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本の紹介: アーノルド・ミンデル「大地の心理学」、プロセスワークと瞑想の幸せな融合

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アーノルド・ミンデルは、ユング派の心理学を発展させたプロセス指向心理学 (プロセスワークとも呼ばれます) の創始者で、アメリカのセラピスト、グループワーカーです。 プロセスワークは、 ○人間の無意識が体の状態や様々な行動に現れることに注目し、 ○人間の行動を、意識のレベル(一次プロセス)と無意識のレベル(二次プロセス)の二つの重ね合わせとしてとらえ、 ○この二つのレベルにおける、多様な欲求間の葛藤を意識化することによって、統合的な人生を生きるための方法を提供してくれるもの と言えましょう。 日常的にわたしたちは、他者との関係性においてさまざまな葛藤を感じています。 夫婦の間で、あるいは親子として、そして友だち同士や、仕事上の人間関係の中で、自分の思い通りにならないことや、思いもよらない問題に直面します。 そうした「問題」について、わたしたちは普通、表面的な部分だけを見て、言葉のレベルで問題をとらえて、それに対処しようとしてしまうことが多いのですが、そうした「浅い」反応ではうまく対応ができない事態というものもしばしば生じるものです。 本書では、自分の無意識にアクセスすることによって、そうした人生におけるいろいろな「問題」に対応するための、自分一人でもできるセルフワークのやり方が、プロセスワーク的な考え方とともに提示されています。 *  *  * 邦訳のタイトルは「大地の心理学」となっていますが、原題は "Earth-based Psychology" 、「大地に根ざす心理学」くらいの意味です。 ここで「大地」という言葉が使われていることによって、 「わたしたち人間は、大地の存在なしには生きることもできない」 という、先住民族の社会においては、当たり前に意識されていることが、現代社会を生きるわたしたちにとっては、ともすれば忘れられがちになっている現実に思いをはせることができます。 ミンデルは、先住民族の世界観や、そこでのシャーマニズムの役割に大きな意味を見出し、そうした太古から続く人類の叡智を、現代的な心理学の枠組みの中で新しい光を当てることで、わたしたちの日々の暮らしの中でその知恵を活かす方法を教えてくれます。 この本には「パス・アウェアネス path awareness (道の自覚)

共謀罪法成立の日に、100年後の世界を見据えて

今日、2017年6月15日、共謀罪法が成立しました。 市民活動家の田中優さんが、今日付けのメイルマガジン [ 第596号:共謀罪成立 ] で共謀罪法の成立について、 「共謀罪法を死文化させてしまうこと」と、 「共謀罪法が実際に適用されたときには、違憲立法であることを主張すること」そして、 「この法律ができたからといって萎縮してしまうことなく、今までどおり、 しっかり意見を表明していくこと」 の重要性を述べています。 優さんの指摘は正論ですが、現実の日本の政治情勢を見ると、楽観は許されません。 日本政府が共謀罪法を使って、ただちに反対勢力の弾圧を始めるとは思えまないものの、政府の意向に沿わない個人や団体に対しての圧力は、今以上に強くなっていくことでしょう。 こうした逆境の中で、ぼくたちにできることは何なのでしょうか。 [ 安倍マリオをぶっ飛ばせ、あるいはぼくらの未来への責任 ] にも書きましたが、無茶苦茶を平気で通す「総理」や「政府」に怒りが湧くのは自然です。けれども、「怒っているだけ」では状況は変わりません。 たとえば、原発推進への対案として、太陽光とバッテリーによる「オフグリッド」を提案していくような、具体的な取り組みが大切だと思われます。 また、[ 改憲に王手。ニッポンはホントーに大丈夫なのか? ] に書いたように、日本の「重苦しい空気」に閉じ込められることのないように、視野を大きく広げることも大切でしょう。 現在の世界情勢を見れば、欧米的な合理主義や民主主義も必ずしも万能ではないと思われます。 そのときむしろ、先住民族の知恵や、宗教の叡智に学ぶことも多いはずです。 原子力を不可欠とするような間違った科学技術主義にだまされないためには、単なる論理では不十分に思えます。 文化的相対主義を踏まえた上で、「真・善・美」といった基本的な価値へと思いを巡らすことも必要なのではないでしょうか。 いずれにせよ、この「逆境」が簡単に流れを変えることはないでしょう。 72年前に敗戦という形で終わりを迎えた戦争は、日中戦争から数えても15年間という長い期間の「逆境時代」でした。 ですから、ぼくたちは、10年、20年の単位でものごとを考える必要がありますし、それには、50年後、100年後を見据えることも

人の世の闇の深さの現れか / 元TBSテレビ・ワシントン支局長・山口敬之氏のレイプ疑惑について一言

はてなのブックマークで [ 【レイプ告白】「あの夜、なにがあったのか」詩織さんと山口氏 それぞれに聞いた ] という記事についての kk3marketerさんのコメント「闇深い」 を見て、何がどう「闇深い」のか気になりました。 当該の記事を見る限り、法的な処分の妥当性はともかくとしても、元TBSテレビ・ワシントン支局長・山口敬之の、就職をネタに若い女性と会い、ことに及ぶという行動は、倫理的に完全に「アウト」なものと思われ、そういう人物が「立派」なジャーナリストとして活躍している世の中というもの自体が十分「闇深い」ものと思われます。 また、山口氏の不起訴処分に何らかの「力」が働いたと考えるのも至極当然であり、それがどういう筋からのものであれ、被害にあった女性の立場を考えれば、ニッポンという国の法治国家としての機能はポンコツ同然としか言いようがなく、これはむしろ「病み深い」というべきでしょうか。 ところが、この事件に関してネットを検索してみると、この女性が今のタイミングで記者会見を開いたことには、「女性の人権」という表向きの問題とは別に、政治的な「生臭い」意図を感じざるを得ない事実に突き当たります。 この女性の代理人弁護士の所属事務所からして、バックには民進党の力が働いているとの事実です。 「女性の人権」を守るためには、当然山口氏は起訴されるべきであり、山口氏の行為の是非は法廷で争われるべきものと考えますが、こうした「法的な争い」が「政争の具」として使われているとすれば、なんとも「闇深い」世の中ではありませんか。 ぼくは安倍政権の政策には基本的に反対ですが、こんな程度の揺さぶりで盤石の安倍政権の基盤が揺らぐものとは思われませんし、こういうやり方は「まっとう」なものとは言えないでしょう。 政治というものが「清い」だけのものでないことは、いたしかたのないことかもしれませんが、現状の政治が、利権を争う集団同士のこのような「縄張り争い」にすぎないことを考えると、その行く先はいったいどうなることかと、深い危惧を感じざるをえません。 ぼくたち国民の一人ひとりが、五十年先、百年先の未来を見据えて、考え、行動することの必要を感じる所以です。

人生はすごく苦しいけど、すごく素敵。なのに素敵が見つからないあなたへ。

お釈迦さまことゴータマ・シッダルタさんの生まれし土地、ネパール・ルンビニに滞在中、若い友人しぷとさん(仮名)とtwで楽しい会話をし、質問をいただいた。 ぼくはもう五十すぎ、しぷとさんはたぶん二十代前半、頭の回転では到底かなわないが、こちらには亀の甲より使えるとされる齢(よわい)という道具があるので、ch3ch2oh で濁り気味の頭を駆使しつつ、ちょいと答えてみようかと思う。   *  *  * まず、質問に至るまでの説明。 話の発端は、「人生はすごく苦しいけどすごく素敵」とぼくが書いたことで、それに対してしぷとさんは、「自分のTLには苦しんでいる人が多いのだが、どうすれば素敵が手に入るのだろうか」と疑問を投げかけてくれた。 ぼくはこのところヴィパサナ瞑想で仏教づいているから、「痛みは避けられないが、痛みを苦しみとするのは、癖・習慣の問題なので、それに気づけば『素敵』な世界が近づいてくる。けれども、苦しみに愛着がある以上、無理に苦しみを手放す必要はない」と書いた。 するとしぷとさんは、「苦しんでいる人たちは、別に苦しみに愛着はないし、『苦しみ』の方が自分たちを手放してくれないと考えているようだ」という。 ぼくは、「愛着があることに気づくのも難しいし、主客はすぐ転倒する。そしてて、気づくためには『ゆさぶり』が必要である」と述べた。 そして、しぷとさんは、「『ゆさぶり』の話は理想としては分かるが、現実にはどうしたらいいのか」と問うてくれた。 これが今回取り上げる質問です。   *  *  * [回答 1.] まず初めにしぷとさんに伝えたいのは、人のことはとりあえず、放っておいたらいいよ、ということ。 人が苦しんでるのが気になるっていうのは、自分が苦しんでるからなんだよね。 この考え方は、初めは納得いかないかもしれない。 ぼくも R. D. レインの「愛のレッスン」という本で、「人のために泣くのは、自分のために泣いているんだ」という言葉を読んだときは、そこに何か真実があるのは感じたんだけど、はっきり言ってピンとこなかった。 でも、そのうち、なるほど、と思うようになった。 人を嫌いになるのは、その人に自分が持っている嫌な面を見てるからだし、この世界にうんざりするのは、自分にうんざりしてるからなんだ。 だから

支配階層に入ること、支配・被支配関係から抜けること

今日は謎の投資家ガメさんの [ ラットレースから抜け出す ] という記事について書きます。 出だしは黒いですが、最終的に「ガメさん♡」になります。 *  *  * ガメさんのこれは、嘲笑なのだろうか、黒い冗談なのだろうか、それとも、お金持ちの戯言(たわごと)なのかしら? どうしてあんなに手放しで資本家を礼賛することができるのか、ぼくには分からないんですよね。 でもぼくは、別にガメさんが嫌いだからこんなことを書いているわけではない。 イギリス出身の覆面投資家にして、日本語堪能な天才青年(というには少し歳をくってるか)である彼の weblog や twitter はいつ見てもおもしろい。 一度一緒に酒でも飲んだら、どんなに楽しい話ができるだろうかと、わくわくするくらい、ネット上で見る彼の言葉と、その人格には惚れている。 ...... と、ここまで書いたところで一休みして、Medium に記事など書いてたら、初めの問いに対する答えが分かってしまった。 ガメさんは支配階層の人間であり、日本の中の才能ある、支配階層に入る力はあるのに、「日本的」システムの中に閉じ込められているため、支配階層に入れないでいる人に対して「きみにもできるよ」と呼びかけてるわけだ。 支配階層に入れない人のことは、はなから相手にしてないし、入れると勘違いして自滅する人のこともどうでもいい。 それが「欧米」流の支配階層の価値観ってわけですか。なるほど。 「日本的」システムの中に閉じ込められている人に呼びかけたい気持ちは、ぼくも一緒なんだけど、方向がちょい違ってたんだ。 支配階層に入りたい人は入ればいい。 でも、支配・被支配の関係から抜け出すほうが、ぼくの場合、好みってことです。 もちろん投資をして「悠々」と暮らすことのできる人は、そうすればいいでしょう。 でも、多くの人はガメさんのように「悠々」とはできない。 投資をしながらも、日々の雑事に追われながら、なんとか生きていくだけになってしまわないでしょうか。 支配階層に入るのも、投資をして儲けるのもいいけど、それは手段であって、目的ではない。 日々を「悠々」と生きることこそが、目的ですよね、例えば。 そのためには本当はお金なんていらないんであって、それはインドに行って路上で暮ら

安倍昭恵氏に関する記事まとめ #森友学園 #アッキード事件

アッキード事件とも呼ばれる、森友学園の問題で、マスメディア取り沙汰されている安倍昭恵氏ですが、ここに、昭恵氏および、三宅洋平氏、てんつくマン氏に関わる記事の目次を置きます。 今の日本が抱える問題を、みなさんが考える一助になったら幸いです。 ✧安倍昭恵氏に関する記事の目次です✧ [ 洋平と昭恵をつないだ「怪人」てんつくマンとは!? ] [ 大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。 ] [ 洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために ] [ 「洋平・昭恵会食」再々考、ネット「世論」をどう読むか ] [ 「天然系・総理の密使」安倍昭恵氏が沖縄高江のヘリパッド建設反対運動テントを訪問 ] [ 「大物」か「あほう」か、三宅洋平、安倍昭恵と高江に同行 ] [ 昭恵氏の高江訪問について三宅洋平氏に今伝えたいこと 2016年8月9日 ] [ 三宅洋平は「許可」を得て安倍昭恵を高江に案内したのか ] [ 三宅洋平は権力にすり寄る節操なしではない ]

そしてぼくはネパールに行った - 意識のメタモルフォーゼ 01

ぷちウェブ作家のとし兵衛です。 お釈迦さまの生誕地ルンビニの、安宿のベッドに寝そべりながらこれを書いてます。 こちらは、ネパール時間で午後五時半(日本より三時間十五分遅れなので、日本はとっくに夜ですね)、まだ外は明るいです。 五十二歳にして定職を持たないぼくは、いま奥さんと二人、アジアをゆらゆらと漂っているのですが、しばらく前から奥さんはヴィパッサナ瞑想の十日間コースに行っているので、今は気楽な一人暮らしです。 それをよいことに昼間からビールを飲んで、心地良くも気怠い日々を過ごしています。 さて、今回のシリーズでは、そんなぼくの最近の日々に置きつつある、「風変わりな変化」について書きたいと思うのです。 その変化というのは、「意識のメタモルフォーゼ」とでも呼ぶべきもので、ある種の昆虫が、幼虫から、蛹(さなぎ)になり、成虫になるように、個体自体は保たれながらも、劇的な変身を遂げたことが感じられるような不思議な体験なのです。 そんなふうに書くと、オカルトめいた説明に思われるかもしれませんが、これは変性意識状態として知られるものが、一段階上に上がるようなことであって、現代の脳科学の範囲内においても、十分説明しうるものだろうと、仮説を立てています。 この劇的といってもいい変化が起こり始めたのは、この十日間ほどのことなのですが、これがどうして今起こったのかということを説明するには、ぼくが今までどんな人生を送ってきたのかを知ってもらう必要があります。 というのは、この変化は、ぼくという「一人の人間の中で起こった」話ではなく、「周りの人や物との相互作用を通して起こった」ものだと考えるからです。 そこで、まずはぼくの高校・大学時代から話を始めたいと思います。   *  *  * ぼくは、高校生の頃から心理学に興味を持ち始めたのですが、高校の友だちの影響で、大学ではコンピュータのソフトウェアの勉強をしました。 心理学に興味を持ったのは兄の影響で、兄は実際、大学で心理学を学びました。 けれどもその兄を見ていて、心理学では大学を出たあとに大変そうだなと打算的に考えて、もう一つの興味の対象のコンピュータを学ぶことにしたのです。 こまかい話をすれば、ぼくが大学でコンピュータを学ぶことになったのには、ある日たまたま旧友にばったり会ったこ

偶然と奇跡の物語、「あーす・じぷしー」って実話なの?

今日は[ 「あーすじぷしー」 ]という本の紹介を兼ねて、この話は「ほんとに実話なのか」ということについて、書いてみようと思います。 「あーすじぷしー」は大分出身の若い女の子まほが、一般社会の普通の枠組みの中で生きることに違和感を感じて、自由でワクワクする人生を送り始めるまでの実話の物語です。 専門学校を卒業して憧れの会社に就職して服飾デザイナーになったのに、なぜか充実感を感じられないまほは、一年足らずでやめ、東京の専門学校に入り直します。 そうして一人暮らしを始めた東京で、偶然が導く人や出来事の連続の結果、「デザイナーになる」という過去の夢を捨て、彼女はペルーへと導かれます。 そして、ペルーで体験する「聖なる真実アヤワスカ」のビジョンこそが、この物語の圧巻なのですが、その辺りについては、次の記事にもう少しくわしく書いていますので、ご覧ください。 [ [本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」 ]   *  *  * さて、この本の話を読んで、 「これ、ほんとに実話なの?」 と思う方は少なくないように思います。 なにしろ、東京に出てから、彼女がペルーに導かれていく道行きというものが、普通にはありえないような偶然の連続に満ちているからです。 就職の内定を辞退し、東京で出会った友だちの影響から、海外に旅すること決めた彼女の中には、海外旅行に対する具体的なビジョンはありません。 どこに行こうかと考えあぐねている彼女に、友だちのすすめてくれた一冊の本が答えをもたらします。 シャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」 という本です。この本でシャーリーは、ペルーでの神秘体験について書いており、それがシャーリーの人生の大きな転換点になるのですが、そのあまりの不思議な記述に、まほは「これは本当の話なんだろうか?」と思います。 そのことに加え、シャーリーの誕生日がまほと同じであることが「大きな前兆」となり、まほはペルーに行くことを決心するのです。 そして、ペルーがどこにあるかもよく分からないまま、借金をまでしてペルー行きの航空券を買ってしまいます。 旅の準備も整わないでいる彼女に、次の偶然がやってきます。専門学校の友だちの、お母さんの友だちのまきさんという人がペルーに行ったことがある

[本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」

Naho & Maho「あーす・じぷしー」 [ Kindle版 ] [ 単行本 ] この本は、「あーす・じぷしー」という名前で、世界中、気ままに旅をしながら、自由な人生を生きる実験をしている双子の姉妹、なほとまほの自伝的な物語です。 双子の物語ではありますが、実際には妹のまほが語り手であり、主人公です。まほの「そぱ」には、姉のなほがいつも寄りそいたたずんでいます。 なほとまほは双子であるがゆえに、子どもの頃には互いにテレパシー的な感覚があって、永遠あいこができました。 二人でじゃんけんをして、片方は出す役、片方は読む役。そうするといつまでもあいこを続けられたのです。 また、まほは、幽霊やお化けもよく見ていて、亡くなったおじいちゃんにも会ったことがあるような、霊感の強い人です。 そして、彼女は共感覚の持ち主であり、音や人、場所に色がついて見えていました。色とりどりの楽しい毎日を生きていたのです。 ところが大人になるにつれ、そんな感覚も消えていきます。お金のこと、就職のこと、仕事のこと、人間関係のこと、そうしたことで頭がいっぱいになるにつれて、子どもの頃の「楽しい感覚」を大事にできなくなってしまったのです。 大分出身のまほは、デザイナーになるという子どもの頃からの夢をかなえるために、専門学校に行き、大阪で就職します。けれども、憧れのブランドの会社に入ったのに、なぜか充実感はなく、一年足らずでやめてしまいます。 そして、実家に帰り、寝る時間も惜しんで働き、お金を貯め、東京の難しい洋服の学校に入り直します。そうすることで、デザイナーとしての新しい道が開けるはずだと思ったのです。   *  *  * さて、東京では何がまほを待ち受けていたのでしょうか。 それは、さまざまな、人や出来事との出会いです。 道端で運命的に出会った、同じ九州出身の若者二人。二人は、日本の枠にしばられず、この世界を自由に生きています。 また、まほは 2011 年 3 月 11 日の大地震を、アルバイト先の新宿の電器屋で経験します。 まほの心は、この地震に大きく揺さぶられ、せっかく決まった内定も辞退してしまいます。デザイナーになる、という「夢」を捨てたのです。3.11 から半年ほど経った頃のことです。 そして、まほは、「ワクワクして生

「人生長すぎる」とお嘆きのあなたへ - エクハルト・トールの場合

「人生長すぎる」 ぼくもそう思ったことがあります。 「なんだか毎日がつまらない」 そんなことも、時々、思います。 そして、「消えてしまいたい」とか「もう生きていられない」とか。 そういう思いをふっ飛ばして、元気に生きたい、と考えはしても、「できないものは、できない」んですよね。 「今の自分には、明るく普通に生きるなんてできないんだ」と開き直ることも大切です。 うつ的な気分が湧いてくる自分を、認めてやったらいいんです。 たぶんあなたは、自分の気持ちを殺して、周りの要求に応えるために、自分の人生を使いすぎてしまったのです。 いつの間にか周りのために生きることになってしまったとき、自分がなんのために生きているのか分からなくなって、生きるのが苦しくなって、最後には死を選ぶことになる。悲しいことですが、これも、ある意味、自然なことです。 けれども、今これを読んでいるあなたは、まだ、死を選ぶところまでは、行っていないわけですから、今から自分の生き方を変えることもできるわけです。 とはいえ、生き方を変えるということは、いとも簡単であると同時に、なんとも難しいことです。 周りの目を気にしすぎているのは、あなた自身なのですから、周りを気にするクセを変えればいいだけです。話は簡単ですよね。 ところが、それを実行するのが難しい。 「もう周りの目は気にしないぞ」と心に決めても、その瞬間から、その通りに生きるというわけにはいきません。 こうしたことには、どうしても時間がかかります。 ところが、世の中には稀に、あるとき突然、劇的な変化が訪れる人もあるようです。 エクハルト・トールという作家がいますが、この人は長い間うつ的な思いをかかえて生きていたのに、ある晩、その重苦しい気分の中で、次のような経験をします。 「私は、もうそれ以上自分自身と生きることが出来なかった。そして、答えのない疑問が生じた。自分と生きることが出来ないこの『私』は、一体誰なんだ? 自分とは何だ? 私は虚空へと吸い込まれるように感じた。その時は、一体何が起こったのか知らなかったが、満たされない過去と恐ろしい未来との間に生きている、思考が作り出した自我が、その重苦しさ、その抱える問題と共に、崩壊したのだ。翌朝、目が覚めてみると、すべてが実に穏やかだった。この

本気で人生を変えたいですか? それなら、これだけは知っておいてください

もしあなたが、本当に 自分の人生を変えたい と思っているのなら、一番はじめに知っておくべきことは、 あなたは今も自分の好きな人生を生きている という、なかなか受け入れがたい事実です。 このたった一つの事実を受け入れることができるかどうかで、 あなたの人生が虹色になるか、灰色になるかが決まってしまう くらいに大切な話です。 この記事では、 ・あなたは自分の好きなように生きているのに、どうしてそのことに気づけないのか、 ・それを変えるためにはどうしたらいいのか、 ということを簡単に説明してみます。   *  *  * この記事を読んでいるあなたは、 自分の人生を変えたい、 と思っているはずですが、それは 今の人生に満足していないから ですよね。 自分の好きなように生きてるのに、その人生に満足してない というのはヘンな話です。 これはどういうことでしょうか。 「自分の好きなようになんか、生きてるわけないじゃん」 とあなたは思うかもしれません。 けれども、ちょっと考えてみてほしいんです。   *  *  * たとえば、あなたがコンビニに行ったとします。 あなたはサンドイッチが一つ買いたいだけです。 そして、次の用事があるので、早く電車に乗らなければなりません。 ところがコンビニは混んでいて、レジ前には客の長い列があります。 それだけでもあなたにはうんざりな状況なのに、レジ打ちをしている店員は、新人なのか、もたもたとして、なかなか列が進みません。 あなたのいらいらは高まって、もう我慢できなくなり、サンドイッチをその辺の棚に置くと、あなたは駅へ急ぎました。 こんな経験をしているあなたが、 好きなように生きている なんて言われたら、「ちょっと勘弁してよ」と思うかもしれません。 けれども、ここで考えてほしいのですが、今のコンビニの場面で、 サンドイッチを買おうとしたのは あなた だし、 レジに並んだのも あなた 、 そして、いらいらしてたのも あなた だし、 サンドイッチを置いてコンビニを出たのも あなた ですよね。 それに、誰かにそうしてくれ、と言われたからじゃなくて、全部 あなた が自分で選んでしたことじゃないですか。 あなたは自分の好きなとおりにやったんです。

いきいきと生きたいあなたへ - 魂の輝きを取り戻すために

なんだか毎日がつまらない。 何をやっても長続きしない。 自分のやりたいことが分からない。 こんな「ないないづくし」を感じながら生きてる人って、案外おおいんじゃないでしょうか。 そういうぼく自身、そんな人間の一人だったりします。 とはいえ、ぼくは五十すぎのおじさんですので、「ないないづくし」歴が長い分、知恵もついて、若いころと比べればずいぶんと楽になりました。 というわけで今回は、この「ないないづくし」から抜け出し、生まれたときの「魂の輝き」を取り戻す方法について書いてみようと思います。   *  *  * 人というものは、この世に生まれ落ちたそのときには、まばゆいばかりの魂の輝きを持っています。 ところが残念なことに、この世界で生きていくためには、輝きを放出してぱかりではいられません。 赤ん坊は、生まれてしばらくの間こそ、したい放題をしても受け入れてもらえますが、お母さんや周りの人の助けなしには生きていくことができませんから、徐々に周りと合わせる方法を学んでいくことになります。 これを「魂の輝き」の観点からいうと、魂に覆いをかけて、周りに放つ光を弱めていくことになります。 成長していくうちに、この覆いは分厚いものになり、魂の輝きなど、どこにも見えなくなってしまう。そんな人が、かなりの数いるのです。 ここで魂と呼んでいるものこそ、いわば人間の本質ですから、その光が見えなかったら、「何をやりたいのか分からない」という状態になるのも当たり前です。 そうなれば、何かに興味をひかれてやってみても「長続きしない」ことにもなりますし、「どうにも毎日がつまらない」ということにもなってしまいます。 このように考えれば、「ないないづくし」から抜け出す方法も、簡単に分かります。 あなたの魂の覆いを取り去ればいいのです。   *  *  * 魂の覆いを取り去ればいい。やるべきことは分かりました。 けれど実際にはこれをどうやったらいいのでしょうか。 実のところ、これには無数のやり方があるのです。 この記事を読んでいるあなたも、ネット上に溢れかえる、「自己実現の方法」や「夢をかなえる生き方」、そして「引き寄せの法則」や「受け入れの法則」といった様々なやり方をご存知のことでしょう。 それぞれのやり方には、それ

あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?

[本の紹介] Naho & Maho「EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)」 Kindle版 Naho & Maho「EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)」 単行本 ------------------------------ ぼくたちは生まれた瞬間から「思い込みのかご」を自分の周りに作り始める。 そう聞いたら、どう思いますか? そして、多くの人は、丈夫に作ったその「かご」の中で、「かごの鳥」のような人生を送っているのだとしたら? 「かごの中の暮らし」が悪いっていうわけじゃないんですよ。 「かご」は安全のために役立ちますから。たとえば、「かご」の扉を閉めておけば、誰かが勝手に入ってくるのを防げます。外に出るときは扉を開ければいい。 ところがです。「かご」の外に出るのが億劫になり、不安になり、一生を「かご」の中で過ごすとしたら、どうでしょう? なんだか、退屈な気がしませんか!? ところが世の中うまくできたもので、「かご」の中でも退屈しないように、様々な娯楽が用意されてるんですね。 テレビを見るのも楽しいし、音楽があれば、ほかに何もいらない。インターネットを使えば、世界中の友だちとつながることができるし、退屈なんかしようがない。 おまけに、この「かご」は実に大きな「かご」なんです。何しろ、この宇宙全体がすっぽり収まってしまうんですから。 そんな「かご」があるわけないって? ところが、あるんですよ。 それは、あなたの「頭」なんです。あなたの「心」なんです。あなたが作り出した「思い込み」なんです。 たとえばあなたは、「お金を稼がないと生きていけない」と思っていませんか? ほんとにそうでしょうか。 世の中には自分ではお金を稼がなくても、ちゃんと自分の人生を生きている人がいます。 でも、あなたには真似できない? それが「思い込み」ってやつなんです。 「真似できない」んじゃないんです。「真似したくない」んです。 この違いが、ひじょーーーに、重要ですので、ここのところだけ覚えてもらえたら、この記事を書いた甲斐があったというものです。   *  *  * さて、ここで 「あーす・じぷしー」 という本の紹介に入ります。 この本は、Maho ちゃんと Naho

悟ってしまえば「悪」なんてなくなるんです

般若心経というお経があります。 このお経の内容をひと言で説明すると、「この世のすべては空(くう)である」ということになります。 と、そのように言うことは簡単なのですが、ここで「空とは何か」というのが難しいところで、というのも、これは言葉では説明できない、自ら経験して、体感しなければならないことだからなのです。 もちろん般若心経の中でも「空」とは何かが説明してあり、例えば「無老死亦無老死尽」とあります。 これは「老死もなく老死が尽きることもない」と読むわけですが、これが「老死は空である」ということの説明になっています。 ふつうに「空」というとき、例えば「空洞」という言葉は「中が空っぽ」ということですから、「中がない」ということです。 けれども、般若心経が説明するのは、あるものが「空である」ということは、それが「ない」と同時に、そのないものが「尽きることもない」というのですから、普通に考えれば矛盾した話で、何を言っているのか分かりません。 そこで、般若心経に直接は出てきませんが、「悪」について考えて見ましょう。 般若心経の考え方では、この世のすべてが空なのですから、「悪もまた空」ということになります。 すると、これを「老死」のときと同じように言い換えてみると、「悪はないが、悪が尽きることもない」となります。 これがもし、単に「この世に悪はない」という意味だったら、どういうことになるでしょうか。 この世に悪はないのですから、何をやってもかまわない。そういうことも言えてしまいます。 けれども、仏教は悪いことをしてはいけない。と教えます。悪いことをすれば、その結果が悪いこととなって自分に降り掛かってくるから、悪いことはしないほうがよい、というわけです。 ここに「悪が尽きることはない」という言葉の意義が生じます。 お釈迦さまは悟りを開いたので、すべてが空であることを知りました。 悟りの世界では「悪」も「善」もないのです。 けれども、俗世の意味での「悪」がなくなるわけではありません。 そこで、悟りを開いたのちも、仏陀が「悪」をなすことはないのです。 仏陀は「悪」も「善」などないことを知りながら、けれども、俗世には「善悪」があることも知って、「悪」はなさず、「善」のみをなすわけです。 以上が「空とは何か」という