を考える必要があります。

[五野井氏という人物については、この記事の最後で触れます]

  *  *  *

・内海医師の数々の問題発言
三宅氏の「障害児の親も反省しつつ」発言は、もともと内海聡医師の「障害児の親は反省すべき」発言を擁護する形で行なわれたものでした。

内海医師は、ある種の障害は「母親に溜まった化学物質が原因」であることを主張しており、これには当然異論もあるでしょうが、このことは科学的に検討すべき問題であって、今回の問題の根底にある「障害者差別」とはまったく関係のない話です。

三宅氏の内海擁護発言は、基本的にこの点に関してなされたもので、その主張自体には問題はないと考えます。

問題点は、内海氏がそれを根拠に「障害児を生んだのは、親に責任があるのだから、親は反省すべきだ」と発言したところにあります。

この発言にはいくつもの問題がありますが、一番大きな点は、「障害」を抱える本人、そして「障害」者の親に対して、「責任」を押しつけ「反省」を強いる点です。

三宅氏は、「障害者問題」に無知なあまり、この内海発言を不用意に擁護することによって、「障害」を抱える方とその家族の皆さんに「鞭打つ」結果となってしまったわけです。

この問題を三宅氏が真剣に受け止め、参院選投票日の6日後の7月16日に謝罪を表明されたことは評価されるべきことと思います。

しかし、残念ながら謝罪文の内容は不完全と言わざるを得ません。

というのは、三宅氏は、「反省」という言葉を使って関係者の気持ちを傷つけたことについては謝罪をしていますが、内海医師を擁護したこと自体については、特に触れていないからです。

内海医師は、自分の発言に対して批判の声が上がると、
「障害者の親は一生反省してもらってけっこう」
とまで言い放つほどの「奇怪」な人物です。

主張自体には納得する点も多いのですが、意見の異なる他者に対しては「異様」なまでに攻撃的で、こうした人物を「肯定」した発言をそのままにすれば、三宅氏はさらなる「攻撃」を受けることになる恐れがあります。

  *  *  *

・三宅氏への提言
そこで三宅氏に提言したいのは、たとえ主張には共感していたとしても、このような「問題」発言を繰り返す内海医師とは、きちんと距離を取ることです。

政治というのは「仲よしグルーブ」の「仲間集めゲーム」ではありません。

日頃、三宅氏がおっしゃっている通り、対立点がある相手ともきちんと「対話」し、歩み寄れる点は歩み寄った上で、よりよい社会を作っていくための現実的な実践です。

いくら「仲のよい」人物であっても、「対話」を頭から拒否するような人物と親しい関係にあることを公にすることには一利もありません。

内海氏のような問題発言を「連発」する人物を擁護したこと自体を、謝罪したほうがよいのではないでしょうか。

今回、五野井氏は、内海発言に直接は触れていませんが、今のままでは今後この問題が蒸し返されることが心配です。

ああした「攻撃」的な言説に巻き込まれないよう十分ご注意願いたいのです。

三宅氏も精一杯の活動をなさっていることとは思いますが、今回も「苦言」を申し上げさせていただきました。

三宅氏に期待するゆえのものであることを、ご理解いただければと思います。

  *  *  *

☆こちらもどうぞ。
[「障害者」殺しの「真犯人」は誰なのか? あるいは、差別のない社会を創るための第一歩]

[三宅洋平氏の「内海聡発言」擁護問題を考えてみます]

  *  *  *

[おまけ・五野井郁夫氏のこと]
五野井氏は、高千穂大学で政治学の先生をしてらっしゃる方で、「反原発」など主張には納得できるものもあるのですが、ちょっと「素行」の悪い方のようです。

山梨学院大学法学部教授の小菅信子氏や、報道作家の宮前ゆかり氏に対して、五野井氏は人目につかないところで「脅し」や「妨害」をなさっていらしたようです。

今回、三宅氏の発言を引用なさったのも、世論を誤った方へ向けるための意図的なものでしょうか。

2016年7月26日火曜日

気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか


[この記事のまとめ]
○サラリーマン生活をいつかやめたいと思っているあなたへ。
1. 物ごとをきっちり進めるタイプのあなたは、田中優さんの記事を参考にしてください。
・いきなり会社をやめずに堅実に独立する方法です。
2. 物ごとをきっちり進められないタイプのあなたは、ぼくの話も読んでみてください。
・人生、思い切りも必要だよね、という話です。

  *  *  *

市民活動家の田中優さんが『日常生活からのテイクオフ』という記事を公開しています。(内容は「サラリーマン生活からのテイクオフ」ですね)

記事には、自分がサラリーマンをやっていたときの「しんどかった」気持ち、そして独立して自由に好きな仕事ができることの「喜び」が書かれています。

そして、今はサラリーマンをやっているけれど、いつか独立したいと思っている人に向けて、自身の経験をもとに、こんなふうにやったらいいよ、とアドバイスをされています。

・今サラリーマンをしているなら、いきなりやめず、きちんと準備をする、
・現在の支出を見直して、無理なく節約する、
・二足のわらじ、ならぬ、複数のわらじを履く(一つだけでなく、いろいろなことにチャレンジ!!)、
・節約して貯まったお金は、次の生業に向け、未来の自分のために投資する、
・インターネットを上手に使い、多くの人とのつながりを作る、
・そして、具体的な事業の立ち上げ方....。

物ごとをきっちり進めるタイプの方は、ぜひ優さんの記事を参考にしてみてください。
[『日常生活からのテイクオフ』]

  *  *  *

さて、ぼくは優さんとは違って、物ごとをきっちり計画して進めていけるタイプの人間ではありません。

いつも行き当りばったりなので、奥さんには「あんたはもう少し、準備や計画ができないのか」と怒られてばかりいます(笑)。

もし、あなたがそういうタイプの方だったら、ちょっと話を聞いてほしいんです。

☆会社勤めなんかしなくても、人生なんとかなります

[ここからぼくの個人的なサラリーマン生活の長い話が続きますので、それは読まなくていい、という方は、次の節へ跳んでください]

ぼくは、大学を出たあと、サラリーマンになりました。

ずっとサラリーマンにはなりたくないと思ってたんですけどね。

それは、自分の親父がサラリーマンで、どんな仕事をしているのか、よく聞いたこともなかったんだけれど、なんともつまらなそうだったからなんです。

けれど、当時はバブルの好景気で、大卒なら仕事はいくらでもありました。

それで、せっかく大学を出たんだから、サラリーマンというものがどんなものなのか、一回経験しておこうと思ったんですよ。

入る前から、二年くらいでやめようと、漠然とですが思っていました。

大手の精密機器メーカーにソフトウェア屋として就職したんですが、その会社では実際の部署に配属される前に、営業実習と工場実習があるんですよね。

どっちも地獄でした。

ぼくはSF好きの内向型おたく人間ですから、営業なんて、やってられないんです。

何日かやって、もうダメだと思って、配属先の上司に相談しました。

そしたら、寿司屋に連れて行かれて、「きみ、どうだね、しんどいかね、もう少し頑張れんかね」みたいな話になって、なんか拍子抜けしちゃって、そのまま、営業実習を続けてしまいました。

そういう軟弱な男なんですよ、ぼくって。

そのあとは、もっともらしく数だけはこなして、実際はさぼってビリヤード屋に行ったりしていい加減なことしてましたけどね。

まったくのダメ人間です。

そして、工場実習。これまたきつかった。

いわゆるラインの作業なんですが、ベルトコンベアでどんどん回ってきたりはしませんでした。

それでも一日中、立ち仕事というだけでしんどいのです。軟弱なのです。

またその組立て作業の難しいこと。「こんな硬い部品を素手でここに押し込めって無理だよ」と悲鳴を上げたくなるような組立てを、うら若い女性の方々とともに一日中つづけるのです。

工場は神奈川県にありましたが、働いてる工員さんはまだ若い女性ばかりで、ちょっと「ヤンキー」な方々だったりしたのです。

そして、営業実習と工場実習をなんとか無事終えて、ソフトウェアの開発現場に配属になったわけです。

バブルの真っ最中でほかの部署は残業だらけなのに、うちの部署は仕事がロクになく、毎日遊んでいるといってもいいくらい楽な職場でした。

にもかかわらず、会社に行きたくないんですよね。

毎朝、会社へ向かう電車の中で、「あと、三つで会社のある駅に着く、あと、二つだ、あー、あと一つだ、あぁー着いちゃった」とか思いながら、会社に通ってました。

半分ビョーキです。

それで、ちょっとしたきっかけがあって、会社をやめる決心をしました。

入って二年目の11月だったのかなぁ、すぐ上の上司の自宅に電話をして相談して、課長と話して、それで、冬のボーナスもらって年内にやめたかったんですよ。

でも、それはちょっと、と言われてひと月伸ばし、翌年1月まではいたという、分かるような分からぬような、退職時期にまで日本的感触をたっぷり味わわせてくれる会社でした。

そんなこんなの、二年足らずのサラリーマン生活でした。

☆会社をやめたら路頭に迷うなんて、ただの思い込みです

そうやって、やめるための準備もせず、勢いだけで会社やめてしまったあとは、ぼくはもうフルタイムの仕事には就きませんでした。

会社をやめて、いつの間にか、もう26年です。今年52歳になります。いいおじさんです。
いや、悪いおじさんかも(笑)。

もちろん、家族持ちの方に無責任に会社をやめろ、という気はありません。

それでも、もし本当に会社勤めが辛いのなら、きちんと家族と話し合って、会社をやめる準備をしたほうがいいかもしれません。

何も言わないで無理を続けると、ある日突然、会社に行けなくなってしまうかもしれません。

そうではなくても、その本音を家族に話して、受け止めてもらえれば、それだけでも気持ちは楽になるはずです。

受け止めてもらえない場合は......。また別のやり方を考える必要があります。

  *  *  *

会社をやめたからって、その日から食べるものもなくて困るってことは、普通ありませんよね。

それに本当に困ったときには、生活保護という制度もあります。

ただし、生活保護の出し渋りという問題もありますので、いろいろ事前に調べておくことがおすすめです。

......って、なんだか、元気の出ない話になってますが、実はぼく結構、心配性なんですよ。

頭のてっぺんからつま先まで無計画な人間なんですけど、すごく心配症な面もあって、最後は生活保護があるから大丈夫、みたいなところで、自分を納得させてるのです、はい(笑)。

ということで、心配は心配として、それなりにした上で、動くときは思い切って動く。

それも、また人生ってことなんです。

  *  *  *

とにかくぼくは、この26年間、一つの生業を持つことなく、なんとか生き延びてきました。

専門学校や学習塾の先生、環境関係などの市民団体でアルバイトしたこともあるし、身体・精神の「障害」者の作業所でも働きました。昨年の今頃はマレーシアのサラワクで日本語教師の有償ボランティアをしたのもいい思い出です。

こうしたすべての経験が、ぼくの中で何物にも代えがたい財産になっていますし、そうした経験をもとに、今はこうしてネット上での文筆業を試みているところです。

こうした縛られない暮らしは、気楽ではありますが、それなりのしんどさもあります。

誰にでも、おすすめできるものではありません。

けれど、もしあなたが、自分の会社勤めというものに、どうにも納得できないでいるのでしたら、思い切ってやめてしまう、というのも一つの方法なんです。

自分の固定観念を捨てて、社会の固定観念からも自由になる。

それを「心のオフグリッド」と呼びたいと思います。

そうやって思い切って行動を起こすと、案外、別の世界への扉が開けてきたりするもんですよ。

もちろん失敗するかもしれません。

でも、自由ってそういうことですよね。

自分の失敗は自分で受け止め、それを糧(かて)として生きていけば、それは失敗なんかじゃなくて、あなたにとって大切な経験になるわけですから。

固定観念の網の目(グリッド)から離れて(オフ)、「心のオフグリッド」の世界に飛び込んでみようじゃありませんか。

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2016年7月25日月曜日

「洋平・昭恵会食」再々考、ネット「世論」をどう読むか


[この記事のまとめ]
・二人の会食について、Twitter と Facebook 上での反応をもう少し検討したのち、ネット「世論」についての考え方を提示。

・ネット「世論」、すなわち、ネット上の意見は、どうしても偏りがち。だから、「別の視点」はないか、いつも注意するべき。

・ネット上の意見はただの喧嘩になりがち。だから、「怒り」の感情が湧いたら、一旦端末をおくべき。「怒り」にまかせて発言するのは最悪手。

・「怒り」だけでなく、ネット上での「感情的」な発言は多い。それに巻き込まれないよう注意が必要。とはいえ、「感情的」な発言をする人を否定してもしょぅがない。「感情的」な発言をせざるをえない人の事情も考えていかなければ社会は変わらない。

  *  *  *

2016年7月10日に投票が行われた参院選・東京選挙区から立候補したミュージシャンの三宅洋平氏が、その直後の7月17日に、安倍総理夫人の安倍昭恵氏と会食しました。

その会食については、経緯を紹介した上で、ヘリパッド建設問題を抱える沖縄・高江の視点からの問題点を、こちらの記事では指摘しました。
[大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって]

また、こちらの記事では、ぼくの周りのネット上の反応を見た上で、この会食は三宅氏にとって支持者の「分断」を招く「大失点」であったとの見方を示し、その「失点」を取り戻すべく三宅氏には頑張ってほしい、また支持者の方には三宅氏の成長のためにぜひ助言をしてほしい由を書きました。
[洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために]

今回は、二人の会食について、Twitter と Facebook 上での反応をもう少し検討してから、この「炎上」気味のネット上での反応を、どう受け止め、どう生かしたらよいのかを考えます。

具体的な例はあげませんので、ご自分でこれに関わる発言を見たときに、あ、この発言は、あの分類になるな、とか思って見ていただけたら幸いです。

1. 肯定的なもの。これは、意見を異にする者の間で「対話」をしたことは素晴らしい、という感じのものです。

この考え方については共感する部分も多いのですが、

・「主流派」に取り込まれるおそれを感じていない点でナイーブ、
・沖縄・高江などで現に「被害」を受ている人たちの立場の視点が欠けている点でバランス感が悪い、

と思います。

友だちにこういう人がいる場合は、ナイーブさやバランス感の話をしてみてもいいと思いますが、そのときは決して相手の意見を否定しないことが大切でしょう。

相手の意見を否定すると友情が壊れる場合があります。

相手の意見を否定しないという絶対の自信がある場合をのぞいては、話はしないほうが無難かもしれません。

2. 否定的なもの
2.1. 沖縄の人からの、裏切られた、という声
三宅氏は、これには真剣に答えなければなりません。
また、周りの人間もこの「痛み」の発言をきちんと受け止め、沖縄と「本土」との温度差をよく知った上で、三宅氏を応援していく必要を感じます。

「選挙フェス」で、「戦争反対」、「米軍基地反対」を言って盛り上がっていたみなさんが、三宅氏のあのタイミングでの昭恵氏との会食、あの説得力のない事後コメントについて、彼にその問題点をきちんと伝えることこそが、一番の応援だと思います。

2.2. 運動家の方からの、裏切られた、という声
「選挙フェス」であれだけ「安倍反対」を言っていたのに、昭恵氏と会うとは何ごとだ、というものです。
気持ちは分かりますが、なぜ、なにがダメか、を冷静に伝えるものはあまり見当たりませんでした。
ここでも、高江問題に関わるところからの指摘はいくつかあり、それには共感します。

2.3. 「冷笑」する声
これはもともと三宅氏に反対する人たちが、「揚げ足取り」のような発言をしているだけなので、わざわざ反応するには及ばないでしょう。

ただし、こうした発言が目について「怒り」の感情が沸き上がってくる場合は、その発言が自分の中の「問題点」を教えてくれている可能性があります。

余裕があれば、その発言の何に怒りが湧くのか、その発言に似た発言を自分がすることはないか、逆にそうした発言をしたい気持ちを無理やり自分の中に閉じ込めていないか、などなど、落ち着いて振り返ってみると、何か発見があるかもしれません。

3. 肯定でも否定でもなく、注意を呼びかけるもの
昭恵氏との会見で支持者が「分断」される危険を注意するものや、Twitter での断片的発言の問題点を指摘するものがありました。
この点については、三宅氏もすでによくご理解のはずですから、今後の改善に期待します。

  *  *  *

ここで、ぼくの考えるネット「世論」との付き合い方について、三つのことを述べてみましょう。

1. ネット上の意見は偏りがち。だから、「別の視点」はないか、いつも注意するべき。

ネット上に頻繁に書き込む人は、一般の世論の代表というわけではありません。

一部の人の書くことを全体像と勘違いしないことは重要です。

また、書いてあることが本当に正しいのか、立ち止まって考えることも大切です。

いつも、別の視点がないか、と気をつける態度が望ましいでしょう。

これは世論調査やメディアの報道などについても同様です。

誰が調査をするのか、誰が報道をするのかによっても、結果が違ってくるからです。

調査票の質問の言葉次第、結果の数字のまとめかた次第、またその報道の仕方次第で、世論を誘導できる点については、よくよくの注意が必要です。

2. ネット上の意見のやりとりは、ただの喧嘩になりがち。だから、「怒り」の感情が湧いたら、一旦端末をおくべき。「怒り」にまかせて発言するのは最悪手。

このことは、こうした経験のない方にこそ注意を呼びかけたいと思います。

自分では何気なく書いた言葉が、あらぬ所で「怒り」の感情を引き起こすことはママあります。

かといって、ネット上で発言することを遠慮する必要はありません。

誰かを怒らせてしまった場合、相手が何を怒っているのかよく確かめ、自分の発言に足りないところがあれば、十分説明し、謝るべきは率直に謝る姿勢が大切でしょう。

3. 「怒り」だけでなく、ネット上での「感情的」な発言は多い。それに巻き込まれないような注意は必要。けれど、「感情的」な発言をする人が悪いわけではないので、「感情的」な発言自体を否定してもしょうがない。「感情的」な発言をせざるをえない人の事情も考えていかなければ社会は変わらない。

「怒り」だけではなく、「悲しみ」や「痛み」、「不安」などの気持ちもネット上では多々見られます。

そうした気持ちに寄り添うことができれば一番いいのですが、相手の「痛み」を十分には分かっていないところで不用意な発言をすると、逆に相手を傷つけてしまう場合があります。

昭恵氏との会食のあとで三宅氏が出した「総理、何なら一緒に高江に行きませんか、とは云えませんでした。三宅はまだそんなもんです」というコメント、これはまさにそのケースと思います。

三宅氏はこの発言で、「沖縄・高江の問題を伝えたいけれども伝えられなかった自分の無念」を、沖縄の友人たちに伝えたかっただけなのだと思います。

けれど、三宅氏を直接知らない、今まさに、大きな「悲しみ」と「痛み」と「不安」を抱える沖縄の方々は、この発言にどれだけ傷つき、幻滅し、怒りを感じたことでしょう。

三宅氏がこのことに一日も早く気づき、沖縄の方々に謝罪なさることを願ってやみません。

また、「怒り」を含め、感情的な表現をする人自身が悪いのではないことも理解するべきところと思います。

なぜ、その人たちは感情的な発言をせざるを得ないのか、そこまで追い込まれる人がいるこの「社会」とはなんなのか、といった視点なしには、この社会を変えていくことできないと思うのです。

☆こちらもどうぞ。
[大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって]
[洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために]

☆沖縄・高江のヘリパッド建設問題については、こちらを。
[終わり続けるニッポン、沖縄・高江「戦時下」の現実]

2016年7月24日日曜日

「陰謀論者」で「レイシスト」な洋平を、それでも俺が応援する三つの理由


※タイトルを『どこまでも「あほう」な洋平を、それでも俺が応援する三つの理由』から改めました。[2016.07.25]

[この記事のまとめ]
・三宅洋平氏は「陰謀論者」で「レイシスト」でどうにもアカン。

・けれども、次の三つの理由で、俺は洋平を応援する。

1. 反原発、反戦争国家化をはっきり表明している。

2. 彼にはカリスマがあり、新しい可能性がある。

3. 彼に代わる人物は今のところ見当たらない。

  *  *  *

三宅洋平氏の、ネット上での発言を、見れば見るほど、「この人あかんわ」という気分が湧いてくる、というのが正直な気持ちです。

「『障害』のある子を生んだ親は一生反省しなければならない」という2015年6月の発言で問題視される内海聡医師ですが、2015年3月には「え、アベシが日本人じゃないってまだ知らない人がいるの?」という個人攻撃かつ外国人差別としか考えられない発言をしています。

三宅氏はその「問題」発言をシェアした上、「アベシは確かに売国の度が過ぎて、その出自との関連を疑わざるを得ない」と発言してネット上で問題となりました。

その結果、三宅氏はこの発言に関連して「釈明とお詫び」というタイトルで記事を書いています。

しかし、
・「売国」という言葉を安易に使ったことに対する謝罪はありませんし、
・「金融ユダヤ人」という差別的な用語をわざわざ使っている上、
・「田布施システム」という根拠の不確かな説にまで言及しているところは、
「陰謀論者でレイシスト」というネット上の評判に、貢献するところはあっても、否定するためにはまったく役に立っていないと思われます。

さらに、2010年5月の古い記事ではありますが、ロスチャイルド家やイルミナティによる「世界支配」という説を紹介する記事を書かれており、これも「反ユダヤ主義のレイシズム的陰謀論」というしかないでしょう。

  *  *  *

こちらは、三宅氏の一昨日7月22日のツィートです。
総理大臣が誰になっても基地の推進が止められない法的構造がわからないから「総理にもう一回電話して止めろと言えばいい」などというトンチンカンなことを言ってくるわけだ。そこを理解して、国際法を含む法的な対処、外交的な対処を要求していかないと、この現状は変えられないのです。
それに対して、このようなリプライをしている方がいます。
裁判での和解を無視し、島尻愛子が落選した翌日に大量の機動隊を投入して突然工事を再開したのは総理の命令。命じなければ良いだけ。止められる。 総理に高江のことを言えなかったことを、後悔しているなら、話をすり替えずそう言えばいい。
「誰が総理になっても基地の推進はとめられない」というのは、一面の真実かもしれません。

日本がアメリカの「属国」的立場にある以上、100%否定するわけにはいかない考え方です。

けれども、例えば、吉田茂は、アメリカの意向に素直に従うことはせず、日本の再軍備をできる限り遅らせました。

安倍総理も、参院選の翌日から沖縄・高江のヘリパッド建設の再開の準備に入るのではなく、時間を作って沖縄県民の声を聞く機会を持つことで、基地問題の解決に取り組む姿勢を見せることはできたはずです。

安倍総理に対して、こうした意見を伝えることは、政治において非常に重要なことでしょう。

三宅氏は、せっかく電話で総理と直接話す機会があったのに、そうした意見を伝えることができなかった自分を詫びることはせず、「総理、何なら一緒に高江に行きませんか、とは云えませんでした。三宅はまだそんなもんです」という曖昧なコメントをしただけでした。

にもかかわらず、「もう一度電話して伝えた方がよい」という助言を「トンチンカン」なコメントとして一蹴する態度は、「対話」を大事にする姿勢とは、あまりにかけ離れているのではないでしょうか。

三宅氏が、ネット上などでの「強い調子の非難」にうんざりされているだろうことは、容易に想像がつきますが、そうした「攻撃」に負けないだけの精神力を養う工夫も必要かと思います。

また、「トンチンカン」などという強い言葉を使うのは、お互いに消耗するだけでしょうから、その点についても十分考慮した上で発言する必要を感じます。

自分の中に「怒り」がある状態での発言は、相手を挑発するような強い言葉になりがちですので、気持ちが落ち着くまでは発言を控えたほうがよいかと思います。

  *  *  *

以上、「陰謀論者でレイシスト」という批判に十分答えていない点と、ツィッター上での発言のあり方について、問題点を指摘しましたが、それでもぼくは、三宅氏を応援したいと思います。

その理由は三つあります。

・一つめは、三宅氏が、原発と日本の戦争国家化にはっきり反対の意を表明しているからです。

福島であのような事故が起きたにもかかわらず、十分な対策もなされないまま、原発の再稼働を進める政府の姿勢は到底容認できません。

また、沖縄・高江の事態に見られるように、国民の権利を無視してまで、アメリカの政策に追従し、戦争国家化へ向かう安倍政権に対して、はっきりと反対の意を表することは重要です。

・二つめとしては、三宅氏にはカリスマがあります。

このカリスマは諸刃の剣ではありますが、その危険性に関しては、支持者の人々が、彼の成長を助ける率直な助言をし、彼が暴走することのないよう、しっかりと見守ることで、解決できるはずです。

彼のカリスマによって沸き上がっている、若い世代の間の熱い思いを見ると、今までにはなかった新しい可能性が感じられます。

・三つ目は、彼に代わる人物が見当たらないことです。

彼のことを、非科学的で、カルトで、レイシストだと、批判し、今までの行動やそうした発言からして「三宅など論外だ」という方には、言葉もありません。

しかし、現に今、彼に代わる人物が見当たらない以上、ぼくが「政治」に関わる上でできる最善のことは、彼の成長の可能性を信じて応援することだと考えるのです。

今後も三宅洋平氏の動向に注目し、彼の成長の手助けとなれるよう、問題点を指摘し、応援を続けていきたいと思います。

最後にひとこと。

「ちばりよー、洋平っ!!」

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[2016.11.16 追記]
高樹沙耶氏が大麻所持の疑いで逮捕されたことなどから、大麻の有用性を論じる三宅洋平氏や安倍昭恵氏についても、ネット上ではいろいろ取り沙汰されているようです。

けれども、法律で規制されている大麻を、実際に所持することと、その法律の適用についての問題を論じることは、まったく次元の違う話です。

日本では大麻という有用な植物について、「麻薬」という側面からの誤解に基づいた悪印象がつきまとっていますが、医療用の利用なども含め、冷静な議論が望まれるところと考えます。


日本の方々が慣れ親しんでいるアルコールと比べたとき、はたして大麻にはどの程度の害悪があるのか、そういう観点からの検討も重要なのではないでしょうか。

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☆関連記事です。こちらもどうぞ。

[洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために]

[なぜ今井絵理子は当選したのに三宅洋平は落ちたのか]

[三宅洋平は安倍総理の「コバンザメ」じゃない]

[「大物」か「あほう」か、三宅洋平、安倍昭恵と高江に同行]

[「天然系・総理の密使」安倍昭恵氏が沖縄高江のヘリパッド建設反対運動テントを訪問]

[昭恵氏の高江訪問について三宅洋平氏に今伝えたいこと 2016年8月9日]

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2016年7月23日土曜日

洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために


[この記事のまとめ]

・三宅洋平氏にとって安倍昭恵氏との会食は、「タイミング」、「セッティング」、「事後のコメント」のいずれもが「最悪」のものであり、「大失点」であった。

・けれども、三宅氏には、この「大失点」を取り戻すだけの「力」がある。

・三宅氏の支持者には、この「大失点」の意味をよく理解してほしい。

・現時点で三宅氏に懐疑的な方々には、三宅氏の今後の成長を暖かく見守ってほしい。

  *  *  *

ミュージシャンの三宅洋平氏は、2013参院選では、比例区で17万票を獲得したものの落選、今回7月10日投票の2016参院選東京選挙区では、堂々25万票を獲得したものの、当選ラインの50万票には遠く及びませんでした。

また、三宅氏は、参院選直後7月17日に、沖縄・高江でヘリパッドの建設再開が強行される中、安倍総理大臣の夫人である安倍昭恵氏と会食したことで、ネット上では毀誉褒貶の発言が見られました。

三宅氏は7月21日、沖縄・高江のヘリパッド問題に関する記事を、ご自身のプログで公開し、高江の問題を扱ったドキュメンタリービデオ『標的の村』を紹介しています。

そのコメント欄を見ると、高江の問題を知らなかった方や、『標的の村』の存在は知っていてもまだ見ていなかった方からの、こうした問題をもっと知る必要がある、といった内容の好意的な発言がなされています。

なお、沖縄・高江では、昨日7月22日、現地で座り込みで抗議をする住民の方々や応援で全国から駆けつけている方々が、全国から派遣された大規模な機動隊によって強制排除される事態となりました。

国のやり方に反対し、平和的に抗議活動している人々を、暴力的に排除する国のやり方には、どうにも納得がいきません。

沖縄・高江の問題については、こちらに書きました。
[終わり続けるニッポン、沖縄・高江「戦時下」の現実]

  *  *  *

さて、今回は、「洋平・昭恵会食」の件について、まず、ネット上のぼくの周りの反応を紹介します。

・画家の内海信彦氏は、Facebook でてんつくマン氏のブログを紹介し、「もう十分でしょうね」という言葉で、三宅氏を支持しない意思を表しています。

コメント欄では、「ここまで腐っていたら救おうとするものまでが、溺れてしまいますよ」ともおっしゃっています。

また、多くの方がコメント欄に賛意を表明しています。

・ミュージシャンの佐藤龍一氏は、同じく Facebook で、三宅氏の地震兵器などのに関する非科学的な発言などを理由に、支持できないとおっしゃっています。昭恵氏との会見については特に述べられていません。

・心理職の友人(女性)は、「三宅氏は経歴からいっても、弱者の気持ちができないと思う。昭恵氏との会見がある前から、権力側に転びそうで心配だった」と三宅氏について否定的な意見でした。

・また別の心理職の友人(男性)は、「対立関係にある者同士が話し合ったことは評価できる。高江の問題について総理に意見できなかったことも、今の彼では仕方ない」という見方でした。

・音楽関係の友人(男性)は、昭恵氏が投稿した写真について、そこに写っている若者たちと、投稿されたコメントを見て、その「お気楽さ」を指摘していますが、「会食後に出された三宅氏のコメントは悪くなかった」と言っています。

※三宅氏は、昭恵氏との会食の場で安倍総理と電話で話したことを、「立場は各々ながら、国を思い世界を憂う国士として同じ気持ちだと思っています」と総理に伝えたと、Twitterで発言しています。

  *  *  *

・安倍政権に対して反対の立場にある三宅氏が、総理の夫人である安倍昭恵氏と会食すること自体は、彼が常々、話し合いによる解決を主張していることを考えれば、それを一概に否定することはできないでしょう。

そもそも「政治」というもの自体が、単なる多数決ではなく、十分な話し合いをした上での合意をもとに、物ごとを進めていく手法であるはずです。

ですから、「会食」自体が問題とは思いません。

・けれども、参院選・沖縄選挙区で沖縄県民は、自民党の政策に対してはっきりと反対の意を表明しました。

その沖縄県民の民意を無視して、安倍政権が沖縄・高江におけるオスプレイ・ヘリパッド建設を強行するという状況があります。

そのさなかに、昭恵氏と会食したことは、タイミングがあまりにも悪すぎます。

三宅氏の支持者に少なからぬ分断をもたらしたものと思います。

・また、会食の場が、酒の席で、密室の状況だったことも問題があります。もっとオープンな場での会見とするか、中立的なジャーナリストを入れるなどの配慮が必要だったのではないでしょうか。

・事後のコメントも大きな問題です。

沖縄・高江の問題が「切迫」している状況の中での、あまりに温度差がありすぎる「お気楽」な発言は、沖縄の方々に、怒りや失望の気持ちをもたらしたと思われます。

また、事後のコメントが Twitter 上での細切れのものだったことについては、横須賀市議の藤野英明氏が、次のように発言しています。
洋平くん、断片的な情報しか届けられないツイートだと、不要な誤解を招いたり、アンチが喜んで切り貼りする材料を自ら提供することになると僕は思います。ある程度の文書にまとめてから、ブログ記事にもぜひされてはいかがかと個人的にはオススメいたしますm(_ _)m

・さらに言えば、三宅氏の過去の発言の中には、3.11に関して地震兵器の使用を疑うものや、縄文極右を名乗るなど、「現実と乖離していて空想的だ」と批判されても仕方のないものが散見されます。

  *  *  *

三宅氏は、今後も政治活動を続けていかれるようですから、こうしたご自分の行動や発言が、支持者の間にどういう影響をもたらすかについて、慎重に考える必要があると思います。

その上で、訂正するべきは訂正し、説明の必要なものは十分な説明をすることで、支持者の方々が、安心して支持を表明し、周りの誰にでも推薦できる魅力的な候補者に是非なっていただきたい。

そのためにも、三宅氏を支持している方には、彼の問題点についてはっきりと意見することによって、彼の成長を手助けすることが期待されます。

そして、現在の三宅氏を懐疑的な目で見られている方々には、どうか三宅氏の伸びしろというものに着目し、今後の成長を暖かく見守っていただけたらと思います。

2016年7月22日金曜日

最高の幸せ、フロー体験を知ってますか?


みなさんは、フロー体験って聞いたことありますか?

何かをすることに完全に没頭していて、同時に頭が冴え渡っていて、時間が経つのも忘れるくらい幸せな状態のことです。

ミハイ・チクセントミハイというハンガリーの心理学者が提唱する考えです。
[wikipedia でミハイ・チクセントミハイを見る]

第二次世界大戦が終わったとき、ミハイさんは10歳でした。そして戦後の困窮生活を体験する中で、ユング心理学との出会いがあり、やがてアメリカで幸福とは何かを研究するようになります。

そうして彼は、人々が、日々の暮らしの中や通常の経験の中の、いったいどんなところで幸福を感じるのかを研究しているうちに、フロー体験という不思議な幸せの体験を見つけたのです。

完全なフロー体験というのは、スポーツ選手や芸術家、あるいは長年に渡って瞑想を続けた人など、一部の人に限られるかもしれませんが、子どもの頃、遊びに夢中になって時間を忘れてしまった経験は、多くの人がお持ちではないでしょうか。

ミハイさんは、そのフロー体験の状態について、次のように説明しています。

・時間の流れの中で、いつも自分のしたいことが分かっている
・していることについて、すぐさま反応が得られる
・する必要があることと、それが難しくても可能なことが分かっている
・時間の感覚が消失する
・自分自身のことを忘れてしまう
・自分はもっと大きな何かの一部であると感じる

こうした状態にあるとき、何をしているかは問題でなくなり、していることそれ自体に価値があることになるというのです。

フロー体験をするための確実な方法というものはないようですが、こんなちょっとした話を知るだけでも、なんだか人生が楽しいものになりそうな気がしますよね。

フロー体験のことをさらに知りたい方には、ミハイさんのこちらの本がおすすめです。
「フロー体験入門―楽しみと創造の心理学」[世界思想社 2010]
(ただし一部訳が読みづらいようです)

 難しい本も大丈夫な方なら、こちらを。これもミハイさんの本です。
  「フロー体験-喜びの現象学」[世界思想社 1996]

なお、この記事の内容は、TEDカンファレンスのビデオ「ミハイ・チクセントミハイ: フローについて 」(2004年2月)を参考にしました。英語の勉強がてら、ご覧になるのもおすすめです。

☆「幸せ」について、こちらの記事にも書いてます。
[幸せってなんだっけ・社会神経系と瞑想の話]

2016年7月21日木曜日

洋平と昭恵をつないだ「怪人」てんつくマンとは!?


のっけからすいません。タイトルはただの煽りです。

てんつくマン氏について、詳しく説明はしません。

彼のことをまったく知らない方はwikipediaをお読みください。

それでですね、wikiにも書いてありますが、このてんつくマンという人は「マルチ商法」と関わりがある方なんですよ。

その人が今回の「洋平・昭恵会食」をアレンジしてたってわけなんです。
[この会食の件についてはこちらをお読みください。「大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。」]

こちらにはてんつくマン氏自身がその経緯を書いてらっしゃいます。

別にてんつくマン氏が「マルチ」をやろうが何をやろうがかまいませんよ。

法律的にグレーな部分はあっても即犯罪ってわけじゃないですもんね。

けれども、沖縄・高江の問題が現在進行形のときに、そんな呑気な会食をしてるだけでも三宅氏にとっては「大失点」ですよね

その上、昭恵氏との間をつないでいるのが、てんつくマン氏のような「怪人」では、
「三宅、終わったな」
と多くの人が思っても、これはしょうがないですよねぇーー。

にもかかわらず、ぼくは思うのです。

このまま三宅氏が潰れていくままに放っておくのは惜しすぎます。

また、彼のカリスマが「主流派」に持っていかれたら、ただでさえ終わってるニッポンが、ますます終わってしまいます。

ですから、現在の「主流派ニッポン」に納得できないみなさん、今こそ三宅洋平氏に、しっかり意見して、彼が体勢を立ち直せるよう応援しようではありませんか。

今のままでは、三宅氏はダメです。

三宅氏は一刻も早く自分のダメに気づくべきです。

彼がそれに気づけるように、彼にメッセージを送りたいと思うのです。

攻撃や非難ではなく、建設的な意見を。

この記事もそういう思いで書いています。

☆沖縄・高江の問題についてはこちらに書きました。
[終わり続けるニッポン、沖縄・高江「戦時下」の現実]

☆映像作家・三上智恵氏の「戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り」(2016 大月書店)もおすすめです。

2016年7月20日水曜日

終わり続けるニッポン、沖縄・高江「戦時下」の現実


2016参院選が終わって、翌7月11日の朝5時過ぎ、大型工事車両と機動隊が隊列を組んで、米軍のヘリパッド建設予定地の沖縄県・東村高江に向かっていました。

辺野古基地建設反対を訴える伊波洋一氏が、参院選沖縄選挙区で当選を決め、県民が勝利に喜んだ9時間後のことです。

これによって沖縄選挙区では衆議院も参議員も自民党議員がゼロということになりました。

にも関わらず、安倍政権のあり方に対して反対する、その沖縄県民の意志を無視して、高江におけるヘリパッド建設の強行が再開されたのです。

政府は警視庁を始め全国から機動隊員約500人を派遣、防衛省も同省と地方防衛局の職員約60人を警備要員として配置、合計約560人を抗議行動の現場に投入する。

こうした準備が参院選のさなかに行われ、参院選翌日早朝からの工事再開となったわけです。

これに対し、
警備関係者は「工藤会の壊滅作戦と同規模だ。重火器を持つ暴力団と一般市民を同一視するのは尋常じゃない」と苦渋の表情を浮かべ、特定危険指定暴力団工藤会の壊滅作戦で2014年に機動隊が約530人に増派された例を挙げ、同様に一般市民に対峙(たいじ)する政府の姿勢を疑問視した。
との報道が沖縄ではなされています。

今日で参院選から10日が経ちます。

その間も資材搬入は続き、ゲート前で座り込み抗議する住民は、幾度も機動隊との間でもみ合いをせざるを得ない状況にあります。

7月17日の朝には、機動隊とのもみ合いで倒れた女性が救急車で運ばれました。

また、警察は高江に向かう県道で検問を行なっています。

これについて弁護士の小口幸人氏は、
検問の目的は「高江に行くと検問される」と表現の自由を萎縮させ、座り込みに来る人数を減らしにきたとしか思えない。県警がみだりに個人情報を集めるのは自己情報をコントロールする権利を侵害し、違法だ。
と琉球新報で述べています。

このように国家の側からの「テロ(恐怖政治)」が今日も続き、米軍基地を抱え続けざるを得ない沖縄の現状について、『今も沖縄は「戦時下」にあるのだ』といったら、言いすぎになるでしょうか。

わたしたちの「平和」な日常の影で、こうした「暴力」的事態が日々起きている。

そうした現実とどうやって向き合っていけばよいのか、また、「沖縄問題」を沖縄だけの問題ではなく、「本土」の人間も一緒に考えていくにはどうすればよいのか、考え続けていこうと思います。

参考: 三上智恵「わずか9時間の歓喜~高江工事再開・民意圧殺の朝~」
※映像作家の三上さんには「戦場(いくさば)ぬ止(とぅどぅ)み 辺野古・高江からの祈り」(2016 大月書店)という著書もあり、この本の紹介に『戦後70年、いまだ「戦時」を強いられる沖縄に真の平和を――』という言葉があります。

「全国の機動隊、高江へ~22日にも着工か~」
三上さんの今日7月20日付の記事です。
高江問題、沖縄問題に関して「本土」の人間として何ができるのか。改めて考えさせられます。

[こちらもどうぞ]
高江問題に関連して、2016参院選・東京選挙区から立候補した三宅洋平氏について書いています。
大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。

[追記 2016/07/23]
沖縄・高江では、昨日7月22日、現地で座り込みで抗議をする住民の方々や応援に駆けつけている方々が、全国から派遣された大規模な機動隊によって強制排除される事態となりました。

国のやり方に反対し、平和的に抗議活動している人々を、暴力的に排除する国のやり方には、どうにも納得がいきません。

前出の弁護士の小口幸人氏は次のようにご自身のブログで述べています。
弁護士には使命があります。法律で定められていまして、「基本的人権の擁護と社会正義の実現」が弁護士の使命です。琉球新報や沖縄タイムスで広く報じられているように、現在東村高江で、ヘリパッド建設に反対する住民と、工事を強行しようとする国の間で紛争が起きています。 
それぞれに立場と主張のある中ではありますが、だからといって、警察が違法な行為をしてよい、ということにはなりません。警察が違法なことまで行い、基本的人権が侵害されそうになっているときは、弁護士はその使命に基づき、人権の側に立ちます。
氏がブログで問題とされているような、警察の「違法」な取締りがなくなる日が、一日も早く訪れることを切に願うものです。

[追記 2016/08/26]
高江のヘリパッドの建設は現在も続行し、反対派の市民らは、少しでも建設を遅らせようと、非暴力の抗議活動を続けています。

機動隊などの強制排除により市民側に怪我人も出る状況の中、8月20日には「琉球新報」の記者が強制排除されるという事態も起こっています。

報道の自由を強制的に規制するとは、日本の民主主義もいよいよ赤信号が灯る状況かと思われます。

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2016年7月19日火曜日

大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。


2016参院選が終わって翌7月11日、安倍総理夫人である安倍昭恵氏が Facebook 上で三宅洋平氏に「公邸でお待ちしてます」との呼びかけをしました

それに三宅氏がこたえる形で、三宅氏とその支持者が昭恵氏と池袋のバーで会食しました。
7月18日付の投稿で昭恵氏は、「なんで多くの人が、三宅洋平を熱烈に支持するのか、わかったような気がします」との感想を述べています。

また、その場で昭恵氏は、安倍総理と三宅氏の電話会談を実現し、三宅氏はそのことについて Twitter で「立場は各々ながら、国を思い世界を憂う国士として同じ気持ちだと思っています」と総理に伝えたと発言しています。

また、別の投稿では、
「総理、何なら一緒に高江に行きませんか、とは云えませんでした。三宅はまだそんなもんです」
「高江の住民の気持ちを込めて『okinawa noproblem』capを昭恵さんに預けました」とも発言しています。

三宅氏の行動と、この一連の発言に対し、ネット上で賛否両論が出ているのは当然のことと思いますが、一つ気になるのは、高江問題に関する本土と沖縄の「温度差」のことです。

「三宅はまだそんなもんです」という発言に関して、宮古出身の友利修氏は、
だったら自分のナルシズムと政治的資本のために沖縄を食い物にするのは今後止めていただきたい。「まだそんなものです」などと言っていられない若い人が沖縄にはたくさんいます。
と強い調子で発言をしてらっしゃいます。

また、高江住民が座り込みを続ける中、高江で「弾圧」を続ける安倍総理の妻である昭恵氏と会食した上、彼女に「okinawa noproblem」という「意味不明瞭」な帽子を預けたことに関しては、
沖縄出身で東京選挙区で三宅に票を投じた私には残念な事でした。山本太郎の力になってくれる筈と疑問を持ちつつ支援した自分が呪わしい。
とまで書いている方もいらっしゃいます。

前の記事で書いた「障害者」問題への理解不足からくる「失言」もそうですが、三宅氏は、社会的弱者や、社会問題の実際の被害者が何を感じているかというこについての認識が「どうにも甘い」のではないでしょうか。

こうした「失言」を繰り返していては、主流派からの「分断工作」に、自らやすやすとはまっている、とすら言いたくなります。

参院選直後で「やすませて。というのが正直なところ」との発言もあり、人情としては「三宅さん、ゆっくりお休みください」と言いたいところですが、高江で現に問題が起こっているときに、現地で苦しんでいる人たちの神経を逆なでするような形での会食を、昭恵氏としたことは、本当に残念なことと思います。

その上、安倍総理と電話で話までしたのですから、そこで高江の問題に関する抗議の一言もなく、ただ「対抗陣営」と仲良くしました、という報告をするようでは、沖縄の人たちが失望するのも当然ではないでしょうか。

昭恵氏との会食自体を完全否定するわけではありませんが、総理に物申すだけの体力がないのなら、最初から会食などしなければよかったのに、と思ってしまいます。

三宅氏が今後、本当に政治家として活躍するためには、こうした一つ一つの問題を丁寧に扱い、支持者の分断を招くような行動や発言にはよくよく注意する必要があるでしょう。

以上、三宅氏という政治を志す方を応援する者としての氏への提言です。

  *  *  *

最後に、三宅氏の「失言」をあげつらい、非難するみなさんに一言。

みなさんは、安倍総理に代表される今の日本の「主流派」のあり方に、賛同してらっしゃるのでしょうか。

そうであれば何も言うことはありません。

けれど、もし、反対の立場にあるのならば、少しの考え方の違いから、あいつはダメ、こいつもダメというのではなく、可能性のある候補者に対して、もう少し寛容な態度で接することはできないのでしょうか。

三宅洋平氏は魅力ある候補者ですが、まだまだ「弱点」が多過ぎます。

それを非難するのは勝手ですし、少しは気も晴れるでしょうが、そんなことをしても「主流派」を利するだけじゃないですか。

そうした点を考えた上で、ただの非難ではない、建設的な批判をしていただけるならば、もっと希望のある未来が近づいてくるんじゃないかと思うんですけどね。

※高江の今についてはこちらに書いています。
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[三宅洋平氏の「内海聡発言」擁護問題を考えてみます]

2016年7月18日月曜日

三宅洋平氏の「内海聡発言」擁護問題を考えてみます


2016参院選の東京選挙区から立候補したミュージシャンの三宅洋平氏が、過去に「障害をもつ子を産んだ人は反省する必要がある」との趣旨の発言をしたことに関し、その発言において「反省」という言葉を使ったことの非を認め、ご自分のブログにおいて謝罪しました。

このことは評価できます。

ただし、この発言がなされる原因となった、内海聡医師を擁護したことについても、訂正の必要を感じます。

事の経過は、こうです。

内海聡氏という大層変わったお医者さんが、 Facebook 上で 2015年6月13日に、
「障害の子どもさんが生まれるというのは、いかに産む前妊娠前に両親が食と生活が乱れているかの証、それは一生かけて反省しなければなりません」
との発言をしました。

当然のように非難が殺到しましたが、それに対し内海氏は、「障害者の親は一生反省してもらってけっこう」と応えた模様です。

この出来事に対し、三宅洋平氏が、内海氏の発言を自分なりに言い換えた形で、「障害をもつ子を産んだ人も、そのことを反省しつつも、その反省を生かしながら障害とともにその子を大切にしていこう、そして障害を受けとめることに障害のない社会にしていこう」と整理し、その主張自体には問題がないのではないか、という趣旨の発言を 2015年6月18日にしたことから、三宅氏にも批判が及ぶ結果になりました。

今回、三宅氏が参院選に立候補したことにより、この発言が改めて注目されることとなり、多数の声が三宅氏に届けられ、その結果、三宅氏は「反省」という言葉を使った非を認め、謝罪の記事を2016年07月16日に発表されました。

三宅氏が、このように謝罪なさったことの真摯な姿勢は、大変評価できることと思います。

一方、同じ投稿で内海聡氏について、
「たまにおかしなことを言う、ぶっ飛んだ人だなーと表現者として思うときは僕もあるけれど、それって内海さんのキャラクターだと思うし、そのバイアス差っぴいて有益なことを医者としてたくさん発信していると思う」
と好意的な評価をしていることについては、今回の記事では触れていません。

内海聡氏の「医学の9割は不要」というような意見は、まったくの間違いともいえませんが、かなり極端なものですので、個人としてそれを支持する分には問題ないでしょうが、政治家として広く支持を集めるためには、前面に押し出すべきものとは思えません。

むしろ、そうした発言をする人物とは、はっきりと距離を取るべきでしょう。

また三宅氏は、今回の謝罪の記事で、 Facebook の当該投稿を削除したことを伝えています。
内海氏擁護の発言が、すでにネット上で拡散されていることを考えると、この削除は問題をうやむやにするためのものではないかと思われかねませんので、こちらの問題点についても、なんらかの行動を取ることが望ましいと考えます。

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[三宅洋平氏の「危うさ」とイケダハヤト氏の「バランス感覚」]

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2016年7月17日日曜日

三宅洋平氏の「危うさ」とイケダハヤト氏の「バランス感覚」


1. 切れ者イケダ氏の「三宅批判」に狂いはありません

2016参院選・東京選挙区で25万票を獲得し堂々落選した三宅洋平氏について、イケダ氏は「三宅洋平氏は支持できない」との発言をしています

イケダ氏が支持できない理由として取り上げている三宅氏の発言は、確かに問題含みのもので、氏の主張は、どれも納得できるものです。

なお、「障害児を産んだ親は反省すべき」という内容の発言については、前の記事に追記したとおり、三宅氏からすでに謝罪がなされています。

そこで今回は、「地震兵器」問題を取り上げます。

2. 三宅氏は確かに「危うい」と思いますよ

三宅氏は、東日本大震災の当日に、地震兵器が使用された可能性について述べています

それに対して、確認できる事実に基づかないこの発言は、「ただ単に陰謀論を撒き散らして、社会を不安にさせ、情報弱者を扇動させただけ」であると、イケダ氏は指摘しています。

この指摘はまったく正しいと思います。

こうした「危うい」発言については、三宅氏からの訂正が望まれるところです。

なお、地震兵器についてですが、その存在を信じる信じないは、個人個人の自由の範囲内と思います。

ここでの問題は、政治家になろうという方は、そうした曖昧な情報を無闇に流すべきではない、という話です。

3. けれども、イケダ氏のこの「バランス感覚」はどうですか?

イケダ氏は、前項の問題点を指摘した上で『「科学的に確認できる真理」に基づくリーダーを』と主張します。

これもまた、非の打ち所のないご意見ですが、この言葉は、参院選東京選挙区に立候補した「無名」の新人に対してではなく、例えば、自民党の安倍総裁に向けてこそふさわしい言葉ではないでしょうか。

こちらのリテラの記事にある、安倍総理の「TPP断固反対とは言ったことがない」という答弁は、レトリックとも詭弁とも言いがたい、ただの「嘘」にしか思えません。

「科学」がどうとか、「真理」がどうとか言う以前に、過去の自分の発言をなかったものとしてしまうような「嘘」を平然と言えるその姿勢は、「真理に基づくリーダー」からはほど遠いですよね。

イケダ氏ほどの、才能もあり、影響力もある方が、
しかも「三宅不支持」を主張する記事の中で、消極的ながらも「共産党支持」をおっしゃる方が、
日本の「リーダー」である安倍総理のこうした発言に対しては特に意見の表明はないままに、「泡沫候補」とまで言われる三宅洋平候補についてだけ、わざわざご自分のページで不支持を表明するということについて、「政治というものに対しての、そういうバランス感覚って、ちょっと、どうなのかなぁ」と思ってしまうのです。

4. 今後のイケダ氏の発言に期待しちゃいます

とはいえ、ユニークで新鮮な視点から様々な問題を論じるブロガーとして知られるイケダ氏の今回の発言は、ネット上で話題になっている、これも新しい感性の持ち主の三宅洋平氏に関して、ひとこと述べてみたという程度の話でしょうから、その発言のバランス感覚に多少問題があったとしても、それは決して責められるものではないでしょう。

イケダ氏が、これからも政治関連の発言を続けていくとすれば、そのときにはこうしたバランス感覚の問題にも配慮して、さらに意義ある発言をしてくれるに違いないと思いますので、今後の発言に期待して注目したいところです。

※こちらの記事も合わせてどうぞ。
[「三宅洋平」は「惨敗」したのか - 2016参院選・やじうま的雑感]

2016年7月16日土曜日

惜しい! イケダハヤト氏の「三宅洋平不支持」発言




前の記事「三宅洋平は惨敗したのか」でも参照しましたが、イケダハヤト氏が今回2016年の参院選の投票日の少し前に、東京選挙区から立候補した三宅洋平氏について「三宅洋平氏は支持できない」との発言をしています

このことが、なぜそんなに「惜しい」のか。

それはイケダハヤト氏が、三宅洋平氏の不支持を表明した記事の最後に、『「じゃあ誰がいいのよ?」という質問については……うーん、誰に入れようかなぁ。今回も共産党に入れるしかないのだろうか……』と書いてるからなんです。

そのように書く方であるからには、単純に「支持できない」というのではなく、「こういうことならば支持できる」という言い方もあったのではないかと思うのです。

イケダ氏は、
多数派の自公ではなく、
その対立軸として「期待」される民進でもなく、
あえてここで共産党の名前を出した上に、
三宅氏のビデオを紹介して
  『「選挙へのアプローチ」を評価して三宅氏に投票するのは、ありでしょうね』
とまでおっしゃっているのですから、
その方が「大声」で不支持をおっしゃるのは、ほんとに残念だなぁ……。

「条件付きで支持します」とは言えなかったのかなぁ……。

前の記事でも触れたとおり、ぼくは、イケダ氏が不支持の理由としている問題点[*]に関して、その問題提起はとても意味あるものだと思っています。

三宅氏がこうした疑問に丁寧に答えることができれば、支持層の拡大がはかれると思うからです。

けれど、選挙前の限られた時間の中で、そうした「問題」にひとつひとつ答えられるかどうかは、また別の問題です。

とすると、イケダ氏は消極的であれ、共産党支持の発言をしてらっしゃるのですから、そのような考えの持ち主であれば、その考え方を現実のものにしていくためには、「いくつかの問題はあるが、三宅洋平氏を支持する」という言い方をしたほうがよかったはずだと思うんですよ。

個人個人が、どういう理由で誰に投票するかとか、誰を支持し、誰を支持しない、とかいうことをネット上で表明するということ自体は、まったく自由にすればよいことですけれども、イケダ氏のような、ある程度の影響力を持つ方が、せっかく良い芽を持っている候補者に対して、いくつかの問題発言を取り上げて、全体的に「不支持」と述べるのは、本当に残念なことだと思います。「政策の点から支持できない」というのなら話は別ですけどね。

イケダ氏が今後も政治的な発言をするのであれば、ぜひこの点について考えていただいた上で、意義ある発言をしてくださることを期待します。

[*] イケダ氏は、以下の三点を問題としていますが、特に第一点目の発言は、社会的弱者に対する考え方として差別的と受け止められても仕方のない表現になっていのすので、ぜひ「反省」という言葉の持つ強い意味に関して、三宅氏にご一考いただきたいところです。
三宅氏に近い方がこれをご覧になりましたならば、このことについて、ひとこと伝えていただければ幸いです。

1. 内海聡氏の「障害の子どもさんが生まれるというのは、いかに産む前妊娠前に両親が食と生活が乱れているかの証、それは一生かけて反省しなければなりません」という発言を擁護していると取れる投稿をしている点。

三宅氏は、内海氏の上記発言に関して「障害をもつ子を産んだ人も、そのことを反省しつつも、その反省を生かしながら障害とともにその子を大切にしていこう、そして障害を受けとめることに障害のない社会にしていこう」と書いています。ここで「障害をもつ子を産んだ人」に反省を求めるのはおかしいだろう、という指摘です。

三宅氏の発言は、全部が否定されるべきものとは思いませんが、「障害」者とその家族を始めとする社会的な弱者の抱える苦しみに対する理解が不十分なため、差別的と受け止められても仕方のない不用意な表現になっていると思います。

ここで「反省」という言葉を使ったことについては、三宅氏から訂正と謝罪があってしかるべきかと考えます。

[追記2016.07.17 00:45]
「障がい」について [2016年07月16日(土) 20時42分07秒]という記事で、「反省」という言葉を使ったことについて、三宅氏はすでに謝罪の意を表明していることに気がつきましたので、ここに追記します。

2. 上記の発言に関連して「お母さんの胎盤からシャンプーの匂いがする」との書き込みがあること。
これについては、ネットで調べた限り、十分な根拠は見当たりませんでした。合成洗剤の毒性自体は、もっと知られたほうがよいと思いますが、こうした不確かな情報を根拠にするのは問題かと思います。

3. 東日本大震災の当日に、地震兵器の使用の可能性について述べている点。これはさらに根拠が曖昧ですので、問題と思います。

※「地震兵器」の件については、こちらの記事に書きました。
[三宅洋平氏の「危うさ」とイケダハヤト氏の「バランス感覚」]

2016年7月11日月曜日

「三宅洋平」は「惨敗」したのか - 2016参院選・やじうま的雑感




2016.7.10 参院選、改憲派が三分の二の議席数を確保しました。
日本の戦争容認国家化は雪崩を打って進んでいます。

一方、同日の鹿児島県知事選は、原発に反対の立場の三反園訓氏が当選。国レベルと地方レベルでの方向性のよじれを感じる結果です。

参院選の東京選挙区には、前回の参院選比例区に緑の党から出馬し、17万票の得票を得たミュージシャンの三宅洋平氏が立候補しました。

三宅氏は「選挙フェス」と銘打って、音楽を効果的に使うなど、若者の心を捉える選挙活動を行ない善戦しましたが、25万票の得票にとどまり、当選ラインの50万票は大きく下回りました。

ここでお断りしますが、ぼくは三宅洋平氏の主張を全面的に支持するものではありません。

彼の主張に共感する点は多いのですが、ネット上でも取り沙汰されている[*]ように、国政において国民の代理として働いてもらうには、いささか脇が甘いように思えるのです。
([*] 参照: 都議おときた駿氏のページイケダハヤト氏のページ )

けれど、上述の二氏のような形で、三宅氏の批判をするつもりはありません。三宅氏の脇の甘さは承知の上で、彼が今後も政治活動を続けるのならば、そういった点での成長を期待するものです。

そうした視点を確認していただいた上で、メディア学者の藤本貴之氏がblogosに書かれた記事を踏まえ、「三宅洋平」は「惨敗」したのか、という観点から少し書いてみようと思います。



さて、藤本氏の記事のタイトルは『<三宅洋平氏落選>実態なき支持層が産み出した「選挙フェス」という都市伝説』というものです。

この「都市伝説」ということについて、藤本氏は、
しかし、結果は、三宅氏はダークホースとして当落を争う激戦をすることもなく、普通に落選。三宅氏と彼の率いた「選挙フェス」による急激な支持拡大という情報が、単なる「都市伝説」だったことを露呈する結果となった。
と書きます。

たしかに「選挙フェスによる急激な支持拡大」がなかったことは、事実です。

けれど、重要なのは、前回の参院選比例区で17万票だった三宅氏が、今回は東京選挙区で25万票を取り、「選挙フェス」という手法の健在ぶりを示したことにあるのではないでしょうか。

また、10万票にも届かない候補が多い中で、25万票を獲得した三宅氏に対して「実態なき支持層」という言葉を使うのは、レトリックとしても拙いものと思えます。

藤本氏は「パーティピープル」の若者たちは、「選挙フェス」には参加しても投票に行かなかったかのような記述をして、そうした若者を「実体なき支持層」と呼んでいます。

しかし、当落ラインの半分とはいえ、獲得票数の25万という数字は、東京ドームを五日間満員にできるだけの数字です。

これだけの数字を、藤本氏言うところの「実体なき支持層」が投票として示したわけですから、大いに評価できることだと思います。



そして、「圧倒的な盛り上がりを見せている『選挙フェス』や三宅洋平候補のことを既存メディアは報道しない」という三宅陣営の主張に対し、上述のおときた氏は「陰謀論」といって否定的に取り上げています。

おときた氏の記事を見ると、三宅陣営自身が、メディアの「陰謀」という言い方をしているようで、確かにそれはいただけません。

しかし、藤本氏は記事の冒頭で「参院選・東京選挙区の話題の一つは「選挙フェス」と銘打った選挙運動を展開した三宅洋平氏だろう」と、その話題性について指摘しています。

とすれば、当落の可能性に関わらず、新しい選挙の形としての「選挙フェス」には、十分報道する価値があるということではないのでしょうか。



以上のように見たとき、改憲派が三分の二議席を獲得してしまい、逆に三宅洋平氏は当落ラインの半分しか得票できなかったという現実は、護憲派にとっても三宅氏陣営にとっても「惨敗」としかいいようのない結果だと思います。

けれど、ものごとをある一時点での結果だけで判断すると、長期的には誤りのもとにもなりかねません。

三宅氏が今後も国政選挙に立候補するかどうかは分かりませんが、そのこととは関わりなく、今後も彼のようなスタイルの若者があとに続くことは間違いないように思われます。

そのとき、「三宅洋平」的な方法論が健在であり、そこには多くの可能性が眠っていることを示してくれた点で、今回の参院選で、「三宅洋平」は「惨敗」したのではなく、相当程度の「勝利」をおさめたのだといって間違いないでしょう。

厳しい状況が続きますが、新しい世代の動きに期待するものです。

2016年7月9日土曜日

プロセスワーク - この世の調和を呼び戻す試み




プロセスワーク、あるいは、プロセス指向心理学の提唱者、アーノルド・ミンデルの「紛争の心理学」という本をどこで知ったのかは忘れてしまった。

けれども忘れられないのは、その本の中で、「社会的な葛藤というものは、個人的な葛藤と切り離すわけにはいかない」ことを教えてくれた場面である。

そもそもプロセスワークとは何かというと、ユング派の精神分析家であるミンデルが、タオイズムやシャーマニズムの要素を取り入れ、個人の治療だけでなく、グループでのワークも含め、「その場」で進行中の様々な心理的・身体的過程(プロセス)に注目することによって、問題解決をはかるための技法とでもいうところか。

プロセスワークの考え方としては、
場において意識されている側面である「一次プロセス」と意識されていないところで起こっている「二次プロセス」という捉え方や、
人はその人自身として振舞っている以上に、ある役割(ロール)を演じる立場で行動しているという見方、
更には、グループでワークをしているときに、それぞれの参加者が取っている役割(ロール)ではない、その場に直接現れていない役割(これをゴーストロールと呼ぶ)に注目するなど、
興味深い視点が多々盛り込まれている。

アーノルド・ミンデルは、妻のエイミーとともに、世界各地の「紛争」を抱える数々の地域に赴き、ワールドワークという名のもとに集団討論の場を主催してきた。ワールドワークでは、「紛争」の当事者同士が「対話」をし、互いの理解を深め、「紛争」の解決を目指すために、集団討論を行ない、ミンデル夫妻は心理学的な手法をもって、その討論を舵取り(ファシリテート)する。

そのワールドワークを、北アイルランドのベルファストで行なったときの話が、「紛争の心理学」に取り上げられているのだが、北アイルランドとアイルランド共和国という二つの地域の間の葛藤は、非常に大きなもので、多数の参加者がある中、双方が激しく主張をやり取りすることになる。

そうして、ある男性が激昂して相手を攻撃する言葉を吐き出し続けているときに、ミンデルはその男性の首が真っ赤になっていることに気がついて、次のような発言をする。
「ちょっと待ってください。あなたの首筋が真っ赤になってるじゃないですか。一体どうしたんですか」

すると、男性はふっと我に返り、「いや実は自分は心臓の病気持ちで、そのことが不安でならないんです」と答える。

この発言によって、この男性に対する共感・同情の気持ちが場に生じ、それまでの「二つの集団の間の葛藤」という構図が崩れ、「不安を抱える人間同士」という意識が生まれることになり、その後はお互いを尊重しながら対話を深めることができたというのである。

[なお、この場面は記憶に基づいて記述しているため、実際の内容とはある程度違いがあると思いますのでご了承ください]

社会的な不安の影に個人の不安があり、個人の葛藤の存在が明らかになったとき、社会の葛藤の解決の糸口が見つかるという、興味深い現象だと思う。

ぼくは、ワールドワークには参加した経験はないが、プロセスワークのワークショップには何回か参加させていただいた。

実際のワークでは、このような劇的なことは、そうそうあるものではないと思うが、その場の主催者であり舵取り役であるファシリテータの持ち味と、集まった参加者のそれぞれが持つ個性が相まって、そのときそのときの気づきが得られることは、大変よい経験になった。

このところそうしたワークの場からは遠ざかっているが、身近な人間関係の中で葛藤が起こるときなど、そうした経験が生かせるくらいに、ようやく体験の咀嚼ができてきたように思う。

こうした心理学的技法が広く知られるようになり、この紛争多き世界に少しでも調和が取り戻されるように願うものである。

なお、ミンデルの「後輩」に当たるプロセスワークの実践者であるゲアリー・リースは、イスラエルにおいて年二回のワールドワークを、パレスチナ、イスラエル双方から、また他にも世界各国の参加者を交えて行なっているとのことであり、こちらのページに紹介がある。

2016年7月5日火曜日

怒りの連鎖(カルマ)を断ち切る - ダッカの事件について考えたこと


7月1日、バングラデシュの首都ダッカのレストランを武装集団が襲撃し、人質を取り、立てこもりました。
この事件で、外国人20名が亡くなり、その中には7名の日本人も含まれていました。
また、地元の警官も2名が亡くなり、治安部隊の突入により、武装集団側も6名が死亡しました。

悲惨としか言いようのない事件で、言葉もありませんが、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

このような事件が起きるたびに、「あいつらは怖い」とか「あいつらをなんとかせねば」といった思いが、どうしてもぼくたちの気持ちの中に起こってくるわけですが、しかし、こうした問題は「あいつら」をなんとかすることで、解決することができるのでしょうか。

暴力に訴えて、社会秩序を乱す行為を容認するわけではありません。

しかし、犯罪行為というものを、犯罪者の罪として断罪するだけでは、問題は解決しないと思うのです。

まず一つあるのは、今回のような事件について「イスラム教徒」が引き起こしたもの、とぼくたちは考えがちですが、穏健なイスラム教徒の人たちから見れば、「イスラム教徒」の名に値しない武装集団の犯罪にすぎない、ということです。

そして、こうした武装勢力が暴力行為を実行する背景には、欧米とそれに追随する国々(日本もその一員です)が、パレスチナに始まり、イラク、アフガニスタン、シリアなどなどのイスラム圏の各国を戦争状態に陥れているという現実があることをまず見る必要があるでしょう。

つまり、これは「彼ら」の責任である以上に「我々」の責任なのだ、とぼくは思うのです。

ですから、問題を根本的に解決するためには、「エネルギー戦略に端を発する、武力による世界的な抑圧構造」を変えていく必要があるわけですが、無論それは一筋縄ではいかないことです。

そのとき、ぼくたち一人ひとりが第一に心がけるべきことは、過ちを犯した人々を赦すことではないでしょうか。

イスラム教徒の人たちが、同胞が殺されていくことに怒りを感じて、爆発させた暴力行為に対して、抑圧構造を支えている側のぼくたちが、怒りをもって応じることは、怒りの連鎖、暴力の連鎖を生むだけで、決して解決につながりません。

相手の怒りに対して、怒りで応じてしまうのは、人間の生理的な反応として当然のことではありますが、しかしまた、その当然起こる反応を、自分の意志によって変えていくことも、ぼくたちにはできるのです。

相手に対する怒りが湧いてきても、すぐにそれに気づき、怒っている自分から身を離して、怒りに捕らわれないようにして、やがてそれが去っていくのを待つのです。

そして、過ちを犯した相手を赦し、慈悲の心で相手の行動を理解することが、仏教を知るぼくたちのなすべき道ではないでしょうか。

ぼくたちは、一人ひとりが、自分のカルマを落としていくことをまず心がけるべきだと考えますが、同時に、他者のカルマに巻き込まれない、相手との間のカルマの連鎖を断ち切る、といった視点も大切になります。

相手の怒りが爆発したときに、それに巻き込まれず、怒りの連鎖を断ち切る。

日々の呼吸法、日々の瞑想の実践を続けていくことで、そういったことも可能になるのです。

お釈迦さまの言葉にも、「恨みに恨みで応えてはならない。恨みの連鎖を断ち切るには、恨みの気持ちが湧き上がらないようにする必要がある」[*]という意味のものがあります。

どうか、この世界の中の怒りの連鎖が、これ以上増大することなく、少しでも収まっていきますように。

[*]中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」(岩波文庫)より。
「実に、怨みが怨みによって熄(や)むことは、この世では決してない。怨みを捨ててこそ熄む。これは変わらぬ真理である」

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[楽しいカルマの落とし方 - オウム真理教について一言]

[瞑想にまつわるエッセイ・シリーズ二本]

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2016年7月1日金曜日

楽しいカルマの落とし方 - オウム真理教について一言


以前、別のサイトにも書きましたが、過去生の因縁としてのカルマ(業)というものは、ぼくは信じていません。

その代わり、あなたが、お母さん、お父さんから受けた影響、また、お母さんやお父さんが、そのお母さんやお父さん(あなたから見れば祖父母ですね)から受けた影響、そして更にそのまた、そのお母さんやお父さんからの影響、というふうにいくらでも遡っていける先祖代々から受ける影響のことをカルマとして第一に考えたらよいと思っています。

また、持って生まれた素質や、育つ過程で周りの人たちから受ける影響もカルマとして考えられます。

つまり、こうした過去からの影響全体を、カルマとして捉えることができますので、以前書いた記事の続きとして、こちらこちらにも書きましたが、この意味でのカルマを落とすためには、まず自分というものをしっかりと見ることが必要で、そのためには、呼吸法や瞑想法の実践が役に立つわけです。

さて、「カルマ落とし」という言葉は、オウム真理教が使ったことで有名になった経緯があります。

しかし、その使い方というのは、「苦行をさせてカルマを落とさせる」とか、「自分の身に悪いことが起きたらカルマが落ちるので喜ぶべき」とか、果ては「悟りを開いた者が他者を殺すことでその人のカルマを落としてやる」などといった大変乱暴なものであり、その挙句に、地下鉄サリン事件を引き起こしてしまい、死者13名、負傷者6,300名にも及ぶ被害者を出し、20年以上を経過した今でもPTSDなどの後遺症を多数の方が抱えておられることを考えると、なんとも痛ましい限りで言葉もありません。

カルマに関わるこうした乱暴な考え方は、世間の多くの人からすれば、愚かしい限りのものでしょうが、多数派の中に入ることができず、悩みを抱えながら日々を送っている人たちの中に、甘い誘いにそそのかされて、そうした悪魔的な道にうっかり足を踏み入れてしまう者があったとして、単純にその人を責めて問題が解決するとは思えません。

そうした人にも、もちろん責任(解くべきカルマ)はありますが、それと同時に、時代全体がおうべき責任(カルマ)があるように思えます。

ナチスドイツのヒトラーにせよ、オウム真理教の松本智津夫にせよ、こうした「怪物」を生み出してしまった時代精神というものを、しっかり認識することが何より大切なことだと思います。

そして、ぼくら一人ひとりが、同時代を生きるものとして、自分なりの責任というものを受け止め、自分自身のカルマを落としていくことなしには、こうした問題を解決していくことはできないのではないでしょうか。

「苦行でカルマを落とさせる」というような乱暴な考え方ではなく、ふと気がついたときに深呼吸をしてみる。そんな気軽なやり方を出発点にして、楽しくカルマを落としていきたいものではありませんか。

なお、オウム真理教および地下鉄サリン事件については多くの本がありますが、事件についての論評や価値判断を控え、実際に被害にあった方の証言を聴くことに徹した、村上春樹氏の労作「アンダーグラウンド」をおすすめしておきます。

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