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2017年7月26日水曜日

10 フロリンダ・ドナー「シャボノ」 -- アマゾンの奥地・ヤノマミ族の暮らし


ここに翻訳を掲載している「シャボノ」は、アメリカのカリフォルニア大学ロスアンゼルス校で文化人類学を専攻した女性作家フロリンダ・ドナーが、アマゾン奥地の先住民族ヤノマミの暮らしを描いたノンフィクションです。

ドナーは、メキシコの呪術師の世界を描いた「ドン・ファン・シリーズ」で知られるカルロス・カスタネダの呪術師仲間でもあり、この「シャボノ」に
おいても、幻覚性の物質による変性意識体験や、シャーマニズムの奥深い世界観が興味深く語られます。

また、ヤノマミの人々は、NHKの番組から劇場公開された「ヤノマミ~奥アマゾン-原初の森に生きる~-劇場版」でも描かれるように、嬰児殺しの風習をもつことで知られます。

第10回目の今回は、死期の迫った老人と、生まれてすぐに間引かれてしまう赤ん坊という二つの対照的な場面が描かれます。

NHKの番組では、劇的に描かれる「嬰児殺し」の風習ですが、ドナーは淡々と、けれども心動かされる筆致でそのエピソードを書いています。

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フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳、第10回
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は、四百字詰め原稿用紙20枚ほどの分量です]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆第1回〜第9回はこちらです。
[第1回] | [第2回] | [第3回] | [第4回] | [第5回] | [第6回] | [第7回] | [第8回] | [第9回]

[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします]

それでは、どうぞお楽しみください。

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第3部

**118**
第10章

優しい雨だれの音と、男たちが小屋の外で唱いをする声で、私は昼寝から目が覚めた。影は長くなり始め、屋根から吊ってある椰子の葉を風が揺らしている。かすかな音と何者かの存在感が、小屋を瞬く間に満たした。焚き火に薪がくべられでて、じきに何もかもが、煙と湿気、食べ物と濡れた犬のにおいを帯びた。小屋の外の男たちは、仮面のような顔や背中に落ちる雨粒など気にもせず、謡いを続けている。エペナを摂って潤んだ男たちの瞳は、遠くの雲に釘付けになり、森の精霊たちに向かって見開かれていた。
私は雨の中、川へと歩いた。川岸に沿って生える背の高い草の葉の影にひそむ小さな蛙たちが、パンヤノキの葉を叩く大きな雨粒に驚いて跳び出してきた。私は水辺に腰を下ろした。時間が過ぎるのも忘れて、雨粒の作る同心円が川面に拡がる様子や、どこかよその世界に置き去りにされた夢から紛れ込んできたようなピンクの花が、水面を漂い、流れ去ってていくのを眺めた。空が暗くなり、雲の輪郭がぼやけて大きな一つのかたまりになった。木々も一本一本の境をなくし、葉の形も夕方の空に溶けて見えなくなってしまった。
**119** 後ろから泣き声のような音が聞こえたので振り返ったが、葉の上で雨粒がちらりと光るのが見えるだけだった。説明のつかない不安に駆られて、私はシャボノへ戻る道を急いだ。夜になると何もかもが不確かに思えた。川も森も、私にはその存在が感じられるだけで、決して理解することのできない何ものかなのだった。私はぬかるんだ道で足を滑らせ、ねじ曲がった木の根に足の親指をぶつけてしまった。再び、小さな泣くような音が聞こえた。イラマモウェの猟犬が苦しげに鳴いたときの声を思い出した。犬は、狩りの最中、間の悪いときに吠えたためにイラマモウェの怒りを買い、毒矢で射られたのだった。傷ついたその犬は居住地に戻ってくると、木の柵の外に身を潜めて、何時間ものあいだ苦しみの声を上げ続けた。アラスウェがもう一本の矢を打ち、その苦しみを終わりにしてやった。
私は静かに呼びかけた。声は止み、続いて苦しそうな呻き声がはっきりと聞こえた。森に精霊がいるというのは本当かもしれない。私は真っ直ぐ立ち上がりながら、そう思った。人と獣を分ける微妙な境界線を超える存在がいるのだと、イティコテリの人たちは言う。そうした存在が夜、先住民族たちに呼びかけ、死の罠へと誘うと言うのだ。叫び声が出そうになるのを、私はこらえた。暗闇の中に突然何かが現れたように見えたのだ。私が立っているところから、ほんの一歩と離れていない木々の間に、何ものかが潜んでおり、その影が動いた。私は再び座り、身を隠した。微かな息の音がした。それはどちらかと言うと囁き声のようで、咳き込み、むせるような音もした。血生臭い襲撃の、復讐の物語が頭のなかを駆け巡った。男たちが夜になると好んでする話題だ。アンゲリカの兄である老シャーマン、プリワリウェの、敵の襲撃のさなかに殺されたと思われたのに、実際には死ぬことがなかったというその話を、私は特に思い出していた。
「彼は腹を、死が潜む場所を、射られた」ある晩アラスウェが話してくれたのだ。「しかし、自分のハンモックに横たわることもせず、広場の真ん中に立ち続けた。自分の弓矢を支えにしてな。よろめきはしたが、倒れなかった。
「プリワリウェ老が精霊に向かって唱いを始めると、襲撃者たちは自分たちが立つ場所に釘付けになって、次の矢を射ることができなかった。**120**死が横たわる場所に矢が刺さったまま、彼は森に姿を隠した。何日も何晩も彼は戻ることがなかった。食べるものも飲むものもなしに、森の闇の中で彼は過ごした。獣と木々のヘクラたちに祈りの唱いを捧げた。ヘクラたちは昼の明るい光のもとでは無害だが、夜の影の中では、それを操ることのできない者にとっては、恐るべき存在になる。歳経たシャポリであるプリワリウェは、その身を隠した場所から敵をおびき寄せた。そして一人ひとり魔術の矢で射殺したのだ」
また呻き声が聞こえ、続いてむせる音がした。下生えの中、棘が刺さらないようによく気をつけながら、私は這っていった。誰かの手に触れて、私は恐怖に息が詰まった。その指は折れた弓を握り締めている。顔の傷に触れて初めて、横たわっているのがカモシウェであることが分った。「おじいさん」死んでいるのではないかと心配しながら、私は呼びかけた。
老人は寝返りを打って横向きになると、暖かさと居心地の良さを自然に求める子どものように、両足を曲げて体のほうに引き寄せた。救いを求めるような眼差しを私に向け、落ちくぼんだ、片方だけの目の焦点を合わせようとしている。どこかとても遠い、別の世界から戻ってこようとしているかのようだった。折れた弓に体を預け、何とか立ち上がろうとして、私の腕にぱっとつかまったが、次の瞬間には奇妙な呻き声を上げて、地面に倒れた。私には彼を支えて立たせるだけの力はなかった。体を揺すってみたが、彼はじっと横たわったままだった。
まだ生きているのを確かめるために鼓動を探った。カモシウェは一つだけの目を開けた。言葉にはならない願いが、その眼差しに込められているように思えた。開かれた瞳孔は光を写すことがなく、深く暗い洞窟のようで、私は体から力を吸い取られるような気がした。間違ったことを言わないように、私はスペイン語で、優しく、子どもに話すように、彼に話しかけた。彼がその強力な目を閉じて眠りに落ちてくれたらいいのにと、私は願った。
両脇を抱えて体を持ち上げ、私はシャボノへと彼を引きずった。皮と骨だけのような体なのに、一トンもあるかのように感じた。二、三分もすると、休まざるを得ず、まだ息はあるだろうかと心配に思いながら、私は座った。彼の唇が震え、タバコの塊が吐き出された。**121**黒っぽい唾が私の足にしたたった。両方の目に涙が溢れている。私はタバコの塊を口に戻してやったが、彼は拒んだ。彼の両手を取り、少しでも温めてあげようと、自分の体にこすりつけた。彼は何かを言おうとしたが、理解のできないつぶやきが聞こえるだけだった。
シャボノの入口に近い、カモシウェ老人の小屋の隣で寝ている少年の一人が、老人を抱えてハンモックに寝かせるのを、手伝ってくれた。「焚き火に薪をくべて」驚きに目を見張っている少年たちに私は言った。「それからアラスウェかエテワか、誰かおじいさんを助けられる人を呼んできて」
カモシウェは息を楽にしようと口を開いた。小さな焚き火の揺らめく光で、老人の顔の幽霊のような青白さが強調された。彼は顔を歪めてなんとか笑顔を作った。その痛々しい笑顔を見て、自分がしたことは正しかったのだと確信が持てた。小屋は人々で一杯になった。誰の目にも涙が光っている。悲しげなすすり泣きがシャボノ中に拡がった。
「死は夜の暗闇のようなものではない」ようやく聞き取れるほどの声で、カモシウェが言った。束の間、ハンモックの周りに集まる人々の悲しみの声が止み、彼の言葉は沈黙の中に落ちていった。
「我々を置いて逝かないでください」男たちはそう嘆き、大きな泣き声を上げた。男たちは、老人の勇敢さについて語り、彼が敵を殺したときのこと、彼の子どもたちのこと、彼がイティコテリの首長だった日々のこと、彼が村にもたらした繁栄と栄光について語った。
「わしはまだ死なん」老人の言葉に、男たちは再び静まった。「お前たちの泣き声を聞くと悲しくてかなわん」彼は片方だけの目を開き、取り巻く顔を見回した。「わしの胸にはまだヘクラたちがいる。彼らに唱うんだ。彼らこそがわしを生かしておるんだからな」
アラスウェ、イラマモウェと、他に四人の男が、互いの鼻腔にエペナを吹き入れた。焦点の定まらない目をして、彼らは天界と地界に住む精霊たちに向けて唱いを始めた。
「何が苦しみをもたらしているのでしょうか」しばらくしてアラスウェが、体を老人に向けてかがめながら、訊ねた。**122**アラスウェは力強い手で老人の弱々しく干からびた胸をマッサージした。そして老人の動かぬ体に、暖かい息を吹きかけた。
「悲しいだけだ」カモシウェは呟いた。「ヘクラたちはじきにわしの胸から去る。悲しみのせいでわしは弱っておるのだ」
私はリティミと一緒に自分の小屋に戻った。「彼はまだ死なないわ」顔の涙を拭いながら、リティミは言った。「どうしてあんなにも長く生きたいと思うのかしら。あんなに年を取って、もう人間とは言えないほどなのに」
「人間じゃないって、どういうこと?」
「彼の顔」彼女は言った。「あんなに小さくなって、やせこけちゃって……」何と言えばいいか分からないというような顔で、リティミは私のことを見た。どう言葉にすればいいか分らないその思いを、つかもうとでもするかのように、彼女は曖昧に手を振った。そして肩をすくめると、微笑みながら言った。「男たちは夜通し唱いを続けるわ。そうすればヘクラたちが老人を生かしておいてくれる」
降り続く暖かい雨の単調な滴の音が、男たちの唱いと混ざり合った。ハンモックの中で体を起こしてみるたびに、男たちが広場の向こうの、カモシウェの小屋の中で、囲炉裏の火の前にしゃがみ込んでいる姿が見えた。自分たちの祈りでその命が守られることを確信している彼らは、他のイティコテリたちが眠っている間も、力強く唱いを続けた。
薔薇色を帯びた物憂げな暁の訪れとともに、声は静まっていった。私は起き上がると広場を横切って歩いた。空気は冷たく、地面は雨でしっとりと濡れている。囲炉裏に火は見えなかったが、小屋はしめった煙で暖かかった。男たちはまだカモシウェの周りに集まってしゃがみ込んでいる。顔は疲れ果て、目の周りには深い隈ができていた。
ハンモックに戻ると、リティミが起き上がって焚き火の熾きを起こしているところだった。「カモシウェは大丈夫みたい」それだけ言って、私は眠りについた。

**123** 茂みの陰から立ち上がると、アラスウェの一番若い妻とその母親が川の方へ向かって、ゆっくりと薮の中を歩いていくのが見えた。私はそっと二人のあとを追った。二人ともかごは持っておらず、鋭く研がれた一片の竹を手にしているだけだった。身重の若い妻は、腹の重さを支えるかのように両手を腹に添えていた。二人はアラプリの木の下で立ち止まった。下生えは刈られ、プラタニージョの大きな葉が地面一面に敷き詰められている。女は葉の上にひざまずくと腹を両手で押した。軽いうめきを口からもらすと、女は子どもを産んだ。
私は笑い声をもらさないように口を手でおおった。こんなに簡単に、こんなに素早く、子どもを産むことができるとは、私には想像もつかないことだった。二人の女はひそひそと言葉を交わしたが、葉の上で濡れて光る赤ん坊に目をやることも、拾い上げることもしなかった。
老婆は竹のナイフでへその緒を切ると、何かを探して辺りを見回した。そして真っ直ぐな枝を見つけると、それを赤ん坊の首にかかるように置いた。老婆はその両端を足で踏んだ。何かが折れる小さな音がした。その音を立てたのが赤ん坊の首だったのか、折れた木の枝だったのか、私には分らなかった。
二人は後産を何枚かのプラタニージョの葉でくるみ、命の絶えた小さな体はもう一つ別の包みとしてくるんだ。そして、二つの包みをつるで一つにしばると、木の根元に置いた。
女たちが立ち上がり、その場を去ろうとしたので、私は茂みの陰に隠れようとした。けれど足が言うことを聞いてくれない。奇怪な悪夢を目の当たりにしているかのようで、あらゆる感情が自分の中から流れ出していく気がした。女たちは私を見た。二人の顔には驚きの表情がかすかに浮かんだが、後悔からくる痛みのかけらも、二人の目には見当たらなかった。
二人が立ち去るとすぐに、私はつるを解いた。葉の上に横たわる赤ん坊は女の子で、すでにこと切れていたが、まるで眠っているかのように見えた。**124**絹のような長い黒髪が濡れた頭に張り付いている。閉ざされた目は、まつ毛のない腫れたまぶたで覆われていた。蒼ざめて紫色がかった肌の上には、鼻と口から流れた血が乾いて跡を残し、不吉なオノトの模様を思わせた。私は赤ん坊の小さな握りこぶしを開いてみた。足の指の数も確かめたが、目に見える異常はなかった。
遅い午後の時間は、それ自体の持つ緩やかさで流れていった。裸足で歩く私の足元で、落ち葉はかさりとも音を立てない。夜のうちに湿ってしまうのだ。セイバの樹の葉が生い茂る枝を、風が分けた。幾千もの無関心な目が、緑のベール越しに私を見つめているような気がした。私は川まで歩いて下りると、倒木に腰を下ろした。その木はまだ枯れておらず、何本もの若い枝が光を求めて精一杯に伸び出している。私はその枝にそっと手で触れた。こおろぎの鳴き声が、私の涙をからかっている気がした。
煙の匂いが小屋から漂ってくる。時間も出来事も呑み込み、昼も夜も燃え続けるいくつもの焚き火に、私は苛立ちを覚えた。月は黒い雲に隠れ、川は嘆きのベールに覆われた。獣たちの立てる音が聞こえる。昼の眠りから目覚め、夜の森をうろつく獣たちだ。別に怖くはなかった。ただ早く眠りについて、目が覚めたら全てが夢だったと分ればいいのにと私は思った。
雲の切れ間に星がひとつ流れるのを見て、私は思わず微笑んだ。いつもなら素早く願いをかけるところだが、そのときは何も考えることができなかった。
リティミが私の首に腕を回すのを感じた。森の精霊のように音もなく、彼女は私の隣に腰を下ろした。口の両端に刺した白っぽい木の飾りが、闇のなかで黄金のようにきらめいた。彼女が何も言わずにそばにいてくれることが、私にはとてもありがたかった。
月を覆っていた雲を風が追い払い、私たちは青い光にうっすらと包まれた。カモシウェ老人が倒木の傍らにしゃがみ込み、一つだけの目で私をじっと見ていることに、その時はじめて気がついた。彼はゆっくりと一つ一つの言葉をはっきりと区切りながら話し始めたが、私はその言葉を聞いていなかった。老人は弓にすっかり体重を預けながら、シャボノまで自分について来いと身振りで示した。彼は自分の小屋の前で足を止めた。リティミと私は自分たちの小屋まで歩いていった。
**125**「たった一週間前のことじゃない、女も男も涙を流してたわ」私は自分のハンモックに腰を下ろすと言った。「カモシウェが死んじゃうと思って皆泣いてた。なのに今日、アラスウェの奥さんは産んだばかりの赤ちゃんを殺したのよ」
リティミは私に水をくれた。「まだお乳を欲しがる子どもがいるお母さんが、新しい赤ちゃんにお乳を上げられるかしら?」彼女はきっぱりと言った。「今まで元気に育ってきた子どもがいるっていうのに」
頭ではリティミの言うことは分った。アマゾンの先住民族の間で間引きが普通に行われていることは知っていた。子どもをもうける間隔として二年か三年の間を置くのが普通で、その間母親は子どもに母乳を与える。十分な量の母乳を子どもに与えるために、その間は新しい子どもをもうけないのだ。この期間に奇形の子や女の子が生まれた場合は、その子は殺されることになる。授乳期間中の子どもが生き延びる可能性を増やすためである。
しかし、気持ちの上では私はそうした事実を受け入れることができなかった。リティミは私の顔に手を添えて自分の方を向かせた。彼女は気持ちの高ぶりに目を潤ませ、唇を震わせた。「まだ空を見る前の赤ちゃんは、自分がやってきた場所に帰らなくちゃならないの」私たちの足元から始まり、空まで至る大きな黒い影を、彼女は腕を伸ばして指し示しながら言った。「雷の住むところへとね」

[続く]

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☆第1回〜第9回はこちらです。
[第1回] | [第2回] | [第3回] | [第4回] | [第5回] | [第6回] | [第7回] | [第8回] | [第9回]

2017年7月16日日曜日

09 フロリンダ・ドナー「シャボノ」 -- アマゾンの奥地・ヤノマミ族の暮らし


カルロス・カスタネダの呪術師仲間、フロリンダ・ドナーが描くアマゾン奥地のシャーマニズムの世界、「シャボノ」の翻訳、第9回めを公開します。
NHKの番組から劇場公開された「ヤノマミ~奥アマゾン-原初の森に生きる~-劇場版」でも描かれる、嬰児殺しの風習をもつヤノマミ族の物語です。

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フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳、第9回
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は、四百字詰め原稿用紙40枚ほどの分量です]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆第1回〜第8回はこちらです。
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[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします]

アマゾンの森の奥地で原初の生活をする先住民族ヤノマミの人たちの、日々の平和な暮らしの様子を、どうぞ、お楽しみください。

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第3部
**099**

第9章

作物を植え、種をまくことは基本的に男の仕事だったが、夫や父、兄弟が畑に朝行くときには、ほとんどの女たちが行動をともにした。ただ付いていくだけではなく、草取りを手伝い、新しく木が倒されれば薪を集めるのは女たちの仕事だった。
私は、数週間の間、エテワ、リティミ、トゥテミと一緒に彼らの畑に行った。草取りは時間もかかり大変な仕事だったが、全てが徒労にしか思えなかった。見る限り一向に効果がなかったからである。日射しと雨は、あらゆる植物の成長を別けへだてなく助け、人間の好みなど気にしてくれないのだ。
全ての家族は自分たちの畑の区画を持っており、区画は切り倒した木の幹で仕切られていた。エテワの畑はアラスウェの畑の隣である。アラスウェの畑はイティコテリの人々の中で一番大きなものだった。なにしろ祭りのとき客をもてなす食べ物はすべて首長の畑から提供されるのだ。
初めのうち私に区別がついたのは、プランテンと、数種類のバナナ、そして畑のあちこちに植えてある様々な種類の椰子くらいのものだった。椰子の木はその実を取るために育てられており、一本一本がそれを植えた者の持ち物となっていた。**100**絡み合う雑草の間に、マニオクやさつまいもなどの根菜類、様々なひょうたん、綿やタバコや魔法の植物が植えられているのを見つけては私は驚いたものだ。また、ピンクの花を咲かせ、赤い実をつける木が、畑にもシャボノの周りにも生やしてあるが、オノトのペーストはこの木から作られるのだった。
棘のついた赤いさやが房になっているのを切り落とし、殻を剥き、明るい真紅の色をした種を、それを取り巻く柔らかい実の部分と一緒に大きなひょうたんに入れ、水に浸す。それをかき混ぜ、砕いたあと、午後いっぱいかけてオノトは煮込まれる。一晩冷やしたあとで、半ば固まった塊を、穴を開けたバナナの葉を何枚か重ねたもので包み、小屋の垂木に結んで乾かす。数日後、赤いペーストは小さなひょうたんに移し替えられ、あとは使うのを待つばかりとなる。
エテワの畑の中には、リティミ、トゥテミ、エテワのそれぞれが自分用のタバコと魔法の植物を植える区画があった。タバコを植える区画は、他のみんなもそうだが、盗みに来るものから守るため、棒と鋭く尖らせた骨で囲んであった。タバコを勝手に取ることは許されなかった。そんなことがあれば揉めごとにつながった。リティミは魔法の植物のいくつかを私に教えてくれた。催淫効果のあるものや、身を守るためのものがあり、相手を攻撃するためのものもあった。エテワは自分の魔法の植物について話すことをせず、リティミもトゥテミもそれについては知らないふりをした。
一度エテワが球根を掘り出すのを見かけたことがある。次の日、狩りに出かける前に、エテワはその球根を潰したものを足に塗り込んでいた。その日の夕食はアルマジロの肉だった。「強力な植物ね」私は言った。エテワは戸惑った様子でしばらく私の顔を見つめ、それからにやりと笑うと答えた。「アドマの根は蛇に咬まれるのを防いでくれるんだ」
また別のときのことだが、私は畑でちびのシシウェと座り、食べられる蟻についてシシウェが詳しく説明してくれるのを聞いていた。**101**すると、シシウェの父であるエテワが、別の植物の根を掘り出すところを見かけた。エテワは根を潰すと、その汁をオノトと混ぜて自分の全身に塗りこんだ。「お父さんはペッカリを見つけるはずだよ」シシウェが囁いた。「獣ごとに魔法の植物があるんだ」
「猿にもあるの?」私は聞いた。
「猿には恐がらせるための叫びがあるんだ」シシウェは秘密を明かすように言った。「そうして猿が麻痺して逃げられなくなったところを、矢でしとめるのさ」
ある朝、私はリティミの姿を見かけたのだが、ちょうど私の体は、ひょうたんのつると雑草が絡まり合ったやぶの陰に隠れた状態だった。マニオクの、木質の枝と尖った葉、そして釣り鐘型の白い花の房の後ろに立っている、彼女の頭だけが見えた。彼女はひとり言を言っているようだった。何を言っているかは聞こえなかったが、唇は休みなく動いており、呪文でも唱えているかのようだった。タバコの草が速く育つように呪文をかけているのだろうか、それとも、隣のエテワのところからタバコの葉を少し拝借しようとしているのだろうかと私は考えた。
誰にも気づかれないように、リティミはゆっくりと自分のタバコの区画の真ん中へと戻っていった。枝と葉を折って取る様子には、明らかに急いでいることが見て取れた。辺りを見回してから、取った枝と葉をかごに入れると、バナナの葉でその上を覆った。笑いながら彼女は立ち上がり、少し迷ってから私の方に向かって歩き出した。
彼女の影が私の上に落ちるのを感じて、私は驚いたふりをして上を見上げた。
リティミはかごを地面に置くと、私の隣に座った。私は好奇心で一杯だったが、彼女が何をしていたのかと聞いても無駄なことも分かっていた。
「かごの中の束には触らないでね」少しすると、抑えることができずに笑いながら彼女は言った。「あなたが見てたのは知ってるの」
自分の顔が赤くなるのを感じながら、私は笑みを浮かべた。「エテワのタバコを少しもらったの?」
**102**「まさか」怖がるふりをして彼女は言った。「エテワは自分のタバコの葉っぱは全部知ってるんだから、一枚でもなくなったらすぐ気がつくわ」
「エテワの畑にいたように見えたから」私は何気なく言った。
かごの中のバナナの葉を持ち上げると、リティミは言った。「自分の畑にいたわよ。見て、オコ・シキの枝を少し取ってきたの。魔法の植物よ」彼女は囁いた。「これで強力な煎じ薬を作るの」
「誰かの治療でもするの?」
「治療ですって? 治療はシャポリしかできないのも知らないの?」頭を少し片方にかしげ、少し考えてから彼女は言葉を続けた。「祭りのときにエテワをたぶらかした女に呪文をかけてやるのよ」そう言って彼女は、にやりと笑った。
「エテワ用にも薬を用意したほうがいいんじゃない?」彼女の顔を見て、その表情の変りように私は驚いた。唇を真一文字に結び、目を細くして私をきっと睨んでいる。「だって、その女性もそうだけど、エテワも悪いんじゃないの?」彼女の問い詰めるような硬い表情に気まずさを感じて、私は言い訳でもするようにもごもごと言った。
「あの女がどんなに恥知らずにエテワをたぶらかしたか、見てなかったの?」リティミは憤慨して言った。「客として来た女たちが、どんなに破廉恥な振る舞いをしていたか、見てなかったとでも言いいたいの?」リティミは、滑稽と言ってもいいような大きなため息をつき、がっかりした様子を隠しようもなく言葉を足した。「あなたって時々、信じがたいほどのおばかさんになるのね」
私には何と言っていいのか、分からなかった。エテワがその女性と同罪であることは私には当然に思えた。少しは状況がよくなるかと思い、私は微笑んだ。初めて私が、エテワの浮気の現場に出くわしたのはまったくの偶然だった。私は、他のみんなと同じように、毎朝空が白む頃に小屋を出て用を足した。みんなが大便をするのに使っている場所よりももう少し森の奥まで、いつも私は行っていた。ある朝、私はかすかな呻き声を聞いてはっとした。怪我をした獣だろうと思い、出来る限り静かにその音の方へと這っていった。するとまったく驚いたことに、私の目に入ったのはイラマモウェの一番若い妻の上にエテワが乗っている姿だった。**103**エテワは私の顔を見ると、ばつが悪そうな笑みを浮かべたが、女の上で体は動かし続けていた。
その日しばらくして、エテワが森で見つけた蜂蜜を少し分けてくれた。蜂蜜は珍しいごちそうで、他の食べ物とは違い、気軽に人に分けるようなものではなかった。実のところ蜂蜜は大抵の場合みつけたところで食べてしまうのが普通だった。私は、口止め料を貰ったのだなと思いながら、エテワに感謝してそれを頂いた。
私にとって砂糖はいつも欲しくてたまらないものだった。イティコテリの人々がしているように蜂蜜を、蜂の巣や蜂、蜂の子、蛹や花粉と一緒に食べることにはもう慣れていた。エテワが蜂蜜を持って村に帰ってきたときにはいつも、私は彼の隣に座り、滴る蜂蜜の中に様々な変態の段階にある蜂たちが散りばめられているのを物欲しそうに見ながら、彼がいくらか分けてくれるのを待った。欲しいものを眼差しで要求したり、はっきり口にしてそれを手に入れることが正しい振る舞いであると、ようやく私が理解したのだと彼が思っているとは、私には思いもよらないことだった。彼の浮気を私が知っていることを思い出してもらいたくて、あるとき私は訊ねてみたことがある。浮気相手の夫が怒って、また頭を打ちに来るかもしれないのに恐くはないのかと。
エテワは全く驚いたといった様子で私を見た。「きみは全然分かってないんだな。でなくちゃ、そんなことを聞くはずがない」冷たい調子でそう言い、少しばかにしたような面持ちで、少年の集団の方に視線を転じた。少年たちは、もともとは矢じりだった竹のかけらを熱心に研いでいた。
似たような状況でエテワに出くわすことが何回かあり、いつも偶然というわけでもなかった。じきに分ったのは、夜明けは用を足すためだけの時間というわけではなく、安心して婚外活動に励むための時間でもあったということである。誰と誰が密通しているのかに私は深く関心を持った。前の晩のうちに合図を出し合い、カップルたちはあくる夜明けにはやぶの中に消えていくのだった。
**104**数時間後、何事もなかったかのように、カップルは別々の道を通って戻ってくるのだが、たいてい木の実か果物、蜂蜜などを手にしている。焚き木を抱えていることもあるほどだ。自分の女がしていることに気づいたときの夫の反応は、暴力的な場合もある。イラマモウェがしているのを見たことがあるように、女を殴ったり、殴るだけでは足りなくて、相手の男に棍棒を突きつける者もいる。他の者まで加わり大きな喧嘩になることもまれではなかった。
「なんで笑ってるのよ?」リティミの言葉で私の回想は遮られた。
「あなたの言った通りだからよ」私は言った。「私って時々、信じがたいほどのおばかさんになるもんね」エテワがしていることをリティミはすべて知っているのだということが、不意に分かった。多分シャボノの誰もが、何が起きているかについて知ってているのだ。最初のときエテワが私に蜂蜜をくれたのは、単なる偶然だったに違いない。疑いの目でもってそのことを考えていたものだから、自分が彼の共犯者だと思い込んでしまっただけなのだ。
リティミは私の首に両腕を巻きつけ、頬に何度も大きな音を立てながらキスをしてくれ、あなたはばかなんかじゃない、ただあまりに物を知らないだけなんだと、受け合ってくれた。エテワが誰と関係を持っているかが分かっている限り、彼の浮気についてそれほど気になるわけではないのだ、とリティミは説明してくれた。もちろん嬉しいことではないけれど、シャボノの中の話であれば、何とかなるという思いがリティミにはあった。エテワが別の村から三人目の妻を娶るのでないかと考えると、彼女は気が滅入るのだった。
「どうやってあの女に魔法をかけるの?」私は聞いた。「自分で煎じ薬を作るの?」
リティミは立ち上がると満足気に微笑んだ。「今それを言ったら魔法は効かなくなっちゃうわ」目に面白がるような色を浮かべ、言葉を切った。「魔法がうまくかかったら教えてあげる。ひょっとしてあなただって、いつか魔法のかけ方を知る必要が出てくるかもしれないし」
「その女を殺しちゃうの?」
「まさか。そんな度胸はないわ」彼女は言った。「あの女、流産するまで背中が痛むことになるのよ」**105**リティミは肩にかごをかけると、自分のタバコの畑の近くに残っている何本かの木のうちの一本に向かって歩き出した。「来て。川で水浴びをする前に少し休みましょう」
私は少し立ち止まって、疲れた足の筋肉を休めてから、彼女のあとを追った。リティミは地面に腰を下ろし、大きな木の幹に背をもたれさせていた。木は私たちと太陽の間に手のひらを広げるかのように葉を広げ、涼し気な木陰を作っていた。地面は落ち葉で覆われて柔らかい。私は頭をリティミのももに乗せて空を見上げた。とても青く、青白いと言ってもいいほどで、透き通るような色の空だった。風が私たちの後ろの籐の茂みをそよがせた。遅い朝の静けさの邪魔をするのは気が進まない、とでもいうような穏やかな風だった。
「こぶはもう直ったわね」リティミは私の髪の中、指を走らせて言った。「それに足の傷もすっかり消えた」からかうように言葉を足した。
まどろみながら私はうなずいた。大したこともない傷がもとで病気になるのではないかと心配する私を、前から彼女は笑っていたのだ。プリワリウェが安全な場所まで引っ張っていってくれたということ自体が、私が良くなることの証なのだと、彼女は受け合ってくれていた。それでも私は足の切り傷から感染することが心配で、彼女に毎日沸かしたお湯で洗ってくれるように頼んだのだった。ハヤマのお婆は更に予防として、自然の感染防止薬だという蟻の巣を焼いた粉を傷に刷り込んでくれた。刺激のあるその粉は、特に悪い影響もなく、傷はじきに直った。
目の前に広がる畑の風通しのよい広い空間を、半分閉じた目で私は眺めていた。畑の端の方から聞こえてくる叫び声に驚いて、私は目を開けた。バナナの葉の陰からイラマモウェが突然現れ、空へと続く道を行くかのように見えた。ラシャ椰子のとげの生えた幹を登っていく彼の動きを、私は呪文にかけられたかのように見守った。とげで怪我をしないように、二本の棒を交差させて結んだものを二組持ち、一組ずつ交互に幹の上に置きながら、彼は椰子の木を登っていた。**106**手慣れた様子で、一つの動きから次の動きへと滑らかに移っていく。交差させた棒の一組から一組へと立つ位置を変えては、もう一方の組を更に高い場所へと置き直し、やがてラシャの黄色い実が房になっているところまで辿り着いた。地面から六十フィートはあるに違いない。少しの間イラマモウェは、空を背景に銀色の弧を描く椰子の葉の陰に隠れた。実を切って取り、長いつるで巻いて重たい束にまとめると、それを地面に落とした。そしてゆっくりと地面へ向かって降り始め、緑のバナナの葉の間に姿を消した。
「私、茹でたラシャの実、好きだな、味があれの味に似てて……」そこまで言って私は、イティコテリの言葉でじゃがいもを何と言うのか知らないことに気がついた。私は体を起こした。リティミは頭を横に倒し、口を少し開いてすやすやと眠っていた。「水浴びに行こうよ」そう言って私は、草の葉で彼女の鼻をくすぐった。
リティミは私を見た。夢から覚めたばかりで自分がどこにいるか分らないといった顔をしていた。ゆっくりと立ち上がり、猫のようにあくびと伸びをした。「うん、行こう」そう言って、背中にかごを結んだ。「水を浴びて夢を洗い流すわ」
「悪い夢でも見たの?」
深刻そうな顔で私を見ると、彼女は前髪を掻きあげた。「山の中に一人で、あなたがいたの」夢の内容を思い出そうと努力しているかのように、彼女はぼんやりと言った。「あなたは怖がってはいなかったけど、泣いてたわ」彼女はじっと私を見つめ、そしてつけ加えた。「そしたらあなたに起こされたってわけ」
私たちが川へ向かって道を歩き出したところへ、エテワが後ろから走ってやってきた。「ピシャアンシの葉を取ってきてくれ」彼はリティミに言った。そして私の方を向いて言った。「きみはぼくと一緒に来るんだ」
私は森の中の新しく開かれた場所を彼のあとについて歩いた。切り倒した木々の木っ端の間に新しいプランテンの株が植えてあり、刈り込まれた葉がさや状に地面の上に顔を出していた。。十フィートから十二フィートほどの間隔が開けてあり、大きくなったときに葉が重なりはするが、互いに陰にならない程度になっている。**107**エテワ、イラマモウェなど、首長のアラスウェに近い血縁の者たちが手伝って、大きなプランテンの親株から株分けしたのは、ほんの数日前のことだ。木のつると厚い葉で作ったかごに背負いひもをつけて、重い株をいくつもこの新しい場所まで運んできたのである。
「蜂蜜でも見つけたの?」私は期待して聞いた。
「蜂蜜じゃないよ」エテワは言った。「だけど、同じくらいおいしいやつさ」アラスウェとその大きい方の息子二人が立っている方を、彼は指さした。バナナの老木を代わる代わる足で蹴っている。緑の葉が幾層にも重なった幹の間から、何百匹もの白っぽい幼虫がこぼれ落ちてきていた。
リティミがピシャアンシの葉を持ってくるとすぐに、少年たちはうごめく虫を拾って、その丈夫で大きな葉の上に乗せた。アラスウェは小さな火を起こした。息子の一人が楕円形の木片を地面に足でしっかり固定すると、アラスウェは手のひらで挟んだ錐を目を見張る速さで回転させた。白蟻の巣の上に乾いた小枝と棒が乗せておき、発火した木の粉でその巣に火をつけるのだ。
リティミはピシャアンシの葉が黒くこげ、ぱりぱりになる程度に軽く火にかざして幼虫を焼いた。エテワは焼けた包みを一つ開くと、人差指を唾で濡らし、その周りに火の通った幼虫をつけると、私に差し出した。「おいしいぞ」そう言って彼は勧めたが、私は顔を背けた。彼は肩をすくめ、自分の指をきれいに舐めた。
リティミは口いっぱいに頬張りながら、私に食べるようにうながした。「まだ食べてもないのに、どうして嫌いだなんていうのよ?」
私は灰色っぽく、まだ柔らかい幼虫の一匹を、親指と人差指でつまんで口に入れた。エスカルゴや火を通した牡蠣と同じようなものだと自分に言い聞かせたが、いざ飲み込もうとすると、舌にへばりついて飲み込むことができなかった。一旦口の中から出し、唾が十分に溜まるのを待ってから、薬でも飲むように一飲みにした。**108**「朝はプランテンしか食べれないのよ」エテワが虫の包みを私の方に差し出すので、私はそう言った。
「畑で働いてたんだろ?」彼は言った。「だったら食べなくちゃ。肉がないときにはこいつを食うに限るよ」そして、今まで何度も彼が取ってきた蟻やムカデを喜んで食べていたじゃないかと、彼は私に言った。
期待して見ている彼の顔を見ると、ムカデは小さく切って揚げた野菜と味こそ似ていたものの、どちらもこれっぽっちも好きではないのだということを、わざわざ彼に言う気にはならなかった。気は進まなかったが仕方なく、もう何匹か焼いた幼虫を無理矢理飲み込んだ。

リティミと私は男たちのあとについて川へ向かった。子どもたちが川の中で水を掛け合いながら、深い水溜りに落ちて溺れてしまった獏の歌を歌っていた。男たちと女たちは葉っぱで互いの体をこすり合った。彼らの体は太陽の光で、黄金色になめらかに輝いている。真っ直ぐな髪から滴り落ちる水の滴が光を反射して、ダイアモンドの首飾りのようにきらめいた。
ハヤマのお婆が私を手招きし、川の縁にある大きく滑らかな岩の上、自分の隣に座らせた。リティミの祖母であるこの人が、特別に私の面倒を見ることになったのだと私は思っていた。そして、私を太らせることが彼女の課題なのだった。シャボノの子どもたちが、よく食べることで、丈夫に健康に育てられるのと同様に、ハヤマのお婆は、一日中食べ物が絶えることがないようにと、私のために気を使ってくれるのだった。私が砂糖が欲しくてどうしようもないのを知って、彼女は大いに私を甘やかし、その気持ちを満たしてくれた。刺すことのない蜂が集める、濃くて甘い、色の薄い蜂蜜があり、子どもたちにはこの蜂蜜しか与えられないのだが、それを誰かが見つけたときには、私が少なくとも味見はできるように、ハヤマのお婆が取り計らってくれた。人を刺す黒い蜂の蜂蜜を誰かがシャボノに持ち帰ったときにも、やはりハヤマが私のために少しの量を確保してくれた。この蜜は、子どもに与えると吐き気を起こし、死に至ることもあるとイティコテリの人たちは信じており、大人しか食べられないものだ。**109**私が両方の種類を食べても特に問題はないのだと、イティコテリの人たちは考えていた。彼らにとって私は、大人とも子どもとも決めかねる存在だったからだ。
「ほら、お食べ」ハヤマのお婆はそう言って、ソパアの実をいくつか差し出した。緑がかった黄色をしており、レモンほどの大きさの実だ。私は石を使ってその実を割った。というのは、イティコテリの人たちの真似をして歯で木の実や果物を割ろうとして、歯が欠けてしまったことがあったからだ。白くて甘い果肉をすすり、茶色い種は吐き出した。粘つく果汁が指と手にへばりついた。
ちびのテショマが私の背中に上り、昼も夜も連れて歩いている小さなオマキザルを私の頭の上に乗っけた。猿が長い尻尾を、私の首に強く巻きつけ、息が苦しいほどだった。猿は毛むくじゃらの手の一方で私の髪につかまり、もう一方の手を私の顔の前に伸ばして、私が持っている実を取ろうと懸命だった。猿の毛やシラミが一緒に口に入るのは嫌だったので、私は体を振ってテショマと猿を落とそうとした。けれど、テショマも猿も、私が遊んでくれているものと思って、喜びの声を上げるだけだった。私は足を水の中に下ろし、Tシャツを頭の上にめくった。不意をつかれ、テショマと猿は私の体から飛び降りた。
子どもたちが私を砂の上に引っ張って倒し、私の横で転げ回った。くすくす笑いをしながら、一人ずつ順番に私の背中の上を歩いた。疲れて痛む筋肉の上を、子どもたちの小さくて冷たい足が踏んで歩くのは、とても気持ちがよかった。長い時間、畑で草取りをしたあと、肩、首、背中をマッサージしてくれるよう女たちに頼んでみたことがあるが、それは無駄だった。とても気持ちがよいのだと実際に何度かやってみせたが、女たちは、触ってもらうのは気持ちがよいけれど、マッサージはシャポリしかせず、病人や呪文をかけられた人間に対してするだけだと言うのだった。幸い、私が自分の背中の上を子どもたちに歩かせても、イティコテリの人たちは何も言わなかった。そんな野蛮な行ないが気持ちいいなどということは、彼らにはとても考えられないことだったのだ。
**110** トゥテミが砂の上、私の隣に座って、リティミに貰ったピシャアンシの包みを開いた。大きくなったお腹とよく張った胸が、きつく張った皮で吊られてでもいるかのように見えた。トゥテミは、痛みや吐き気を訴えることもなく、何かが特別欲しいと言ったりもしなかった。実のところ、お腹に子どもがいるときに女性が食べてはいけないとされるものは多く、そんなことで健康な赤ちゃんが産めるのだろうかと、たびたび思うほどだった。大きな獲物は食べることが許されず、たんぱく質を取れるものと言えば、昆虫、木の実、幼虫、魚、それから何種類かの小鳥だけだった。
「赤ちゃんはいつ生まれるの?」お腹の横を撫でながら、私は聞いた。
リティミは眉を寄せてしばらく考えてから言った。「今の月が来て行って、次の月が来て行って、そしてその次の月が来てそれが消える前に、丈夫な赤ちゃんが生まれるわ」
彼女の言っていることは合っているのだろうかと私は考えた。言うとおりなら、まだ三ヶ月先ということになる。けれども、私にはもういつ生まれてもおかしくないほどに見えた。
「川上に行くと魚がいるよ、あなたが好きな種類のやつ」微笑みながらトゥテミが言った。
「少し泳いで、それから一緒に魚を獲りに行くわ」
「わたしも一緒に泳ぎに行きたい」ちびのテショマがせがんだ。
「猿は置いてかなきゃダメよ」トゥテミが言った。
彼女はオマキザルをトゥテミの頭にとまらせると、私のあとを追って走ってきた。はしゃいで声を上げながら、水の中、彼女は私の肩につかまって背中に乗った。私は一かき一かきゆっくりと大きく手足を伸ばして泳ぎ、向こう岸の水溜りまで行った。
「川底までもぐってみたい?」私は聞いた。
「したい、したい」テショマは大きな声で言うと、濡れた小さな鼻を私の頬に擦りつけた。「目はちゃんと開けて、息はちゃんと止めて、おねえちゃんの首はしめないように、しっかりつかまるから」
水はそれほど深くなかった。**111**水溜りは木陰になっていたが、琥珀色の砂の上に、灰色、緋色、白の小石が散らばっているのがぼんやりと、しかし明るく輝いて見えた。首にテショマの手がしっかり巻きつけられているのを感じながら、私は素早く水面まで戻った。
「早く上がって」私たちの姿を見ると、トゥテミが大きな声で言った。「あなたたちを待ってたの」隣にいるリティミを指さして言った。
「シャボノに戻るところなの」リティミが言った。「カモシウェに会ったら、これを渡してちょうだい」幼虫の包みの最後の一つを、彼女は私に渡した。
よく踏みならされた道を、女たちと数人の男について私は歩いた。じき道の真中に立っているカモシウェに出くわした。自分の弓に寄りかかり、ぐっすり眠っているように見えた。私は包みを彼の足元に置いた。すると年老いたカモシウェは、いい方の目を開いた。明るい日差しに目を細めると、傷跡のある顔は歪んで、不気味なものに見えた。彼は幼虫の包みを拾い上げると、片方の足からもう一方の足に重心を変えながら、ゆっくりと食べ始めた。
カモシウェのあとについて、私たちは植物がよく茂った小さな丘を登っていった。彼の動きの素早さには目を見張るものがあった。彼は足元を見ることもなく、根やとげを避けて軽々と歩いた。
年老いて少しばかり縮んだ様子の彼は、私が知っている中で一番年を取って見える人物だった。髪の毛は、黒でも白でも灰色でもなく、はっきりしない色のウールのモップのようで、何年もくしを入れたことがないに違いなかった。けれど、その髪は短く、ちょくちょく刈っているようにも見えた。たぶんそれ以上伸びないのだろう、と私は考えた。彼のあごの不精ひげがいつも同じ長さなのと同じことだ。しわの刻まれた顔に残る傷跡は、彼の片目を奪った棍棒の一撃の名残だ。喋る声はほとんど呟きに過ぎず、何を言っているかは推測するしかなかった。
夜になると彼は、広場の真ん中に立ち、何時間も話すことがよくあった。子どもたちはその足元にしゃがみ込み、彼のためにつけられた焚き火に焚き木をくべた。**112**年老いたその声には、見かけからは信じられない力強さと優しさがあった。彼の言葉が夜の闇に放たれるとき、そこには急を要する響きがあり、戒めの意味合いや、惹きつけられる魅力が感じられた。「この老人の記憶の中にしまわれているのは、知恵と伝統の言葉だからな」ミラグロスがそう説明してくれたことがある。カモシウェがアンゲリカの父親であることを彼が教えてくれたのは、祭りのすぐあとのことだった。
「カモシウェがあなたのおじいさんだってこと?」信じられずに私は聞いたのだった。
「俺が生まれたときには、カモシウェはイティコテリの首長だった」ミラグロスはうなずきながら、そう言葉を続けた。
カモシウェはシャボノの入り口に近い小屋に一人で住んでいた。狩りも畑仕事ももうしなかったが、食べ物や薪に困ることはなかった。女たちが木の実や野いちご、焚き木を取りに畑や森に行くときには、彼も一緒に行った。カモシウェは、矢じりにつけたバナナの葉で顔に当たる日射しを遮り、弓に寄りかかって立ったまま、女たちが働く様子を見ているのだった。
時折り彼は宙で手を振った。鳥に向けてか、雲に向けてか、彼がイティコテリの誰かの魂だと信じるものに向かってのことだ。また時折り彼は一人笑った。けれど大抵は静かに立ったまま、夢を見ているか、それとも木々の葉をそよがす風の音に耳を傾けるかしていた。
イティコテリの人々の間にいるとき、彼が私の存在をわざわざ認めることはなかったが、片方だけの彼の目が私に向けられているのを感じることはしばしばあった。彼が私の居場所を確認しているのだとはっきり感じることもあり、それは、私が行動を共にしている女たちの集団に彼がいつもついてくることからしても間違いなかった。夕暮れ時、私が一人になろうと川に向かうときにも彼はそこにいて、私からそれほど遠くない場所にしゃがみこんでいるのだった。
私たちは両岸の間、川幅が広くなっているところで立ち止まった。黄色い砂の上に黒っぽい岩がいくつか、誰かがわざわざ左右対照に置いたかのように並んでいた。**113**日陰になっている水面は静かで、黒々とした鏡のように、巨大なマタパロスの木の気根を映していた。三十メートル近い高さから降りてくる何本もの気根が、きつく巻きつき、親となる木を締めつけていた。その死をもたらす気根の持ち主が、鳥によって小さな種を落とされ、最初に芽生えたのは、親木の一本の枝の上だったのだ。その親木が何の木なのか私には見分けがつかなかったが、悲劇的にも美しく曲げられた何本かの枝がとげだらけなのを見ると、パンヤノキだったのかもしれない。
何人かの女たちが、近くに生えているアラプリの木の枝を取って、浅い川に入っていった。女たちは水を打ち、甲高く耳に障る声が静けさを破った。驚いた魚は対岸の腐った草の下に逃げ場を求めたが、そこでは別の女たちが素手で魚を取ろうと待ち構えていた。女たちは魚の頭を噛み切り、まだ体をくねらせる魚を砂の上に置いたかごに投げ入れた。
「来て」首長の妻の一人が言った。私の手を取り、上流へと連れていく。「男たちの矢で、私たちの運を試すのよ」
女たちの集団は、武器を貸すようにと高い声で叫んで、一緒に来ていた男たち、少年たちを囲んだ。魚獲りは女の仕事と見なされていたので、男たちは一緒に来はしても、笑ったり野次を飛ばしたりするだけだったが、このときに限って、彼らは女たちに弓矢を使うことを許した。何人かの男が女に武器を渡し、間違って矢に当たったりしないようにと、川岸の安全なところへと急いで逃げた。まだ自分たちの中の誰も殺されていないことを、彼らは面とても白がって喜んだ。
「やってみろ」アラスウェはそう言って、自分の弓を私に渡した。
学校でアーチェリーをやったことがあったので、私は自分の腕には自信があった。けれど、彼の弓を受け取ると、それが無理であることがすぐに分かった。弓を引くことすらほとんどできず、短い矢を射ってみようにも腕の自由がきかなかったのだ。何度か試してみたものの一匹の魚も射ることができなかった。
**114**「何とも大胆な打ち方だな」カモシウェ老人はそう言うと、イラマモウェの息子の一人から小さい弓を借りて私に渡した。少年は何も言わなかったが、不満気に私をにらんだ。彼くらいの歳で、望んで女に弓を貸す者などいなかったのだ。
「もう一度やってみろ」カモシウェがうながした。彼の片方だけの目が、奇妙なほどに輝いていた。
少しもためらうことなく、私はもう一度弓を引いた。水面の下、輝く銀の魚が一瞬止まって見えたところに狙いを定めた。弓を引く力がふいになくなるのを感じ、矢が自然に放たれた。水を打つ矢の音がはっきり聞こえ、次に血が流れるのが見えた。女たちが歓声を上げながら、矢に射抜かれた魚を宙に掲げた。中くらいの鱒くらいの大きさの魚だった。私が武器を返すと、少年は驚きと賞賛の目で私を見た。
私はカモシウェ老人を探したが、もうどこかに行ってしまっていた。
「お前に小さい弓を作ってやろう」アラスウェが言った。「それと魚を射るのに使う細い矢をな」
男や女が周りに集まってきた。「その魚、本当にお前が仕留めたのか?」男の一人が聞いた。「もう一度やってくれ。見てなかったからな」
「この人がやったんだよ、この人がね」アラスウェの妻が、獲物を見せながら、受け合った。
「ア・ハハハハ」男たちは驚きの声を上げた。
「どこで弓矢の使い方を覚えたんだ?」アラスウェが聞いた。
学校とはどういうところなのか、自分にできる限りの説明を試みた。しかし、アラスウェの戸惑いの顔を見て、父親に習ったとでも言っておけばよかったと後悔した。二、三の文章だけでは説明できない事柄を説明しようとすると、私にとってだけではなく、聞いている相手にとっても、もどかしいことになってしまうことが何度もあった。適切な言葉を知らないということもあったが、彼らの言語にはある種の言葉がそもそも存在しないということから、難しさが生じるのだった。私が話せば話すほど、アラスウェの表情は混乱したものになっていった。**115** 彼は、がっかりした様子で眉を寄せながら、どうして弓矢の使い方を知っているのか、きちんと説明するようにと更に言った。ミラグロスが別の村に行っていなければなあと、私はため息をついた。
「鉄砲を扱うのがうまい白人なら何人か知っておる」アラスウェは言った。「しかし弓矢を使いこなす白人など一人も見たことがない」
矢が魚を射抜いたのはただの偶然だったのだし、別に大したことではなかったのだと、私は思って欲しかったが、アラスウェは私が先住民族の武器の使い方を確かに知っているとあくまでも言い張った。私の弓の構え方にはカモシウェも注目していたと、彼は大きな声で言うのだった。
学校とはどんなところなのかということは、どうにか伝えられたようだった。というのは、他に何を教わったのかを教えろと、彼らがせがんだからだ。ノートを文字で飾るやり方も学校で学んだことの一つだと言うと、彼らは大笑いをした。「きちんと教わらなかったんだろう」アラスウェは自信満々に言った。「お前の模様はまったくお粗末だ」
「マチェーテの作り方は知らないのか?」男の一人が聞いた。
「それには何百人も人が必要なの」私は言った。「マチェーテは工場で作られるのよ」分かってもらおうと一所懸命になればなるほど、私の舌はもつれた。「マチェーテを作るのは男だけなの」結局最後にそう言って、彼らに満足の行く説明がついたと、私は胸をなで下ろした。
「他には何を習った?」アラスウェが聞いた。
テープレコーダや懐中電灯など、何かそういった彼らをびっくりさせる物をもってきていないことが悔やまれた。そのとき、思い出したのが、数年間に渡って体操の練習をしたことがあるということだった。「宙を飛ぶことができるわ」私は特に考えずにぱっと言った。そして、砂地の浜をきれいにして正方形の場所を作り、魚で一杯のかごをその四隅に一つずつ置いた。「この中には誰も入ならいでね」私は自分専用の競技場の真ん中に立つと、好奇心も露わにして自分を取り巻いている、たくさんの顔を見回した。私が柔軟体操をし始めると、彼らは面白がって大きな笑い声を上げた。**116**砂には、床体操用のマットのような柔らかさはないが、着地を誤っても怪我をすることはないだろうと考えて私は自分を安心させた。私は何度か倒立、側転、そして前方と後方の倒立転回をし、最後に前方と後方の宙返りをした。演技を終えた体操選手の見事な着地、という具合にはいかなかったが、取り巻く観衆の称賛の顔に私は満足した。
「全く奇妙なことを教わっているものだ」アラスウェが言った。「もう一度やってみせろ」
「二回続けては無理よ」私は呼吸を整えようと砂の上に座った。たとえもう一度演技をしたいと思ったとしても、とてもできる状態ではなかった。
男も女も近づいてきて、興味津々の目を私に向けた。「他には何ができる?」男の一人が聞いた。
少しの間わたしは言葉に詰まった。もう十分やったと思ったのだ。けれどしばらく考えてから私は言った。「頭で座ることができるわ」
周りの皆は笑いに体を震わせて、涙が頬に流れるほどだった。「頭で座るだって!」彼らはそう繰り返し言っては、その度に新たな笑いの渦が起きるのだった。
前腕を地面に平らに付けると、合わせた手のひらの上に額を乗せ、私はゆっくりと体を持ち上げた。そしてバランスを確かめてから、宙で足を組んだ。笑いが止んだ。アラスウェが地面に平らに寝そべり、顔を私の顔に近づけた。そして、目尻にしわを寄せて私に微笑みかけた。「白い娘さんよ、お前さんのことをどう考えればいいのか、わしには分からん。けれど分かるのは、お前と一緒に森に行ったら、猿たちは動きを止めてお前を見入るに違いないということだ。呪文にかけられたように、じっとお前に見入ってる猿たちを、わしが弓で射っちまえるに違いない」皮膚の固くなった大きな手で、彼は私の顔に触れた。「もう普通に座ったらいい。オノトを塗ったように顔が真っ赤だ。お前の目玉が転がり落ちないかと心配だよ」

シャボノに戻るとトゥテミが、ピシャアンシの葉に包んで調理した魚の包みを一つ、私の前の地面に置いてくれた。**117**皆が驚いたが、私は魚のほうが、アルマジロやペッカリや猿の肉よりも好きだった。クロリの灰から作られるしょっぱい調味料とピシャアンシの葉の風味が、魚本来の味に辛味を加えてとてもおいしくなるのだ。
「お前が弓矢の使い方を習ったのは、父親の望みだったかのか?」アラスウェが私の隣のしゃがみ込んで聞いた。そして、私が答えるのを待たずに続けた。「お前が生まれたとき、父親は男の子が欲しかったのか?」
「そんなことはないと思うな。私が生まれてとても喜んでくれたし、もう二人の息子がいたし」
アラスウェは自分の前に置かれた包みを開けた。言葉ではうまく表すことができない謎について考えを巡らしているかのように、黙ったまま魚を葉っぱの真ん中に動かした。自分の魚を少し取るようにと、彼は身振りで示した。私は親指ともう二本の指で、大きめの魚の一切れを取り、口に入れた。私は腕に垂れた汁をなめ、舌が骨に当たると、魚の砕けやすい身は吐き出すことなく、骨だけを地面に吐き捨てた。こうすることは、イティコテリの作法に適うことだった。
「どうして矢の打ち方など習った?」アラスウェがじれったいとでも言うような調子で聞いた。
「いつかここに来ることになるって、私の中の何かが知ってたのかもしれない」考えることもなく、私は答えた。
「女は弓矢を使わんということも、知っとったらよかったのにな」私に軽く微笑むと、彼は魚を食べ始めた。

☆続きはこちらです。
[第10回]

2017年7月14日金曜日

08 フロリンダ・ドナー「シャボノ」 -- アマゾンの奥地・ヤノマミ族の暮らし


カルロス・カスタネダの呪術師仲間、フロリンダ・ドナーが描くアマゾン奥地のシャーマニズムの世界。「シャボノ」の翻訳、第8回めを公開します。
NHKの番組から劇場公開された「ヤノマミ~奥アマゾン-原初の森に生きる~-劇場版」でも描かれる、嬰児殺しの風習をもつヤノマミ族の物語です。

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フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳、第8回
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は、四百字詰め原稿用紙25枚ほどの分量です]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆第1回〜第7回はこちらです。
[第1回] | [第2回] | [第3回] | [第4回] | [第5回] | [第6回] | [第7回]

[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします]

アマゾンの森の奥地で原初の生活をする、先住民族たちの祭りの風景を、どうぞ、お楽しみください。

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**086**
第8章

赤い夕陽が、燃えるような色合いに空気を染めていた。暗闇に素早く溶け込んでしまうまでのほんの数分の間だけ、空は燃え上がるのだった。祭りは三日目を迎えていた。私は、自分のハンモックの中から、エテワの子どもたち、アラスウェの子どもたちと一緒に、六十人ほどの男たちが踊るのを見ていた。イティコテリの者も訪問客も混ざり合って、食事も休みも取らずに、広場の真ん中で昼から踊り続けていた。鋭い叫びのリズムと、弓と矢を打ち鳴らす音に合わせ、男たちは一方に向かったかと思うと、次に逆向きに方向を変え、前に後ろに足を踏み出している。終わりのない音と動きが脈打ち続け、羽根と体の列が波のようにうねり、赤と黒の模様がぼやけて見えた。
やがて満月が梢の上まで上り、広場を皓々と照らした。止むことのない音と動きの間につかの間の静寂が訪れた。次の瞬間、踊り手たちは、弓と矢を脇に投げ出すと、喉を締めつけるような野蛮な叫び声を上げて、耳をつんざくばかりの音で辺りを一杯にした。
踊り手たちは小屋の中に駆け込んでくると、囲炉裏から火のついた薪をつかみ出し、狂ったような勢いでシャボノを支える柱に打ちつけた。ありとあらゆる種類の虫たちが、地面に雪崩を打って落ちてしまわないようにと、椰子葺きの屋根から身を守るために這いずり出してきた。
**087** 小屋が潰れてしまうのではないか、それとも火の粉が屋根に燃え移るのではないかと心配になり、私は子どもたちと一緒に外に走って逃げ出した。男たちがどしどしと歩くと、大地はその足元で揺れ、小屋にあるすべての囲炉裏が踏みにじられた。火のついた薪を頭の上高くで振り回しながら、男たちは広場の真ん中に駆け出していき、前よりも勢いを増した熱狂で再び踊り始めた。広場を丸く囲み、頭を前に後ろに振るその姿は、糸の切れた操り人形のようだった。汗で光る肩に、頭を飾る白く柔らかい羽根が舞った。
月が黒い雲の影に隠れると、広場を照らすのは火のついた薪が飛ばす火の粉だけだった。男たちの鋭い叫びは一層高くなり、棍棒を頭の上に振り上げながら、女たちを踊りに誘った。
叫び、笑いながら、女たちは前に後ろにと走り、打ち振られる薪を巧みによけた。黄色くなった椰子の実の房を高く掲げながら、若い娘たちが踊りの輪に加わると、佳境へと向けて踊り手たちの熱狂はいよいよ高まった。娘たちは自分たちを差し出すかのようにゆらゆらと体を揺らしている。
私の手をつかんで踊りの中に引っ張りこんだのがリティミだったのかどうか定かではない。というのも次の瞬間には、陶酔状態の顔が行ったり来たりする只中に、私は一人で立っていたからだ。無数の影と体の間に囚われてしまった私は、小屋の中、安心していられる場所に立っているハヤマのお婆のもとになんとか辿り着きたいと思ったが、どちらの方向へ進めばよいかも分らなかった。男が私を踊り手の間に押し戻した。頭の上で薪を振り回しているその男が誰なのかも分らなかった。
私は恐怖にかられて、叫び声を上げた。体の中を響き渡る無数の反響の中で、自分の力が尽き、自分の叫びがかき消されるのを感じた。**088**頭の横、耳のすぐ後ろに鋭い痛みを感じて、私は顔から地面に倒れた。目を開け、自分の周りで濃くなってくる影の向こう側を見ようとした。熱狂して宙を飛び跳ねる足の群れの持ち主たちは、その足元に私が倒れていることに気づいているのだろうかと、私はぼんやりと考えた。続いて闇が訪れ、ときどきいくつかの光の点が走って頭の中に入り、外に飛び出した。夜に光る土ボタルのようだった。
踊り手たちに踏み潰されないように、誰かがハンモックまで引きずっていってくれるのを、私はぼんやり感じていた。なんとか目を開けてみたが、自分の上を漂う姿はぼやけて誰だか分らなかった。二本の手が優しく、少し震えながら、顔と頭の後ろを触った。一瞬、アンゲリカの手だと思った。けれど、聞き間違えようのない、腹の底から響いてくるような声が聞こえてきて、助けてくれたのは老シャーマンのプリワリウェで、彼が唱いをしているのが分かった。目の焦点を合わせようとしたが、彼の顔は歪んだままで、何層もの水を通して見ているかのようだった。祭りの最初の日以来、彼を見かけていなかったので、どこに行っていたのか聞きたかったが、言葉は頭の中の映像にしかならなかった。
意識を失っていたのか、眠っていただけなのか、自分でも分からなかったが、目がさめた時にはプリワリウェはもうそこにいなかった。代わりにエテワが私をのぞき込んでいるのが見えた。あまりに近かったので、両頬、眉の間、そして両目の脇に描かれた赤い円に触れることができるほどだった。手を伸ばしたが、そこには誰もいなかった。私は目を閉じた。頭のなかで赤い円の模様が踊り、暗い虚空の中で赤いベールのように見えた。そのイメージが砕けて幾千ものかけらへと散っていくまで、私は一層強く目をつむった。焚き火が再び起こされた。小屋は心地よい暖かさで満たされ、煙でできた半透明の繭に包まれているような気がした。暗闇を背景に踊る影が、梁から吊るされたひょうたんの黄金色の表面に映って見えた。
幸せそうに笑いながら、ハヤマのお婆が小屋に入ってきて、私の横の地面に座った。「朝まで起きないと思ってたよ」彼女は両手を私の頭に当て、指で頭を探り、耳の後ろに瘤を見つけた。「こりゃ、大きい」彼女は言った。歳月の刻まれた容貌は、どこか遠くからくるような悲しみをたたえていたが、目には優しい光が灯っていた。
**089** 草の繊維のハンモックの中で私は体を起こした。そのときになって初めて、自分がエテワの小屋にいるのではないことに気がついた。
「イラマモウェの小屋だよ」ここがどこなのかと聞く前に、ハヤマが言った。「お前が男たちの一人の棍棒にぶつかって倒れたとき、一番近い小屋にプリワリウェが運んだのさ」
月は空高く上っていた。青白いその輝きが広場を満たしている。踊りは終わっていたが、耳には聞こえないうねりがまだ宙に漂っていた。
叫び声を上げ、弓矢を打ち鳴らしながら、一団の男たちが半円形を描いて小屋の正面に陣取っていた。興奮して激しく身振りをしている男たちの真ん中に、イラマモウェと訪問客の一人が進み出た。その客がどこの村の人間なのか私には分からなかった。祭りが始まってからというもの、様々な集団がやって来ては帰っていったが、そのそれぞれを見分けることが、私にはできなかったのだ。
イラマモウェは足を広げてどっしりとした姿勢を取り、左手を頭の上に上げ、胸をぐっと前に突き出した。「ハ、ハ、アハハ、アイタ、アイタ」そう叫ぶと、足で地面を踏み鳴らし、恐れを知らぬその声で相手に自分を打ってみろと挑発した。
若い客は、自分の腕の長さとイラマモウェの体までの距離を測りながら、間合いを直した。何回か素振りをしたのち、握り拳の力強い一撃をイラマモウェの左胸に食らわせた。
私は驚きに身を引いた。自分の胸に痛みが走ったかのように吐き気を感じた。「どうして戦ってるの?」ハヤマに聞いた。
「戦ってなどおらんさ」ハヤマは笑いながら答えた。「二人はヘクラスがどんな音を響かせるか聞こうとしてるのさ。一撃ごとに、自分たちの胸に住む命のみなもとであるヘクラスが、どんなふうに震えるかを聞きたがってるのさ」
**090** 群衆は熱い声援を送った。若い客は一歩退いて立ち、興奮して胸を上下させた。そしてもう一発、イラマモウェを拳で打った。イラマモウェは、まったく動じない眼差しで、顎をこれ見よがしに上げ、体には力を込めて立って、男たちの声援に答えた。三発目を受けて初めて、彼は姿勢を崩した。一瞬、唇を開き、楽しんでいるかのように、にやりと笑ったかと思うと、次の瞬間には再び、無関心と嘲りを示す唸り声を低く発した。絶え間なく打つ足の音は、この程度の打撃などほんの少しの不愉快以上のものではないことを示しているのだと、ハヤマが説明してくれた。相手はまだ十分な一撃を食らわせていないのだ。
不健全ではあるものの、倫理的には正しいと思える満足感を感じながら、イラマモウェが一撃ごとに痛みを味わうように、私は願った。彼はその報いに価すると思ったのだ。彼が自分の妻を殴るのを見て以来、彼に対する嫌悪感が私の中で育っていた。にも関わらず、彼が群衆の真ん中に立つ、勇敢な姿を見ると、私は称賛せずにはいられない気持ちになった。背筋を真っ直ぐに伸ばし、擦り傷のできた胸を前に突き出すその姿勢には、どこか子どもっぽい強がりも感じられた。彼は目の前の男を見つめていたが、その丸く平らな顔からは、狭い額と少しめくれた上唇とが相まって、とても傷つきやい印象を受けた。茶色い目がかすかにちらつくのは、彼が震えているせいなのだろうか、と私は考えた。
粉々に打ち砕くような強さで、四発目がイラマモウェの胸に打ち込まれた。嵐で岩が川を転げていくかのような音に、胸が打ち震えた。
「ヘクラスの音が聞こえたわ」そう言いながら、イラマモウェの肋骨が折れたに違いないと私は思った。
「彼こそワイテリだ」イティコテリの者も、その客たちも、声を合わせて叫んだ。他のものは目に入らないといった様子で、座ったまま上下に飛び跳ねながら、彼らは頭の上で弓矢を打ち鳴らした。
「まったく彼は勇敢な男さ」そう繰り返すハヤマの視線は、イラマモウェに釘付けになっていた。擦り傷のついた胸を誇らしげに膨らませながら、声援を送る男たちの真ん中に堂々と立つイラマモウェは、自分のヘクラスが力強く鳴り響いたことに満足している様子だった。
**091** 観衆を静めながら、首長のアラスウェが兄弟であるイラマモウェに向かって歩いた。「今度はお前がイラマモウェの拳を受ける番だ」四発の拳を放った若者にアラスウェは言った。
若者はイラマモウェの前で同じ受け身の姿勢を取った。イラマモウェの三発目を受けると、若者は口から血を流しながら地面に倒れた。
イラマモウェは宙に跳び上がると、倒れた男の周りを踊り回り始めた。顔も、力の入った首と肩の筋肉も、汗に濡れて光っていたが、力強いはっきりとした声で、喜びに溢れた叫びを上げた。「アイ・アイ・アイアイアイ、アイアイ!」
ハヤマと私が座っている場所の横の空いたハンモックに、訪問客の女が二人で傷ついた男を運んできた。一人は泣いていた。もう一人は男の上に体を屈め、口の血と唾を吸い出してやっていた。じきに男の息はゆっくりとした落ち着いたものになった。
イラマモウェは、また別の客に自分を打つよう挑戦していた。一発目の拳を受けると彼は地面にひざまずき、そのままの姿勢で相手に更に打つよう促した。次の一発を受けると彼は血を吐き捨てた。客はイラマモウェに向かい合ってしゃがみ込んだ。両腕を互いに相手に回し、二人は抱きしめ合った。
「お前はよく打った」イラマモウェは言った。ようやく聞き取れるほどの囁き声だった。「俺のヘクラスは命に溢れ、力強く、幸せだ。俺たちの血は流れた。いいことだ。俺たちの息子たちは丈夫に育つだろう。俺たちの作物も森の果実も甘く熟すに違いない」
客の側も同様の言葉を口にした。客は永遠の友情を誓い、大きな川の近くに住む先住民族から手に入れたマチェーテをイラマモウェに贈ることを約束した。
**092**「こいつはもう少し近くで見んと」そう言ってハヤマが小屋から出ていった。拳の儀式に次に出ようと輪の中に歩み出た者の中に、彼女の一番若い息子がいたからである。
傷ついた訪問客と一緒に、イラマモウェの小屋にはいたくないと私は思った。男を連れてきた二人の女は、自分たちの集団のシャーマンに、男の胸の傷の痛みを和らげる薬を用意してもらうために小屋から出ていっていた。
立ち上がると頭が回った。人気のない小屋をいくつも、ゆっくりと歩いて通り、ようやくエテワの小屋に辿り着いた。自分の綿のハンモックに入って体を伸ばすと、私は軽く意識を失うようかのように、奇妙な静寂に包み込まれた。
怒りに満ちた叫び声で、私は目が覚めた。「エテワ、断りなしに俺の女と寝たな」誰かが言った。その声はあまりに近く聞こえたので、私の耳に向けて言っているのかと思うほどだった。驚いて私は起き上がった。一団の男とくすくす笑う女たちが小屋の前に集まっている。エテワは群衆の真ん中で身じろぎもせずに立っていた。仮面のような顔からは何も読み取れなかったが、男の文句を否定もしなかった。突然、彼は叫んだ。「お前とお前の一族は、この三日間、腹ぺこの犬同様に食い続けたな」それは言いがかりとしか言いようのないセリフだった。祭りの間、招待者の畑と猟場は客のために提供され、客が頼んだものは何でも与えられるのが当たり前だったからだ。そのようなやり方で相手を侮辱するということには、相手が有利な立場にあることを暗に認める意味があった。「リティミ、俺のナブルシを持って来い」怒っている若者に、怒りの顔を向けながら、エテワは叫んだ。
泣きじゃくりながら、リティミが小屋に駆け込んできた。棍棒を手に取ると、夫の方を見もせずに、四フィートはある棍棒を渡した。「見てられない」そう言って彼女は私のハンモックに身をうずめた。私は慰めようと両手で彼女を抱いた。彼女がそれほど動揺していなかったら、私は笑い出してしまったに違いない。エテワの不実にはこれっぽっちも注意を払わず、その夜が真剣な決闘沙汰になってしまうのではないかと、そのことだけをリティミが心配していたからだ。**093**互いに叫びをぶつけ合う二人の怒れる男と、群衆の興奮した様子を見ているうちに、私は今度は警戒しなくてはという気持ちになってきた。
「俺の頭を打て」怒り狂う訪問客が言った。「男なら俺を打ってみろ。ともにまた笑うことができるかどうか、試してみようじゃないか。俺の怒りが過ぎ去るかどうか、見てみようじゃないか」
「俺たちは二人とも怒っている」手には重いナブルシを持ち、不遜な態度で決意の力を込め、エテワは叫んだ。「俺たちは怒りを治めなきゃならん」そして、それ以上の言葉はなしに、男の剃りあげた頭に力強い一撃を与えた。
傷口から血が吹き出し、ゆっくりと広がって男の顔を覆い、奇怪な仮面のようになった。男の足は震え、今にも倒れそうだったが、持ちこたえた。
「俺を打て。そうすれば俺たちはまた友だちになれる」エテワは攻撃的に叫び、どよめく観衆を静めた。そして自分の棍棒に寄りかかり、頭を低くして待った。男が打つと、エテワは一瞬意識を失ったようだった。額とまつ毛に血が流れ落ち、彼は目を閉じざるを得なかった。男たちの爆発的な歓声が沈黙を破り、二人にもう一発ずつ打ち合うように、声を一つにして叫び、要求した。
半ば魅了され、半ば不愉快な気持ちになりながら、向かい合って立つ二人の男を私は見守った。二人の筋肉には力がみなぎり、首の静脈は膨れ上がり、目はぎらぎらと輝いていた。怒りの血流が二人を若返らせたかのようだった。蔑みの色を浮かべる赤い仮面となった二人の顔には、苦痛を感じている様子は全くなく、傷ついた雄鶏のように互いに相手の周りをゆっくりと歩いた。
手の甲で視界を邪魔する血を拭うとエテワは唾を吐いた。棍棒を持ち上げ相手の頭に落とす。すると相手は音もなく地面に倒れた。
舌を打ち鳴らし、目は半ば泳がせて、観衆は恐ろしげな叫びを上げた。**094**耳をつんざく彼らの歓声がシャボノ全体を満たすにつれ、喧嘩が始まるに違いないと私は確信した。リティミの腕にすがりついた私は、彼女の表情に気づいて驚いた。涙のあとを残す彼女の顔は、今の状況に満足して、幸せといってもいいくらいの表情を浮かべていたのである。彼女の説明することには、男たちの叫びの調子で、観衆はもう最初の侮辱には関心がないことが分かるというのだった。今や彼らの関心は、それぞれのヘクラスの強さを見ることにあった。もうそこには勝ちも負けもない。戦っているものが倒れたとすれば、それはその男のヘクラスがそのとき十分な強さを持っていなかったということを意味するのだという。
うつ伏せに倒れている若者に、観衆の一人がひょうたん一杯の水をかけ、男の耳を引っ張り、顔の血を拭ってやった。そして立ち上がるのを助けてやり、半ば意識の朦朧とした男に棍棒を握らせると、エテワの頭をもう一度打つよう促した。男には重い棍棒を持ち上げるだけの力がなく、棍棒はエテワの頭ではなく、胸を打った。
エテワは膝をついた。口から血が流れ、唇、あご、喉としたたり、胸と太ももにその跡をつけ、地面にまで滴り落ちた。「よく打った」エテワはくぐもった声で言った。「俺たちの間にもういさかいはない。俺たちの怒りは鎮められた」
リティミがエテワのもとに走った。私は大きくため息をついてハンモックに倒れこみ、目を閉じた。一晩のうちに十分すぎるほどの血を見てしまった。私は頭の腫れた部分を探り、軽い脳震盪を起こしたのかなと考えた。
ハンモックを小屋の柱に結んでいる木のつるでできた縄に、誰かがつかまった勢いで、私は危うくハンモックから落ちそうになった。驚いて見上げると、エテワの血に染まった顔があった。私がいるのが分からなかったのか、どこに寝たらいいのか考える余裕がなかったのか、彼は私の上に倒れ込んできた。生暖かく、鼻を突くような血のにおいが、きつい体臭と混ざり合っていた。私は嫌悪感と好奇心をないまぜに感じて、まだ血を流している頭の大きな傷口と、紫に腫れた胸から目を離すことができなかった。エテワの重い体の下から、どうやって自分の足を抜こうかと考えているところへ、火にかけて暖めたお湯の入ったひょうたんを持ってリティミが入ってきた。**095**リティミは手慣れた様子でエテワの体を半ば持ち上げ、ハンモックの中、彼の後ろ側にずれるよう私に身振りで示し、私の上げた膝に彼の体をもたせかけた。リティミは優しくエテワの顔と胸をきれいにしてやった。
エテワは二五歳くらいだろう。けれど、湿った前髪が額に張りつき、唇が少し開いているその姿を見ると、眠りについた子どものように頼りなげに見えた。体の内側に受けた傷で死んでしまうのではないかという考えが浮かんだ。
「明日にはよくなるわ」私の考えを察したかのように、リティミが言った。そして、彼女は静かに笑い出した。その笑いには、秘密を楽しむ子どものような響きがあった。「血が流れるのはいいことなの。彼のヘクラスは強いんだから。彼はワイテリよ」
リティミが褒めるのを聞いて喜び、エテワが目を開いた。私の顔を見ながら何か言ったが、聞き取れなかった。
「ええ、確かにワイテリね」私はリティミの言葉にうなづいた。
少しすると、黒っぽい暖かい飲み物を持ってトゥテミがやってきた。
「何なの、それ?」私は聞いた。
「薬よ」トゥテミはそう言って、笑った。彼女は指を一本、その煎じ薬に入れると、私の唇にその指を当てた。「プリワリウェが木の根と魔法の草で作ってくれたの」苦いその薬をエテワに飲ませながら、彼女の目は満足の色で輝いていた。血は流れたのだ。丈夫で健康な息子を授かることを確信したに違いない。
リティミは私の足の様子も見てくれた。プリワリウェが広場を引きずったときに、切り傷や擦り傷ができていたのだ。彼女は残っていたお湯で私の足もきれいに洗ってくれた。草の繊維で作られているため寝心地がよくはないエテワのハンモックに、私は横になった。
月が黄色い暈に包まれて、木々の作る地平線に差しかかろうとしていた。広場で踊り歌う男たちは、もうわずかしかいなかった。雲が月を隠し、何もかもが薄闇に包まれてぼんやりとした。もう甲高さはなく、小さなつぶやき程度の声だけが、男たちがまだそこにいることを示していた。**096**月が今いちど姿を現し、青白い光で木々の梢を照らした。茶色の肌の人影が暗闇を背景に浮かび上がり、長く伸びる体の影が、弓矢を打ち鳴らす音に存在感を与えた。

[続く]

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☆第1回〜第7回はこちらです。
[第1回] | [第2回] | [第3回] | [第4回] | [第5回] | [第6回] | [第7回]

2017年6月29日木曜日

07 フロリンダ・ドナー「シャボノ」 -- アマゾンの奥地・ヤノマミ族の暮らし


カルロス・カスタネダの呪術師仲間、フロリンダ・ドナーが描くアマゾン奥地のシャーマニズムの世界。「シャボノ」の翻訳、第七回めを公開します。
NHKの番組から劇場公開された「ヤノマミ~奥アマゾン-原初の森に生きる~-劇場版」でも描かれる、嬰児殺しの風習をもつヤノマミ族の物語です。

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フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳、第七回
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は、四百字詰め原稿用紙25枚ほどの分量です]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆第一回〜第六回はこちらです。
[第一回] | [第二回] | [第三回] | [第四回] | [第五回] | [第六回]

[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします]

若き女性文化人類学者のフロリンダが、アマゾンの森の奥地で、先住民族たちから学んだことはなんだったのか。

どうぞ、お楽しみください。

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第二部
**074**


祭りの日がやってきた。正午からリティミとトゥテミは私に付きっきりで、私を飾り立てようと悪戦苦闘していた。鋭く研がれた一片の竹で、トゥテミは私の髪を慣習に合った形に整え、ナイフ並みの切れ味の草の刃で、私の頭のてっぺんを剃った。足の毛は、植物の樹脂と灰と土から作ったペーストを使ってこすり落とし、きれいに脱毛してもらった。よく噛んで筆状にした小枝を使い、リティミは、私の顔に波打つ線を描き、体中に複雑な幾何学模様を描いた。脱毛のために赤く腫れ上がった両足は、何も描かないままに残された。取らないでくれと私が頼んだループ状のイアリングの上に、彼女は白い羽根の束と一緒に、ピンクの花を一輪結んでくれた。二の腕と手首と足首には赤い綿のひもが結ばれた。
「あ、ちょっと。それはやめてよ」私はそう言って、リティミの手の届かないところまでぱっと逃げた。
「痛くないって」私にそう言ってから、どうしようもないという調子で聞いた。「お婆さんみたいに思われてもいいの? 痛くないからさ」リティミはこだわって私を追い回した。
「放っといてやれよ」ロフトに置いてある木の皮の箱に手を伸ばしながら、エテワが言った。私の方を見ると彼は大笑いをした。大きな白い歯を見せ、目を細めながら、戸惑う私をからかっているようだった。「彼女は恥毛もろくに生えてないじゃないか」
**075** 私はその言葉に助けられ、リティミからもらっていた赤い綿の帯を腰に巻きながら、エテワと一緒に笑った。太く平らな帯の端についた房で、股間が間違いなく隠れるようにして、私はリティミに言った。「これで何も見えないでしょ?」
リティミは全く感心しない様子で肩をすくめ、自分の恥部の余分な毛の始末を続けた。
エテワの褐色の顔と体には、濃い色で円とアラベスク模様が描かれていた。腰の帯の上には、赤い綿の太糸で編まれた丸くて太い飾り帯を締めている。二の腕には猿の毛皮でできた細い帯を巻き、その毛皮には、自分で木の皮の箱から選んだ黒と白の羽根を、リティミにつけてもらっていた。
アラスウェの妻の一人が、朝のうちに用意しておいた、ねばつくやにのペーストを、リティミは手の指につけて、エテワの髪全体に塗りつけた。すかさずトゥテミが、別の箱から手に一杯の白い羽毛を取り、エテワの頭に振りかけた。羽毛でおおわれた頭は、白い毛皮の帽子をかぶっているかと見間違えるほどだった。
「祭りはいつになったら始まるの?」私はそう言いながら、草取りをして、すっかりきれいに掃除してある広場から、男たちの一団が山ほどのプランテンの皮を運び出すのを見ていた。
「プランテンのスープと全ての肉の用意ができたらね」エテワはそう言って、誇らしげにぐるりと歩き、私たちが彼の姿をあらゆる方向から見られるようにした。唇には笑みが浮かび、まだ細めたままの目は楽しげだった。彼は、私の方を見ると、口からタバコの塊を取り出して、割ったひょうたんの上にタバコの塊を置いた。自分のハンモックの向こう側へと唾を吐くと、それは鋭く力強い弧を描いて飛んだ。自分の装いに満足し、悦に入っている者ならではの自信を表しながら、彼はもう一度私たちの方に向き直り、それから小屋を出ていった。
幼いテショマがべたつくタバコの塊を手に取った。それを口に入れて満足気にしゃぶる様子は、私ならチョコレートのかけらにかじりついたときに匹敵するほどのものだった。タバコの塊が半分ほど口からとびだしており、少女の小さな顔は、歪んでグロテスクに見えた。少女はにこにこ笑いながら私のハンモックに登ると、あっという間に寝てしまった。
隣の小屋で首長のアラスウェがハンモックに横になっているのが見える。バナナを調理し、肉をローストするのをそこから監督しているのだ。肉はニ、三日前に狩りに出たものたちが取ってきた獲物である。何人かの男たちが、組立工場の労働者さながらの素早い動作で、数えきれないほどのプランテンの房を調理していた。ある者は鋭い歯を皮に立て、皮に割れ目を作った。別の者は固い皮を剥き、木の皮の鍋にその実を放り込んだ。鍋は朝早いうちにエテワが組み立てたものだ。そして、また別の男が、鍋の下の三つの小さな焚き火の番をしている。
「男しか調理をしないのはどうしてなの?」私はトゥテミに聞いた。女が大きな獲物を調理しないのは知っていたが、プランテンに近づく者すらいないことを不思議に思ったのだ。
「女たちは不注意すぎるからな」アラスウェがこちらの小屋に入ってきて、トゥテミの代わりに答えた。その目は、自分の言葉に反論はないかと、挑むかのように見えた。微笑みながら、彼はつけ加えた。「女どもときたら、すぐに気が散って、木の皮をみんな燃しかねん」
私が何か言う間もなく、彼は自分のハンモックに戻ってしまった。「今のを言うためにわざわざ来たのかな?」
「違うわ」リティミが言った。「あなたを見に来たのよ」
始末していない恥毛のことをリティミに思い出してほしくなかったので、アラスウェの眼鏡に適ったかどうかを聞くのは気が引けた。「見て」私は言った。「お客さんが来たわ」
「あの人がプリワリウェ、アンゲリカの一番上のお兄さんよ」男の集団の中にいる一人の老人を指して、リティミが言った。「恐ろしいまでに偉大なシャポリなの。一度殺されたのに死ななかったんだから」
「一度殺されたのに死ななかった」その言葉をゆっくり繰り返して言いながら、文字通りに受け止めるべきなのか、それとも言葉の綾にすぎないのだろうかと、私は考えた。
「彼は襲撃のときに殺されたんだ」エテワが小屋に入ってきながら言った。「死んで、死んで、死んで、それでも死ななかった」**077**唇の動きを強調しながら、はっきりとそう言った。そうすることで、自分の言葉の本当の意味が私に伝わるとでもいうかのようだった。
「今でも襲撃はあるの?」
私の問いに答えるものは誰もいなかった。エテワは梁の陰に置いてあったきびの長い筒と小さなひょうたんを手に取り、小屋をあとにすると、広場の真ん中でアラスウェの小屋に向かって立っている客に挨拶に行った。
男たちが次々と居住地に入ってくるのを見て、女は祭りに招かれていないのだろうかと不思議に思い、訊ねた。
「女たちは外よ」リティミが答えた。「男たちがエペナを摂っている間、他の客と一緒に外でおめかしをしてるわ」
首長のアラスウェ、その兄弟のイラマモウェ、エテワ、そして他に六人のイティコテリの男たちは皆、たくさんの羽根、毛皮、赤いオノトのペーストで飾り立てており、すでにしゃがんでいる客たちと向かい合う形でしゃがみ込んだ。彼らはしばらくの間、互いに目を合わせることなく話をした。
アラスウェは首から下げていた小さなひょうたんを外すと、茶色がかった緑の粉をきびの筒の片方の端から注ぎ込み、アンゲリカの兄であるプリワリウェ老と向かい合った。きびのその端をシャーマンであるプリワリウェの鼻に当て、アラスウェは力を込めて、幻覚作用のあるその粉を、その鼻の穴へと吹き込んだ。エペナを摂るとき、他の男がたじろぎ、呻き、よろめくのを見たことがあったが、プリワリウェは微動だにしなかった。しかし、彼の目はかすんだようになり、じきに鼻と口から緑色の汚物が流れだした。彼は小枝を使って汚物を払った。ゆっくりと彼は唱いを始めた。とても小さな声だったので、他の者たちの呻きにかき消され、言葉は聞き取れなかった。無表情で動きがない目をして、鼻水とよだれをあごと胸に滴らせたまま、アラスウェは宙に跳び上がった。耳と腕に飾られた金剛インコの赤い羽根が、体の周りをはためいた。彼は繰り返し跳び上がったが、着地するときの軽やかさは、彼ほどがっちりした男には不可能としか思えないものだった。その顔は石の彫像のようで、まっすぐに揃えた前髪が突き出た額にかかっている。**078**鼻腔が開いた大きな鼻と呻りを上げる口元は、日本の寺で見た四天王の一人を思い出させた。
男たちのうちには、ふらふらとその場を離れていき、頭を抱えて嘔吐している者もいた。プリワリウェ老の唱いの声が大きくなった。一人また一人と男たちは再び彼の周りに集まってきたた。男たちはしゃがみ込み、腕で膝を抱え、その目は自分たちだけに見えるどこか不可視の場所をさまよっている。シャポリの唱いが終わるまで、男たちはそのまま静かにしていた。
イティコテリの男たちは、それぞれが一人の客を伴って自分の小屋へと戻った。アラスウェはプリワリウェを招いた。エテワは嘔吐していた若い男の一人と一緒に小屋へ戻ってきた。その客は私たちの方を見ることもなく、自分のものであるかのような自然さでエテワのハンモックに入り込み、体を伸ばした。まだ十六歳にもならないくらいの若者だった。
「イティコテリの男たちの中には、エペナも摂らないし、身を飾りもしてない人がいるけど、どうしてなの?」私はリティミにそっと聞いた。リティミは忙しそうに、エテワの顔をきれいにし、オノトで模様を描き直している。
「明日にはみんな身を飾るわ。明日から何日かはお客さんももっと来るし」彼女は言った。「今日はアンゲリカの親戚のための日だから」
「でも、ミラグロスはいないじゃない」
「ミラグロスなら今朝戻ったわ」
「今朝ですって?」信じられない思いで私は聞いた。エテワのハンモックで寝ている若者が、目を大きく見開いて私を見ると、再び目を閉じた。テショマが目を覚まし、むずかり始めた。私は彼女を落ち着かせようと、地面に落ちてしまったタバコの塊をその口に入れようとした。テショマはいやいやをし、更に大きな声で泣き出した。私は彼女をトゥテミに任せた。トゥテミはテショマが落ち着くまで前に後ろにゆらゆらと揺らしてやった。どうしてミラグロスは戻ってきたことを私に教えてくれなかったんだろう。怒りと傷つけられた思いを感じながら、私はそう思った。目には自己憐憫の涙が溢れた。
「ほら、ミラグロスが来たよ」シャボノの入口を指してトゥテミが言った。
**079** 男と女、それに子どもたちの一団を引き連れて、ミラグロスはアラスウェの小屋へとまっすぐに進んだ。目と口の周りには、赤と黒の線が丸く描かれている。呪文にかけられたように私は彼の頭に巻かれた猿の黒い尻尾に見入った。その尻尾からは色とりどりの金剛インコの羽根が吊るされており、毛皮の腕帯を飾る羽根もそれに合わせてあった。祭りでする普通の帯ではなく、明るい赤い色をした腰布を巻いていた。
ミラグロスがハンモックに近づいてくると、私は説明のつかない不安で一杯になった。彼の硬くこわばった表情を見ると、自分の胸が恐ろしさでどきどきするのを感じた。
「ひょうたんを持ってくるんだ」スペイン語でそう言うと、向きを変え、プランテンのスープで一杯の木の皮の鍋に向かった。
誰もが私には一切関心を示さないまま、ミラグロスについて広場へ歩いていった。私は黙ったまま自分のかごに手を伸ばし、地面に置くと、持ち物をすべて取り出した。
森の中、腰の周りに結んで運んだときにはとても軽かったはずのひょうたんが、冷たくこわばった手に重く感じられた。
「鍋の中に中身を空けるんだ」ミラグロスが言った。今度もスペイン語だった。
「でも、スープで一杯じゃない」私は愚かにも言った。声は震えていた。手も思うように動かない。やにでした栓をひょうたんから外すことができないのではないか思うほどだった。
「空けるんだ」ミラグロスは再びそう言って、優しく私の腕を傾けた。
私はぎこちなくしゃがみ込むと、焼かれて細かい粉になった骨をゆっくりとスープの中に入れた。どろりとした黄色いスープの表面に、黒っぽい小さな山ができていくのを、私は催眠術にかけられたかのように見ていた。そのにおいで私は気分が悪くなった。灰は沈んでいかなかった。ミラグロスが自分のひょうたんの中身を更にその上に空けた。女たちがむせび泣きはじめた。私もそれに加わるべきなのだろうか。けれど、どう頑張っても涙の一滴も出ないだろうことが私にははっきりしていた。
何かが割れる鋭い音に驚き、私は背を伸ばした。マチェーテの柄で、ミラグロスが二つのひょうたんを真っ二つに割っていた。そして彼は骨の粉をスープに混ぜ込み、黄色いスープ全体が濁った灰色になるまでよくかき混ぜた。
スープで満たされたひょうたんを彼が口元に持っていき、ゆっくりと一息に飲み干すのを私は見守った。手の甲であごを拭うと、ひょうたんを再びスープで満たし、私に手渡した。
恐る恐る私は、自分を取り巻く人々の顔を見た。誰もがじっと私の一挙手一投足を見つめており、その目はもはや人間のものとは思えなかった。女たちのむせび泣きは止んでいる。自分の鼓動が、いつもより速く打つ音が聞こえた。口の渇きを何とかしようと何度も唾を飲み込みながら、私は震える手を伸ばした。そして私は目を閉じると、どろりとした液体を一息に飲んだ。意外なことに、甘く、少し塩気のあるそのスープは、私の喉をすっと通っていった。空になったひょうたんを私から受け取りながら、ミラグロスは表情を緩め、かすかな笑みを浮かべた。私は立ち上がると向きを変え、ゆっくりと歩いたが、吐き気で胃がおかしくなっていた。
甲高いお喋りと笑い声が小屋から聞こえてきた。シシウェが友だちに囲まれて地面に座り込み、私が散らかしたままにしていた持ち物を一つ一つ友だちに見せていた。自分のノートが囲炉裏にくべられ、くすぶっているのに気がついたとき、吐き気が怒りに取って代わった。指がやけどをするのもかまわず、私がノートの焼け残りを囲炉裏から取り出そうとすると、子どもたちは驚きながらも私に笑いかけてきた。子どもたちの顔に浮かんだ戸惑いの表情は、私が泣いているのに気がつくと、ゆっくりと驚きの表情になっていった。
**081** 私はシャボノから走り出し、川へ向かう道を行った。胸には焼け残りのノートを抱きしめていた。「布教所に連れ帰ってくれるようにミラグロスに頼もう」私は涙を拭いながら、ひとりごちた。その考えがあまりにばかげたものに思えて、私は思わず笑い出してしまった。頭の天辺を剃っているというのに、どんな顔をしてコリオラーノ神父に会ったらいいというのだろう。
水辺にしゃがみ込み、指を喉に突っ込んで吐こうとしたが無駄だった。疲れ果て、水の上に顔を出している平らな岩の上に仰向けに寝そべって、ノートの焼け残りを調べてみた。涼しい風が髪を撫でた。うつ伏せになると、石のぬくもりが体に伝わってきた。のんびりとした気持ちが全身に広がり、怒りも疲れも全て溶かし去ってくれた。
澄んだ水に自分の顔が映らないかと見てみたが、風が水面を乱して、川は何も映してくれなかった。川岸に沿って並ぶ暗い色をした水溜りには、明るい緑の草木が、雲のようにぼんやりとその像を映していた。
「ノートを川に流してやれ」ミラグロスが、岩の上、私の隣に座って言った。突然彼が現れても私は驚かなかった。彼が来るのを待っていたのだ。
頭を少しだけ動かして静かにうなずくと、岩の上から川面へ手を伸ばした。私は握っていた指を開いた。焦げたノートが水の中へ落ちるかすかな水音がした。ノートが川下に流れていくのを見つめながら、私は背負っていた重荷を下ろしたように感じていた。「布教所には行かなかったのね?」私は言った。「アンゲリカの親戚を連れてくる必要があるって、どうして教えてくれなかったの?」
ミラグロスは答えず、ただ川の向こうを見ていた。
「あたなが子どもたちに、私のノートを焼くように言ったの?」私は聞いた。
顔を私の方に向けたが、黙ったままだった。すぼめた唇はがっかりとした気持ちをうっすらと表しているようだったが、私にはその意味は分らなかった。ようやく口を開くと、声の調子は柔らかかったが、自分の意志に逆らって無理にそうしているようだった。
「イティコテリの者たちは、他の居住地の者たちと同じように、何年もの間、森の奥へ奥へと移り続けている。**082**布教所や白人が使う大きな川から遠ざかってな」
彼は顔の向きを変え、とかげが石をぎこちなく這うのを見た。とかげは目ぶたのない目で私たちをちらりと見たかと思うと、石の陰へ姿を消した。「逆のやり方を選んだ居住地もある」ミラグロスは続けた。「〈理性の者〉たちが持ってくる物を選んだのだ。森だけが自分たちを守ってくれるということが分らなかったのさ。気がついたときにはもう遅い、白人にとって先住民族など犬以下の存在だというのにな」
二つの世界のはざまでずっと生きてきた自分には、白人の世界では先住民族には全く望みはないのが分るのだと、彼は言った。白人の中にも先住民族の中にもそれとは逆のことを信じ、あるいは現にそうしている者が少数ながらいるにしても、そのことに変わりはないのだ。
私は人類学者とその仕事について、慣習や考え方を記録することの重要性について話した。彼が以前言ったように、その慣習や考え方は消え去り、忘れ去られる運命にあるのだ。
あざ笑うような小さな笑みで彼の口元が歪んだ。「人類学者のことなら知っている。一度、情報提供者として働いたこともあるしな」そう言って、彼は笑い出した。笑い声は高かったが、その顔には表情がなかった。目は笑っておらず、敵意に輝いていた。
彼の怒りが直接私に向けられているとしか思えず、私ははっとした。「私が人類学者だって知ってるでしょ」ためらいながら私は言った。「イティコテリの情報をノート一杯に書き込むのを手伝ってくれたのはあなた自身だし、小屋から小屋に連れて行ってくれて、私に話してくれるように、あなたたちの言葉や慣習を教えてくれるように、みんなに言ってくれたんじゃない」
ミラグロスは、感情のかけらも表さずに座っていた。模様の描かれた顔は無表情な仮面のようだった。彼を揺さぶってやりたいと思った。私の言葉など聞こえていないかのようだった。彼は、暮れゆく空を背にすでに黒々と浮かぶ木々を眺めていた。私は彼の顔を見上げた。彼の頭が空を背にくっきりと黒い影となって浮かび上がっていた。燃えるように赤い金剛インコの羽根と猿の毛皮の紫のたてがみが、空に色鮮やかな線を描いているように見えた。
**083** ミラグロスは悲しげに首を振った。「お前はここに仕事をしに来たわけじゃない。仕事なら布教所の近くの居住地でやっていればよかったんだ」目ぶたの際に涙が溜まった。涙は太くて短いまつ毛に移って輝き、震えた。「我々の人生のあり方と考え方という知恵をお前は受け取ったんだ。だからお前は我々の生き方のリズムで動くことができるし、守られていると感じ安心していられる。それは純粋な贈り物であって、何かに使ったり、誰かに与えたりできるようなものじゃない」
涙で潤み、輝く彼の目から、私は視線をそらすことができなかった。彼の目に憤りの感情はなかった。その黒い瞳に、自分の顔が映るのが見えた。アンゲリカとミラグロスの贈り物。ようやく私にも理解ができた。私が森の中を導かれ、連れて来られたのは、人類学者の目で彼らの仲間を見るためではなかったのだ。自分が見聞きしたものを、ふるいにかけ、判断し、分析する、そういうことをするためではなく、アンゲリカならば最後にもう一度したに違いないやり方で、仲間たちと出会うためだったのだ。アンゲリカもまた自分の時代、自分の仲間たちの時代に終わりが近づいていることを知っていたに違いない。
私は視線を水面に落とした。自分が時計を落としたことに気づいていなかったが、散らばる小石の間に時計は横たわり、水の中、小さな光るいくつもの点の不安定な像が、集まって現れたり、ばらばらになって消えたりしていた。時計バンドの金具が切れたのだろうと思ったが、森の向こうの世界との最後のつながりであるその時計を取り戻そうとはしなかった。
ミラグロスの声で私の夢想はさえぎられた。「ずいぶん昔のことだ。大きな川に近い居住地にいるとき、人類学者のために働いたことがある。その男はシャボノで我々と一緒に暮らすことはせず、丸太の柵の外に自分用の小屋を立てて住んだ。小屋には壁も扉もあり、扉には中からも外からも鍵がかけられるようになっていた」ミラグロスはそこで一呼吸置き、しわの寄った目の周りの乾いてしまった涙を拭い、私に訊ねた。「俺がその男に何をしたか、知りたいか?」
「ええ」ためらいながら私は言った。
**084**「俺はそいつにエペナをやった」ミラグロスは少し間を置き、私がとまどうのを楽しむかのように微笑んだ。「その人類学者は、聖なる粉を吸った誰もと同じように振舞った。シャーマンと同じビジョンを見たと言ってたな」
「何もおかしなことはないじゃない」ミラグロスの自慢気な調子に、少し苛立って私は言った。
「いや、ある」彼はそう言って笑った。「わしがそいつの鼻の穴に吹き込んでやったのは、ただの灰だったんだからな。灰など鼻から吸い込んでも、鼻血を出すのが関の山だ」
「私にも同じことをするつもりなの?」私はそう訊ねてから、自分の声に自己憐憫の気持ちがはっきり表れていることに気づいて赤くなった。
「アンゲリカの魂の一部をお前にやった」優しくそう言いながら、彼は足元の危うい私に手を貸してくれた。
シャボノの境界から向こうは暗闇に溶け込んでしまったかのようだった。おぼろな光の中、周りはよく見えた。木の皮の鍋の周りに集まっている人々は、森の生きものを思わせた。彼らの輝く目に、焚き火の灯りが映っていた。
私はハヤマの隣に座り、肉をひとかけらもらった。リティミが頭を私の腕にこすりつけてきた。幼いテショマは私の膝に座った。慣れ親しんだ匂いと音に守られ、私は満ち足りた気持ちになった。周りにいる人たちの顔を熱心に見つめ、この中の何人が、アンゲリカと血のつながりがあるのだろうと思った。彼女の顔と似た顔は一つもなかった。前にはよく似ていると思ったミラグロスの顔でさえ、今は違って見えた。彼女の顔がどんなだったのか、多分もう忘れてしまったのだろうと、私は悲しく考えた。すると焚き火から伸びる一条の光の中に、彼女の笑顔が浮かび上がった。私は頭を振って、その幻を消そうとし、そして自分が見ているのはシャーマンのプリワリウェ老であることに気がついた。彼は人々の集団から少し離れたところにしゃがんでいた。
彼は小柄で痩せており、しなびたような老人で、肌の色は茶色がかった黄色だった。腕と足の筋肉はもう萎えていた。**085**しかし、その髪はまだ黒く、頭の周りで少し縮れていた。彼は着飾っておらず、身に着けているのは腰の周りに巻いた弓の弦だけだった。あごから垂れるまばらな髭と少しばかりの口ひげが上唇の際に影を作っている。深くしわの寄った目ぶたの下で、彼の目は焚き火の灯りを反射して、二つの小さなライトのように見えた。
あくびをして、洞穴のような口を開けると、黄色くなった歯が鍾乳石のようにぶら下がっているのが見えた。彼が唱いを始めると、笑い声とお喋りが止んだ。その唱いの声は、別の時間、別の場所に属するものとしか思えないものだった。彼は二種類の声を使い分けた。一つは喉から出す甲高い声で、恐ろしさを感じさせた。もう一つは腹から出す深い声で、気持ちを落ち着かせるものだった。
他の者たちがそれぞれのハンモックに引き上げ、あちこちの焚き火が燃え尽きてしまった随分あとになっても、プリワリウェは広場の真ん中の小さな焚き火の前にしゃがんだままでいた。低い調子で唱いを続けている。
私はハンモックから抜け出すと、彼の隣にしゃがみ込み、尻が地面に着く姿勢を取ろうと試みた。イティコテリの人々によれば、何時間もの間しゃがんだままで、すっかりくつろいでいるためには、その姿勢が一番ということだった。プリワリウェは私の方を見、私の視線を認めると、宙を見やった。私が彼の考えの連なりを邪魔したとでも言うかのようだった。ぴくりとも動かなかったので、彼は眠りに落ちたのだという、奇妙な印象を持った。すると彼は足から力を抜くことなく尻を地面の上でずらし、再び徐々に唱いを始めた。その声はかすかなつぶやき程度のもので、私には一言も聞き取れなかった。
雨が降り始めたので私はハンモックに戻った。雨粒が優しく椰子葺きの屋根を打ち、不思議な夢遊状態に誘うリズムを刻んだ。もう一度広場の真ん中を見たときには、老人はもうそこにいなかった。そして暁が森を照らし始める頃、私は時間のない眠りの中に滑りこんでいったのだった。

☆続きはこちらです。
[第8回]

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☆第一回〜第六回はこちらです。
[第一回] | [第二回] | [第三回] | [第四回] | [第五回] | [第六回]

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2017年6月25日日曜日

スティーブ・ジョブズ、LSD、瞑想、そして悟り


スティーブ・ジョブズは、アップル社を作り、業績の悪化から一旦はその自分の会社を追い出されたにも関わらず、再び CEO に返り咲きました。

そして、iphoneやipadをこの世に送り出して、アップルを世界のトップ企業にするという離れ業をやってのけました。

そのジョブズが、LSDについてこのように語っています。

LSDはぼくに本当に深い体験をもたらした。ぼくの人生の中で、一、二を争う重要なできことだ。
LSDは、ものごとには表でも裏でもない、まったく別の見方があることを教えてくれる。効き目が切れると、そのことは思い出せなくなってしまうのだけれど、それが確かにあることは、もう分かっているんだ。
自分にとって何が大切なことなのかを、LSDは再確認させてくれた。金儲けのためじゃなく、本当にすごいものを作り出すこと、そして、ものごとを、歴史の流れや、人類の意識の流れに引き戻しやること。そうしたことを自分の限界までやることの大切さが、LSDのおかげで確かなものになったんだ。

[goodread.comより]

*  *  *

LSDとは一体なんでしょうか?

LSDは、リゼルグ酸ジエチルアミドと呼ばれる化学物質で、人間の精神に対して極めて強力な影響を及ぼすため、日本を含め、多くの国では法律で規制されています。

0.15ミリグラム程度の少量でも、知覚や感覚へ大きな変化をもたらし、幻視の体験が起こったりします。

また、思考が混乱したり、逆に普段の状態では得られない明晰な思考が訪れる場合もあります。

DNAの二重螺旋構造を発見したフランシス・クリックは、そのアイディアを思いついたときに、LSDを使っていたのではないか、という説もあるほどです。
[Andy Roberts "Francis Crick, DNA & LSD" によれば、「都市伝説にすぎない」ということですが]

こうした効果を考えるとき、LSDを「意識の拡張」をもたらす物質と呼ぶこともできるのですが、一方、心理的な準備が十分できていない状態で、服用量が多すぎた場合には、「致命的な結果」につながる場合もありえますので、ただの好奇心から「遊び」で手を出すような物質ではありません。

LSDの服用量とその効果については、英語ですがこちらに詳しい説明があります。

[このリンクはreddit.com のものですが、元ネタはrollitup.orgにあります]

なお、ぼく自身はLSDの経験はありません。

*  *  *

さて、ジョブズはLSDで得た体験を、彼のビジネスにおける壮大なビジョンを実現するために使ったわけですが、それを「悟り」を得るために使おうとする人もいます。

英語の記事ですが、「LSDと悟り」について、とてもおもしろい書き込みを見つけました。

[LSD and the Enlightened State of Mind]

この内容を要約しますと、(書き手は MetaCognition さんなので、メタコさんとします)

・メタコさんは、人生を通して「存在の真実」を求めてきました。

・はじめのうちは自分の思考や、自分の周りの行動について内省的分析していました。

・数年前からマリファナやLSDなどを使って変性意識についての実験をするようになりました。

・けれども、そうした薬物を常用しているわけではなく、たまにマリファナを吸い、稀にLSDを使う程度で、この書き込みをしている時点で、最後にLSDを使ったのは一年近く前のことだといいます。

・そして、メタコさんは数週間前から、一日二回、一回一時間の瞑想を始めたというのです。

・すると瞑想によって、LSDを使っているときとほぼ同じ意識の状態が得られることに気がつきました。

・メタコさんはもともと無神論者でスピリチュアルな考えなどばかにしていましたが、LSDを使うことで、すべての存在がつながり合っていること、毎日の平凡な経験のうちに潜む美しさなどを体験して、いわゆる「悟り」という、神秘的な状態があることを知ります。

・もちろん、その体験は薬の効果が切れればぼやけていってしまうのですが、それが瞑想をすることで再現することができることが分かり、日々瞑想をしているうちに、ごく簡単にその状態に入ることができるようになったというのです。

なお、アップルのジョブズも、LSDの経験があるだけでなく、座禅による瞑想を実践していたことも、ここにひとこと書いておきましょう。

*  *  *

この話を読んで早合点をしてほしくないのですが、これはあくまでメタコさんという個人の体験であって、

「LSDを使ってから瞑想をすれば誰でもこうなれる」

というわけではありません。

メタコさんは、長い内的な探索のあとで、LSDなどの薬物を試し、それも使いすぎて依存するようなことはなく、適度な距離をもって実験をした上で、瞑想に辿り着いたために、すべてのことがうまく咬み合って、極めて稀なほど簡単に、深い瞑想体験を得ることができたものと考えられます。

ネット上を見ていると、薬物の摂取は瞑想に役立たないから、決して手を出してはいけない、というような主張を見かけます。

けれども、このメタコさんのような例を考えれば、あらかじめ薬物で「悟り」あるいは「悟りに似た状態」を体験しておけば、瞑想をしたときにそれを再現しやすくなることは、十分に考えられると思うのです。

もちろん、薬物には法律による規制もありますし、服用量を間違えれば事故にもつながりかねませんので、安易な使用は決してすすめられるものではありません。

けれども、「悟り」を真摯に探求する方が、瞑想だけではある段階を超えられないときに、十分に下調べをしたうえで、自己責任において使う場合には、一つの選択肢としてこれも検討に値すると思うのです。

*  *  *

ここで、ちょっとぼくの経験を書いてみましょう。

LSDに似た効果を持ち、けれどもLSDほど強力な作用は持たないシロシビンという物質があります。

マジックマッシュルームと呼ばれるきのこに含まれる成分で、このきのこを乾燥したものは、2002年に規制されるまでは、日本でも普通に手に入れることが可能でした。

シロシビンは、LSDより作用は少ないのですが、似たような幻覚性があり、

・音の聞こえ方が変わったり(ぼくの場合、音楽がすごくよく聴こえ、ふだん聴こえていない音までくっきり聴こえてきたりしました)、

・ありえないものが見えたり(空の雲が怒ったマシュマロマンのような怖い顔に見えました)、

・不思議な考えがふっと訪れたり(ジャマイカ辺りのレゲエの人たちが、音楽をやりながらマリファナを吸っているイメージがぼんやり浮かんで、あー、彼らもこのきのこから得られるものと同じものを求めて、マリファナをやってるんだなー、と思いました)、

といったことが起こりえます。
(もちろん、人によって体験の内容はそれぞれです)

ぼくは今、ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想をしていますが、振り返って考えてみると、その当時のきのこの経験が今の瞑想につながっていることを感じます。

つまり、きのこのときの経験と、瞑想が深まったときの経験には、確かに似たものがあるってことなんです。

とはいえ、ぼくの場合はメタコさんの場合とは違い、瞑想だけで得られる体験は、

「似たものがある」

という程度であって、

「ほぼ同じ」

とまで言えるようなものではありません。

ぼくの場合は、もう一段階の修行か揺さぶりが必要なものと思われます。

*  *  *

というわけで、以上、LSDやシロシビンなどの化学物質が、瞑想の体験に役に立ちうる、という話でした。

ただし、以上の物質は日本では法律で規制されており、また、精神の崩壊や致命的な事故につながる恐れもあるものですので、くれぐれも安易な気持ちでお使いにならないようにお願い申し上げます。

[2017.06.25 ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想の総本山、インド・イガットプリにて。那賀乃とし兵衛]

[追記] なお、シロシビンや変性意識については、こちらの記事でも書いておりますので、よろしければお読みください。

[不思議なきのこを科学する - そして瞑想と悟りへ]

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☆こちらもどうぞ

[本の紹介:「呪術師カスタネダ」]

[本の紹介: 不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」]

[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」、アマゾンの奥地のヤノマミ族の暮らし]

[楽しいカルマの落とし方 - オウム真理教について一言]

[最高の幸せ、フロー体験を知ってますか?]

[気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか]

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2017年6月15日木曜日

共謀罪法成立の日に、100年後の世界を見据えて


今日、2017年6月15日、共謀罪法が成立しました。

市民活動家の田中優さんが、今日付けのメイルマガジン
[第596号:共謀罪成立]
で共謀罪法の成立について、

「共謀罪法を死文化させてしまうこと」と、

「共謀罪法が実際に適用されたときには、違憲立法であることを主張すること」そして、

「この法律ができたからといって萎縮してしまうことなく、今までどおり、
しっかり意見を表明していくこと」

の重要性を述べています。

優さんの指摘は正論ですが、現実の日本の政治情勢を見ると、楽観は許されません。

日本政府が共謀罪法を使って、ただちに反対勢力の弾圧を始めるとは思えまないものの、政府の意向に沿わない個人や団体に対しての圧力は、今以上に強くなっていくことでしょう。

こうした逆境の中で、ぼくたちにできることは何なのでしょうか。

[安倍マリオをぶっ飛ばせ、あるいはぼくらの未来への責任 ]
にも書きましたが、無茶苦茶を平気で通す「総理」や「政府」に怒りが湧くのは自然です。けれども、「怒っているだけ」では状況は変わりません。

たとえば、原発推進への対案として、太陽光とバッテリーによる「オフグリッド」を提案していくような、具体的な取り組みが大切だと思われます。

また、[改憲に王手。ニッポンはホントーに大丈夫なのか?]
に書いたように、日本の「重苦しい空気」に閉じ込められることのないように、視野を大きく広げることも大切でしょう。

現在の世界情勢を見れば、欧米的な合理主義や民主主義も必ずしも万能ではないと思われます。

そのときむしろ、先住民族の知恵や、宗教の叡智に学ぶことも多いはずです。

原子力を不可欠とするような間違った科学技術主義にだまされないためには、単なる論理では不十分に思えます。

文化的相対主義を踏まえた上で、「真・善・美」といった基本的な価値へと思いを巡らすことも必要なのではないでしょうか。

いずれにせよ、この「逆境」が簡単に流れを変えることはないでしょう。

72年前に敗戦という形で終わりを迎えた戦争は、日中戦争から数えても15年間という長い期間の「逆境時代」でした。

ですから、ぼくたちは、10年、20年の単位でものごとを考える必要がありますし、それには、50年後、100年後を見据えることも必要でしょう。

そうやって自分たちの子孫のことまで視野に入れることができたとき、ぼくたちの日々の地道な活動に、新たな価値が生まれることになるのだと思います。

ニッポンの「淀んだ空気」に当てられてしまわず、一日いちにちを大切に生きていこうではありませんか。

以上が、民主主義国家としての戦後日本の転換点になるかもしれない、共謀罪法成立の日に、インドのムンバイの安宿から、日本のみなさんに向けたメッセージです。

最後までご拝読ありがとうございました。

☆こちらもどうぞ

[アウシュビッツ、新潟知事選、安倍政権]

[三宅洋平は権力にすり寄る節操なしではない]

[なぜ今井絵理子は当選したのに三宅洋平は落ちたのか]

[「大物」か「あほう」か、三宅洋平、安倍昭恵と高江に同行]

2017年6月2日金曜日

人の世の闇の深さの現れか / 元TBSテレビ・ワシントン支局長・山口敬之氏のレイプ疑惑について一言


はてなのブックマークで
[【レイプ告白】「あの夜、なにがあったのか」詩織さんと山口氏 それぞれに聞いた]
という記事についての kk3marketerさんのコメント「闇深い」を見て、何がどう「闇深い」のか気になりました。

当該の記事を見る限り、法的な処分の妥当性はともかくとしても、元TBSテレビ・ワシントン支局長・山口敬之の、就職をネタに若い女性と会い、ことに及ぶという行動は、倫理的に完全に「アウト」なものと思われ、そういう人物が「立派」なジャーナリストとして活躍している世の中というもの自体が十分「闇深い」ものと思われます。

また、山口氏の不起訴処分に何らかの「力」が働いたと考えるのも至極当然であり、それがどういう筋からのものであれ、被害にあった女性の立場を考えれば、ニッポンという国の法治国家としての機能はポンコツ同然としか言いようがなく、これはむしろ「病み深い」というべきでしょうか。

ところが、この事件に関してネットを検索してみると、この女性が今のタイミングで記者会見を開いたことには、「女性の人権」という表向きの問題とは別に、政治的な「生臭い」意図を感じざるを得ない事実に突き当たります。

この女性の代理人弁護士の所属事務所からして、バックには民進党の力が働いているとの事実です。

「女性の人権」を守るためには、当然山口氏は起訴されるべきであり、山口氏の行為の是非は法廷で争われるべきものと考えますが、こうした「法的な争い」が「政争の具」として使われているとすれば、なんとも「闇深い」世の中ではありませんか。

ぼくは安倍政権の政策には基本的に反対ですが、こんな程度の揺さぶりで盤石の安倍政権の基盤が揺らぐものとは思われませんし、こういうやり方は「まっとう」なものとは言えないでしょう。

政治というものが「清い」だけのものでないことは、いたしかたのないことかもしれませんが、現状の政治が、利権を争う集団同士のこのような「縄張り争い」にすぎないことを考えると、その行く先はいったいどうなることかと、深い危惧を感じざるをえません。

ぼくたち国民の一人ひとりが、五十年先、百年先の未来を見据えて、考え、行動することの必要を感じる所以です。

2017年6月1日木曜日

06 フロリンダ・ドナー「シャボノ」 -- アマゾンの奥地・ヤノマミ族の暮らし


カルロス・カスタネダの呪術師仲間、フロリンダ・ドナーが描くアマゾン奥地のシャーマニズムの世界。「シャボノ」の翻訳、第六回めを公開します。
NHKの番組から劇場公開された「ヤノマミ~奥アマゾン-原初の森に生きる~-劇場版」でも描かれる、嬰児殺しの風習をもつヤノマミ族の物語です。

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06 フロリンダ・ドナー「シャボノ」
フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳、第六回
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は、四百字詰め原稿用紙28枚ほどの分量です]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆第一回〜第五回はこちらです。
[第一回] | [第二回] | [第三回] | [第四回] | [第五回]

[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします。それでは、お楽しみください]

今回より第二部に入り、若き女性文化人類学者のフロリンダが、いよいよ森の奥の先住民族たちと暮らし始めます。

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第二部


**062**
「それで、いつ戻ってくるつもりなの?」六ヶ月後、布教所のコリオラーノ神父宛ての手紙を渡しながら、私はミラグロスに訊ねた。その手紙には、少なくともあと二ヶ月はイティコテリの人々のところにいるつもりだと、簡単に書いた。また、カラカスにいる友だちに連絡してくれるように頼み、そしてこれが一番大事なことだったが、手に入るだけのノートと鉛筆をミラグロスに持たせてくれるようお願いした。「ねえ、いつ戻るの?」私はもう一度聞いた。
「二週間かそこらだ」ミラグロスは何気なくそう言って、竹製の矢筒に手紙を入れた。そして、私の顔に不安の色を見て取ったのだろう、言葉を付け加えた。「実のところ、いつとは言えん。だが、戻るのは間違いない」
川へと続く坂道を彼が下っていくのを私は見守った。背中の矢筒の位置を直し、それからちらりとこちらを振り返ると、彼は少しのあいだ動きを止めた。何か言いたげな様子だったが何も言わず、手を振って彼は別れを告げた。
私はゆっくりとシャボノへ戻る道を歩き始め、途中、男たちが畑の脇で木を切り倒しているところに出くわした。私は地面に積もった落ち葉の下に埋もれている木の皮や木っ端で足に怪我をしないよう注意ながら、開けた地面に転がされた丸太を避けて歩いた。
**062**「プランテンが熟す頃には戻ってくるさ」エテワが大きな声でそう言うと、ミラグロスがさっきしたのと同じように手を振った。「収穫の祭りを彼が逃すわけがない」
微笑みながら手を振り返し、祭りはいつなのかと聞こうかと思ったが、その必要はなかった。プランテンが熟したときだと、彼はすでに答えを言っていたのだから。
シャボノの大きな入り口の前には、夜になると木の枝や丸太をばら撒いてて侵入者を防ぐようにしてあるのだが、もうそれは片付けられていた。まだ早い時間だったが、円形に開かれた広場に面した小屋には、ほとんど誰もいなかった。女も男も近くの畑に働きに行ったか、野生の果物やハチミツ、そして焚き木を集めに森に行くかしていた。
小さな弓矢を手にした子どもたちの一団が、私の周りに集まってきた。「ぼくが仕留めたトカゲだよ」尻尾を持ってぶら下げた獲物を見せながら、シシウェが言った。
「こいつにできるのはそれだけ、トカゲを仕留めるのが精一杯なのさ」少年の一人がからかって言いながら、片足のかかとをもう一方の足の爪先で掻いた。「おまけに大抵しくじるんだから」
「しくじるもんか」怒りに顔を赤くしながらシシウェは大きな声を上げた。
私は彼の頭のてっぺんの短い毛を撫でた。日の光の中でその髪は、黒でというよりは、赤みがかった茶色に見えた。彼がいつの日か村で一番の狩りの名手になるに違いないと、知っている少ない言葉の中から適切な言葉を探して、私は彼に伝えようと努力した。
シシウェは、リティミとエテワの息子で、もうじき七歳になるところだったが、ペニスひもはまだしていなかった。リティミは男の子はペニスを下腹に結び上げたほうがよく育つと信じており、何度もそうさせようとした。けれどシシウェは痛いからと言って嫌がった。エテワはこだわらなかった。息子は健康で丈夫に育っている。男にとって、腰紐をつけずに人前に出るのはよくないことだと、シシウェもじきに思うようになるだろうと、彼は考えたのだ。**063**ほかのほとんどの子と同じく、疫病除けとしてシシウェも首の周りによい香りのする木の根のかけらを結んでいたし、体の模様が薄れてくれば、再びオノトで模様を描き直していた。
シシウェは怒っていたことなど忘れて、にこにこ笑いながら私の手をつかむと、すっとなめらかな動作で木登りでもするように、私の体にするすると登った。足を私の腰に巻きつけ、体を後ろに反らすと両手を空に向けて伸ばし、叫んだ。「見てよ、なんて青いんだろう。きみの目の色と一緒だ」
広場の真ん中から見上げる空は雄大で、その美しさが、木やつるや葉っぱに遮られることはなかった。村を囲む丸太の柵の向こう、シャボノの外側には、草木が濃密に生い茂り、そびえているのが見えた。木々は少しのあいだ検査で待たされているので静かにしているとでも言うかのように、時がくれば動き出すのではないかと思うほど生き生きとしていた。
子どもたちが私の腕に組みついてきて、シシウェごと私は地面に倒されてしまった。私には初め、誰がどの子どもの親なのか、さっぱり分らなかった。子どもたちはあちらの小屋からこちらの小屋へと自由に行き来し、どこでも好きなところで食べたり寝たりしていたからだ。赤ん坊は始終母親の体にくくりつけられていたので、誰の子なのかすぐ分った。昼夜を問わず、母親が何をしているかにも関係なく、赤ん坊はまったく煩わされることなく時を過ごしているように見えた。
ミラグロスがいない間どうしたものかと私は考えた。毎日数時間に渡って、仲間の言葉や習慣、考え方について彼は教えてくれ、私は熱心にそれをノートを取った。
イティコテリの人々について、誰がなんという名前なのかを知るのは実に厄介なことだった。誰かが侮辱されたときを除けば、彼らが互いに名前で呼び合うことはなかった。リティミとエテワは、シシウェとテショマの両親として呼ばれた(子どもは名前で呼ぶことが許されたが、それも思春期が訪れるまでのことである)。**064**更にややこしいことには、男でも女でも一つの家系に属するならば、互いに兄弟、姉妹と呼び合い、別の家系に属する場合は、義兄弟、義姉妹と呼ぶのだった。また、結婚が許される家系の女を妻にした男は、妻の家系の全ての女を〈妻〉と呼ぶのだが、これは性的な関係があることを意味するわけではない。
ミラグロスがしばしば言っていたことだが、慣れる必要があるのは私ばかりではなかった。イティコテリの人々も、私の奇妙な行動に大変面食らっていたのだ。彼らにとって、私は女でも男でもなく、子どもというわけでもない。私のことをどう考えればいいのか、どういう存在として扱えばいいのか、彼らにもさっぱり分らなかったのだ。
ハヤマのお婆が小屋から現れ、子どもたちに私をそっとしておくよう、甲高い声で言った。「まだお腹を空かせてるんだよ」彼女はそう言うと、私の腰に手を回し、自分の小屋の炉端へと私を招いた。
他の村との交易で得たアルミとホウロウの鍋、亀の甲羅、ひょうたん、そしていくつものかごが地面に散らばっている中、そうした品々を踏みつけたり、ぶつかったりしないよう気をつけながら、ハヤマの向かいに私は座った。ほかのイティコテリの女たちと同じように私は足を真っ直ぐ伸ばし、ハヤマのペットのオウムの頭を掻きながら、食事ができるのを待った。
「お食べ」焼いたプランテンを割ったひょうたんに載せて手渡しながら、彼女は言った。私が唇を何度も鳴らしながら、口を開けて噛む様子を、老婆は熱心に見守った。柔らかく甘いプランテンを私が十分に味わっていることに満足して、彼女は微笑んだ。
ハヤマのことはミラグロスに、アンゲリカの姉妹として紹介してもらった。彼女を見るたびに森の中で永遠の別れを告げた弱々しい老婆の面影を私は探した。ハヤマは五フィート四インチほどの身長でイティコテリの女としては背が高かった。体つきも違ったが、ハヤマには姉妹のアンゲリカが持つ心の軽やかさがなかった。ハヤマの声も物腰も厳しいので、私は落ち着かない気持ちになることも度々だった。そして重く垂れ下がった目ぶたのため、彼女の顔は奇妙に不吉なものに見えるのだった。
**065**「ミラグロスが戻るまで、お前はここにいたらいい」焼いたプランテンをもう一本くれながら、老婆は言った。
熱い果物を頬張っていたので、私はその言葉に答えないで済んだ。ミラグロスは、村の他の人々に紹介するのと同様、イティコテリの首長であり、自分の義兄弟でもあるアラスウェにも、私を紹介してくれた。しかしながら、エテワとその二人の子どもと一緒に住んでいる小屋に私のハンモックを吊るすことによって、私の面倒を誰が見るかをはっきりさせたのは、リティミだった。「白い娘はここで寝るのよ」彼女はミラグロスにそう言って、シシウェと幼いテショマのハンモックは隣のトゥテミの小屋の炉端に吊るすのだと説明した。
リティミの考えにわざわざ何か言う者はなかった。リティミが自分たちの小屋とトゥテミの小屋を行ったり来たりし、焚き火を囲んで習慣通りの三角形にハンモックを吊るし直すのを、エテワは優しいけれどからかうような笑みを浮かべながら黙って見守った。小屋の裏側の屋根を支える柱の間に作られた小さなロフトには、木の皮の箱、一揃いのかご、一丁の斧、そしてオノトや種、根を入れたひょうたんが置いてあったが、私のナップサックもそこに並べて置かれた。
リティミは、首長であるアラスウェと第一夫人の間に生まれた長女だった。彼女の母親はハヤマのお婆の娘だったがすでに亡くなっていた。リティミの自信は、自分が首長の娘であることや、エテワの第一夫人であり、お気に入りの妻であるという事実からくるだけではなく、短気ではあるものの、シャボノの皆から尊重され、好かれているということを知っていることによっても裏打ちされていた。
「もう十分」ハヤマが囲炉裏からもう一本プランテンを取ろうとするので、私は断った。「お腹いっぱいよ」彼女にお腹の膨れ具合が見えるように、私はTシャツをまくってお腹を突き出した。
「骨の周りにもっと脂肪をつけんと」そう言いながらお婆は、バナナを潰して指でこねた。「お前のおっぱいの小さいことと言ったら、子ども並みだからねえ」くすくす笑いながら、彼女は私のTシャツを更に巻き上げた。「これじゃあ、お前を欲しがる男はおらんな、骨で怪我でもせんかと恐れをなすわい」
**066** 怖がっている真似をして両目を見開き、私は潰したバナナをがつがつ食べる振りをした。「あなたの作ってくれる食事を食べていれば、よく太ってきれいになるのは間違いないわね」バナナを頬張ったまま、私は言った。
川で水浴びをしたあとの、まだ濡れたままの姿で、棘の生えたさやで髪をとかしながら、リティミが小屋に入ってきた。隣に座り、私の首に両腕を巻きつけると、私の顔中に音を響かせながらキスをくれた。私は笑いをこらえることができなかった。イティコテリの人々のキスはくすぐったいのだ。変わったキスの仕方で、頬や首に唇を当てると、音を立てて空気を吐き出しながら唇を振動させる。
「白い娘のハンモックをここに移そうとしてるんじゃないでしょうね」祖母を見ながらリティミは言った。口調は断固としたものだったが、黒い目には柔らかく問いかけるような表情が浮かんでいた。
  言い争いの原因にはなりたくなかったので、自分のハンモックをどこに吊ろうが大した違いはないのだと、私ははっきり言った。小屋には壁などないのだから、実質的に私たちは一つの住居で暮らしているのと変わりない。ハヤマの小屋はトゥテミの小屋の左にあり、私たちの小屋の右には首長アラスウェの小屋があった。アラスウェは、一番年上の妻とまだ小さい子ども三人と一緒にそこに住んでいた。彼のもう二人の妻とそれぞれの妻との間の子どもたちは、更に並びの小屋に住んでいた。
リティミはじっと私の顔に見入り、その目には懇願する様子が見えた。「ミラグロスはあなたの世話を私に任せていったのよ」彼女はそう言って、頭皮は引っ掻かないように優しく、棘の生えたさやで私の髪をとかした。
永遠とも思われる沈黙ののちに、ようやくハヤマが口を開いた。「ハンモックは今あるところに吊るしておけばいい。だが、食事はここでわしと一緒にするんだよ」
いい考えだと私は思った。エテワはすでに四人の食い扶持を確保する必要があった。一方ハヤマは、一番若い息子によく面倒を見てもらっていたのだ。椰子で葺かれた屋根から吊るされている獣の頭蓋骨とプランテンの量からして、ハヤマの息子は猟師としても百姓としても立派な腕前の持ち主に違いなかった。**067**焼いたプランテンを朝に食べる以外は、家族が集まって食事をするのは、午後遅くにもう一度あるだけだった。人々は一日中、手に入るものなら何でも口にしていた。果物や木の実、あるいはご馳走である蟻や蜂の子を焼いたものなどである。
食事についてのハヤマの提案を、リティミも気に入ったようだった。ニコニコしながら彼女は私たちの小屋へと歩いていき、私のハンモックの上に吊ってあるかごを下ろした。そのかごは彼女が私にくれたもので、彼女はその中からノートと鉛筆を取り出した。「さあ、仕事にかかるわよ」命令調で彼女は言った。

それまでの六ヶ月間ミラグロスがしてくれたのと同様に、この日からはリティミが仲間たちのことを私に教えてくれることになった。ミラグロスは毎日数時間を私が正式な授業と呼ぶものに充ててくれた。
初めのうち、彼らの言葉を覚えるのは実に大変なことだった。発音がとても鼻にかかったものである上に、人々がタバコの塊を口に入れて喋るもので、聞き取ることがとても難しかったのだ。比較文法の手法での記述も試みたが、じき諦めた。十分な言語学の知識がなかったこともあるが、彼らの言葉を学ぶのに、理論的にしようとすればするほど、かえって喋ることができなくなってしまうのに気がついたからだ。
子どもたちが一番の先生だった。色々なものを指さしてその名前を教えてくれ、とても面白がりながら、私が言葉を繰り返し言うのを助けてくれた。そして、何かを意識的に説明しようとしたりは一切しなかった。子どもたちと一緒にいると、間違いを恐れる必要などなしに、長いあいだ言葉の練習を続けることができた。ミラグロスがいなくなったあとにも、理解できないことはまだまだたくさんあったが、声の調子や顔の表情、そして手と体の雄弁な動きの意味を適切に読み取ることができるようになり、自分でも驚くほど、みんなとのコミュニケーションはスムーズなものとなった。
正式な授業時間の合間に、リティミは様々な小屋に私を連れていき、たくさんの女たちに会わせてくれた。私はどんな質問でもすることができた。**068**女たちは私の好奇心に面食らいながらも、ゲームでも楽しむかのように気さくに話をしてくれた。私に分からないことがあると、繰り返し繰り返し気長に説明をしてくれた。
ミラグロスが先例を作ってくれたお陰で私は大いに助かった。ここでは好奇心は悪いことと見なされるだけでなく、質問はされたくないという彼らの気持ちにも逆らうものでもあっだ。にも関わらず、ミラグロスはとても寛大に私が好奇心のままに振る舞うことを許してくれた。私の好奇心のことを風変わりな気まぐれと彼は呼んだが、この娘はイティコテリの言葉や習慣について知れば知るほど、それだけ早く皆とくつろいでいられるようになるのだ、と説明をしてくれたのである。
そうやって話を聞いているうちに、じき分かったのは、直接的な質問をたくさんする必要はないということだった。自分の側について何気なく説明するだけで、それに対応する相手側のことを、それも、教えてもらえるとは思いもしなかったようなことまで色々と聞かせてもらえることも、しばしばだった。
毎日暗くなる前の時間に、リティミとトゥテミに手伝ってもらいながら、昼の間に集めたデータに向かい、社会構造、文化的価値、自給技術などといった、人間の社会行動に関する普遍的なカテゴリーによって分類することを試みた。
しかし、大変残念なことに、ミラグロスが触れることをしない話題が一つだけあった。シャーマニズムである。自分のハンモックの中から治療の儀式を二回見る機会があり、細かい点に至るまで記録を取ることができた。
「アラスウェは偉大なシャポリだ」一回目の治療の儀式を見ているときにミラグロスはそう言った。
「祈りを唱えることで精霊の助けが得られるの?」ミラグロスの義兄弟であるアラスウェが、うつ伏せに寝ている子どもの体をマッサージし、吸い、こするのを見ながら私は訊ねた。
ミラグロスは怒った顔でこちらを見た。「話してはいかん事柄というものがある」彼は急に立ち上がったが、小屋を立ち去る前につけ加えて言った。「こうしたことについての質問はいかん。そんなことをすれば全くやっかいなことになるぞ」
**069** ミラグロスの言った内容には驚かなかったが、あからさまな怒りは予期しないものだった。彼がその話題について話さないと言うのは、私が女だからなのか、それともシャーマニズム自体がタブーの話題だからなのだろうか、と私は考えた。その時点では敢えて答えを探そうとは思わなかった。女であり、一人きりの白人なのだから、用心するに越したことはなかった。
多くの社会において、シャーマニズムに関わる知識や治療の実践というものは、修行者以外の者には明かされないものであることは、私も了解していた。ミラグロスがいない間、シャーマニズムという言葉こそ一度も口にしなかったが、怒りや疑いを引き起こすことなくシャーマニズムについて知るためにはどうしたらよいだろうかと、私は長い時間をかけて考えた。
シャポリが幻覚性の嗅ぎ薬であるエペナの影響下にあるとき、その体が変化をこうむると、イティコテリの人々が考えていることは、二回の儀式について取ったノートから明らかだった。つまり、シャーマンは自分の人間としての体が、超自然的体に変身しているという仮定の下に行動をしており、これによってシャーマンは森に住む精霊と交信することができるのである。私の方法論の眼目は、体を通してシャーマニズムを理解することにあった。ここでいう体とは、精神化学的法則や、自然の中の全体論的な力、環境、あるいは魂自体によって決定される対象としての体ではなく、生きて経験するものとして体、行動を通して立ち現れる、表現する統一体としての体を意味する。
私の研究も含めて、多くのシャーマニズムに関する研究は、治療についての精神療法的な面と社会的な面とに焦点を当てていた。私の方法論は、新しい説明を提供するだけでなく、疑いを引き起こすことなく治療について知ることをも可能にしてくれるだろうと私は考えた。体に関する質問だからといって、シャーマニズムに関係するとは限らない。私が実際には何を目的としているか、イティコテリの人々に気づかれることなく、少しずつ必要な情報を集めることができるに違いなかった。
**070** 自分がしている不誠実なやり方について感じる良心の痛みは、西洋以外の治療の実践を理解するためには、この研究はとても大切なものなのだと、何度も自分に言い聞かせるうちに静まっていった。風変わりな、そして多くの場合奇妙としか言いようのないシャーマニズムの風習は、別の解釈の枠組みのもとで光を当ててこそ理解可能になるものであり、一般的に、このようにして人類学の知識は深められていくのである。

「もう二日間も仕事をしてないじゃないの」ある午後、リティミが言った。「昨日の夜の踊りのことも質問してないでしょ。あれが重要なものだって分らなかったの? 私たちの歌と踊りがなかったら、狩りに出ている者たちは祭りのための獲物を持って帰ることができないのよ」彼女は私を叱りながらノートを膝に投げてよこした。「本に模様を書くことすらしてないでしょ」
「ニ、三日、休憩を取ってるの」そう言って私は、自分の持ち物のの中で一番大切なものであるかのように、そのノートを胸の前で抱きしめた。ノートのどの一ページを取ってもシャーマニズムに関するデータで一杯であることを、彼女に伝えるつもりは全くなかった。
リティミは私の両手を取り、じっくりと調べ、とても深刻そうな顔を装って言った。「両手ともすごく疲れてるようね。休ませてあげなくちゃ」
私たちは吹き出した。ノートに模様を描くことを私が仕事と考えていることに、リティミはいつも面食らっていた。彼女にとって仕事といえば、畑の草を取ること、焚き木を集めること、シャボノの屋根を直すことだったからだ。
「踊りも歌もとても素敵だった」私は言った。「あなたの歌っている声がちゃんと分ったわ。美しい声ね」
リティミは嬉しそうに笑った。「歌はとっても上手なの」その言葉には控えめな自信が率直に表され、魅力的だった。少しも自慢気ではなく、事実を述べているだけなのだ。「狩りに出ている人たちは、きっとたくさん獲物を取ってくるわ、祭りに来る人たちが食べきれないほどね」
うなづいて同意しながら、私は小枝を探し、柔らかい地面に人間の体を描き始めた。「これは白人の体」主な内臓や骨を描きながら私は言った。「イティコテリの人の体はどうなってるの?」
「そんなばかげた質問をするなんて、相当くたびれてるのね」リティミはそう言って、なんておばかさんなの、と言いたげな顔で私を見つめた。彼女は立ち上がって踊り始め、大きな声でメロディアスに歌った。「これが私の頭、これが私の腕、これが私の胸、これが私のお腹、これが私の……」
じきにリティミの奇妙な踊りに惹かれて、女たち、男たちが周りに集まってきた。甲高い声を上げ、笑いながら、互いの体について卑猥なことを言い合った。大人になりかけた少年たちの中には、笑いすぎて、自分のペニスをつかみながら、地面を転げ回る者までいた。
「私が描いたみたいに自分の体の絵を描ける人はいない?」私は聞いた。
数人がこの問いかけに応え、木のかけら、枝、折れた弓などを手に取り、地面に絵を描き始めた。彼らの描いた絵には、それぞれに明らかな違いがあった。はっきりと分かるように強調して描いてある性的な違いだけでなく、男たちの体には全て胸の中に小さな何者かの姿が描かれていたのだ。
私は自分の喜びを隠すことができなかった。これこそアラスウェが、治療の儀式を始める前に呼び出していた精霊に違いないと思ったのだ。「これは何なの?」私は何気なく聞いた。
「男の胸に住んでる森のヘクラたちさ」男の一人が言った。
「男たちはみんなシャポリなの?」
「男はみんな胸にヘクラたちが住んでるんだ」男は言った。「だけど本物のシャポリだけがヘクラたちを使うことができる。そして偉大なシャポリだけが、病気を治したり、敵のシャポリの呪文を解いたりするために、自分のヘクラたちに命令することができるのさ」私が描いた絵を見ながら、彼は訊ねた。「どうしてあんたの絵には足の中にまでヘクラスが描いてあるんだい? 女にはヘクラスはいないのに」
そこに描いてあるのは精霊ではなく、内臓と骨であることを説明すると、彼らはすぐさま自分たちの絵にもそれを描き加えた。私は知ることのできた内容にすっかり満足して、リティミが森に焚き木を集めに行くのに喜んでついていった。焚き木を集めることは、女の仕事の中でも一番大変で、一番嬉しくないものだった。囲炉裏の火を絶やすことは許されなかったから、焚き木はいくらあっても、ありすぎるということがないのだった。
**072** その晩も、私が村にやって来て以来の毎晩と同様、リティミは私の足に棘や何かのかけらが刺さっていないかを調べてくれた。そして、何もないことに満足すると、両手で私の足をこすり、きれいにしてくれた。
「シャポリがエペナを摂ったときには、体が変身することになるのかなあ?」私は言った。私の理論的仮説の独自性は、シャーマンが体に関する一つの想定のもとに行動しているということにあったので、彼ら自身の言葉でそのことを確認しておくことが重要だった。つまり、その想定がその集団の中で共有されているのかどうか、もしそうなら、それは意識的な性質のものなのか、それとも無意識的なものなのかを知る必要があったのである。
「昨日のイラマモウェを見た?」リティミは聞いた。「彼が歩くところを? 彼の足は地面に触れやしなかった。彼は力のあるシャポリよ。偉大なジャガーになっていたの」
「彼は誰の治療もしなかったね」私は重たい気持ちになって聞いた。アラスウェの兄弟であるイラマモウェが偉大なシャーマンと見なされていることに、私は幻滅していた。自分の妻を殴っているところを二度も見たことがあったからだ。
会話を続けることに興味を失くして、リティミはむこうを向くと、夕べの儀式の準備に取りかかった。彼女は小屋の裏手の小さなロフトから私の持ち物をしまってあるかごを取り出し、地面に置いた。一つ一つ品物を取り出しては頭の上にかざし、私がその名前を言うのを待った。私が名前を言うとすぐに、まずスペイン語で、続いて英語で、彼女は名前を繰り返し、そうして首長の妻たちと他に何人かの女たちが、私たちの小屋に毎夜集まっては、異国の言葉を口にするという、夜の合唱の時間が始まるのだった。
自分のハンモックでくつろいでいる私の髪を、トゥテミが指でかき分け、いるはずのないしらみを探してくれた。少なくとも今のところ、一匹もいないはずだと、私は確信していた。リティミは二十歳くらいだと思っていたが、トゥテミはそれより五、六歳若く見えた。トゥテミの方が背が高く、体重も重く、彼女のお腹は初めての妊娠で大きくなっていた。**073** 彼女は恥ずかしがりで引っ込み思案だった。黒い瞳に、寂しげな、遠くを見るような眼差しをたたえていることもしばしばで、声に出して考えごとをしているかのように、ひとり言を言っていることも時々あった。
「シラミよ、シラミ!」女たちのスペイン語と英語の謡いをさえぎって、トゥテミが大声を出した。
「見せて」冗談を言っているのだろうと思いながら私は言った。「シラミって白いの?」彼女の指の上に小さな白い虫を見ながら私は聞いた。シラミは黒っぽいものとずっと思っていたのだ。
「白い娘に白いシラミね」トゥテミはいたずらっぽく言った。そして満足気に喜びの表情を浮かべながら、その虫を一匹ずつ歯で潰しては飲み込んだ。「シラミはみんな白いのよ」

☆続きはこちらです。
[第七回]

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☆第一回〜第五回はこちらです。
[第一回] | [第二回] | [第三回] | [第四回] | [第五回]

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2017年4月11日火曜日

05 フロリンダ・ドナー「シャボノ」


フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳、第五回
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は、四百字詰め原稿用紙13枚ほどの分量です]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆第一回〜第四回はこちらです。
[第一回] | [第二回] | [第三回] | [第四回]


[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします。それでは、お楽しみください]

出会って間もない二人の先住民族とともに、はじめてアマゾンの森に足を踏み入れた若き女性文化人類学者のフロリンダが、ついに森の奥の先住民族たちと出会うことになります。

(今回で第一部終了、ここまでで全体の五分の一ほどです)

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第一部 (承前)

**052**


それからの二日間、私たちは今までよりペースを上げて、休みなく丘を登っては下り、歩き続けた。ミラグロスが押し黙ったまま影の中に消え、また姿を表すのを、私は落ち着かない気持ちで見ていた。彼が先を急ぐ様子を見ると、私の中の不確かな気持ちは強まるばかりで、布教所に連れ帰ってくれと、叫びたくなる瞬間も幾度となくあった。
雲が白から灰色、そして黒へと色を変えるにつれ、午後の時間が森を包み込んでいった。重苦しく抑えつけるように、雲は梢の上を動いていた。耳をつんざく雷鳴が静けさを破った。土砂降りの雨が降り出し、容赦なく荒れ狂って枝や葉を引き千切った。切り取った巨大な葉の下に入るようにと身振りで示しながら、ミラグロスは地面にしゃがみ込んだ。私は彼の横に座ることはせずに、ナップサックを下ろした。粉になったアンゲリカの骨の入ったひょうたんを腰から外し、Tシャツを脱いだ。痛む体を雨が、暖かく、心地よく打った。まず頭を、次に体を、シャンプーで泡だて、灰と死のにおいを体から洗い流した。ミラグロスを振り返ると、黒く汚れた顔に疲れが露わだった。その目に湛えられた悲しみの色はとても深いものだったので、そんなに急いで体を洗ってしまったことを私は後悔した。落ち着かない気持ちのまま私はTシャツを洗い始め、彼の方は見ずに訊ねた。「もう村は近いの?」布教所を出てから軽く百マイルは歩いただろうと私は確信していた。
「明日には着く」つると葉でくるんだあぶり肉の小さな包みを広げながら、ミラグロスは言った。奇妙な笑みで口の端が少し上がり、つり上がった目の周りのしわが深くなった。「つまり俺のペースで行けば、ということだがな」
雨脚は弱まり、雲は散っていった。私は深く息を吸うと、澄んで新鮮な空気で肺を満たした。雨が小降りになってからもしばらくの間、木の葉からはしずくが落ち続けた。しずくは太陽の光を反射し、ガラスの欠片のまばゆさで、きらめき輝いた。
「人が来る音がする」ミラグロスが囁いた。「じっとしていろ」
鳥のさえずりも、風にそよぐ葉の音も、私には何一つ聞こえなかった。私がそう言おうとした瞬間、小枝の折れる音がして、裸の男が私たちの目の前の小道に現れた。
男は私よりさほど背が高いわけではなかった。たぶん五フィート四インチくらいだろう。それなのに私よりずいぶん大きく感じられるのは、筋肉質の胸のせいか、それとも裸であるせいだろうかと、私は考えた。男は長い弓と何本かの矢を持っていた。顔と体には赤い線がくねくねと描かれ、両足の横を通って伸び、かかとの周りに描かれた点々で終わっていた。
男の後ろ、少し離れたところから、二人の若い裸の女が私を見つめていた。驚きに表情は凍りつき、黒い瞳は見開かれたままだった。植物の繊維の束が耳から伸びているように見えた。口の両端と下唇にはマッチほどの棒が挿してある。腰と二の腕、手首と膝の下には、赤い綿の糸の帯が巻かれていた。黒い髪は短く刈られ、頭の天辺が広くきれいに剃られているのは、一緒にいる男と同様だった。
誰もが押し黙ったままだったので、緊張に耐えかねて私は叫んだ。「ショリ・ノジェ、ショリ・ノジェ!」**054**もし森で先住民族に出くわしたら大きな声でそう挨拶しろと、アンゲリカが教えてくれていたのだ。「よき友よ、よき友よ!」という意味である。
「アイア、アイア、ショリ」男は近づきながら、そう答えた。赤い羽根が両耳を飾っている。私の小指ほどの短い篠竹が両方の耳たぶに挿してあり、二枚の羽根はそれを台にして立っていた。彼は大きな身振り手振りをしながら、ミラグロスに話しかけた。薮の中へと向かう小道を手や頭の動きで示し、繰り返し両手を頭の上へ上げては、太陽光線をつかもうとするかのように五本の指を伸ばした。
私は女たちに手招きした。二人はくすくす笑って薮の陰に隠れた。二人が背中に結わえたかごの中にバナナを見つけ、私は大きく口を開けると、両手を使って一本食べたいのだと身振りした。二人のうち年上の方が注意深く近寄ってきて、私の方は見ずにかごをほどき、バナナの房から、一番やわらかく一番黄色い一本をもぎ取った。優雅な動きで口の端の二本の形よく細長い棒を抜き取ると、皮に歯を立て、実に沿って皮を割って剥き、私の顔の前に剥いた実を差し出した。三角形をした変わった形の実で、今まで見たことのある中で一番太いバナナだった。
「おいしい」私はスペイン語でそう言うと、お腹をさすった。味は普通のバナナと特に違わなかったが、口の中に厚い膜が残った。
彼女はもう二本をくれ、更に四本目の皮を剥こうとしたので、もう食べられないことを伝えようと努力した。彼女はにこにこ笑いながらバナナの残りを地面に落とし、私の腹を両手で触った。手の皮は固かったが、長い繊細な指で、優しく、私が本当に存在するかを確かめるかのように、胸、肩、顔と恐る恐る触っていった。彼女は鼻にかかった甲高い調子で話し始め、その声はアンゲリカの声を思い出させた。私のパンティのゴムを引っ張ると、連れに見るように声をかけた。そのときになって急に私は恥ずかしく感じ、後ろに身を引こうとした。二人は大喜びで笑い声を上げながら、私に抱きついてくると、私の体の前も後ろも撫で回した。そして私の手を取ると、自分たちの顔や体を触らせた。二人は私より少し背が低かったが、体はがっちりしていた。豊かな胸、膨らんだ腹、広い尻を見ていると、自分がちっぽけに感じられた。
「彼らはイティコテリの村の者だ」私の方を向くとミラグロスは言った。「男はエテワ、女たちはその二人の妻、リティミとトゥテミだ。村の他の者たちとともに、この近くにある以前使っていた畑で何日かのキャンプをしているところだ」木の幹に立てかけておいた弓と矢に手を延ばすと、つけ加えた。「俺たちも彼らと行動をともにする」
その間に女たちは私の濡れたTシャツを見つけると、すっかりそれに魅せられて、線の描かれた顔や体をそれに擦りつけてしまった。私が何とかTシャツを取り戻し、頭からかぶったときには、すっかり伸びた上、赤いオノトのペーストの跡がつき、汚れて大きすぎる米袋をかぶっているような有り様だった。
私が灰で満たされたひょうたんをナップサックに入れて背負うと、女たちは抑えられずにくすくす笑い出した。エテワがやってきて私の隣に立った。茶色の瞳で私を見つめるとにやりと大きく笑って、その指を私の髪に走らせた。尖って形のよい鼻に、柔らかい曲線の唇をしており、その丸顔は少女を思わせた。
「俺はエテワが少し前に見つけた獏を、彼と一緒に獲ってくる」ミラグロスは言った。「お前は女たちと一緒に行ってくれ」
少しの間、信じられない思いで彼を見る以外のことができなかった。「でも……」ようやくそれだけ言ったが、何と続ければよいか分らなかった。ミラグロスが笑い出したことからして、私の様子は滑稽だったに違いない。彼のつり上がった目は、額と高い頬骨の間にほとんど埋もれてしまっていた。彼は片手を私の肩においた。真面目な顔をしようとしたが、唇にはかすかに微笑みが残ったままだった。
**056**「三人ともアンゲリカと俺の仲間だ」エテワとその二人の妻のほうを向いて彼は言った。「リティミはアンゲリカの大姪だ。アンゲリカと会ったことはないがな」
私は二人に微笑みかけた。ミラグロスの言葉が分ったかのように二人はうなずいた。
ミラグロスとエテワの笑いがつる植物の間を響き渡り、二人が川沿いの小道を、脇に生える竹の茂みへ向かって歩くに従い、その声は静まっていった。リティミが私の手を取り、茂みの中へと歩き出した。

私はリティミとトゥテミの間を歩いた。私たちは一列になって物も言わず、イティコテリの今は使われていない畑を目指した。二人の足がしっかりと地面を捉えて歩けるのは、重い荷物を背負っているからなのか、それとも膝と足先を内股にして歩くせいなのかと私は考えた。梢を通してやってくる、かすかな日射しが作る私たちの影が、長く伸び、そしてまた短くなっていった。疲れてかかとに力が入らなかった。足が思うように動かず、枝や根につまづいた。リティミが私の腰に手を回してくれたが、道が狭くかえって歩きにくかった。彼女は私の背からナップサックを取り、トゥテミのかごに入れてくれた。
私は奇妙な不安に襲われた。自分のナップサックを取り戻して、灰で満たされたひょうたんを取り出し、腰に巻きたいと思った。ある種の絆が断ち切られるような感覚を私は覚えたのだ。その時の気持ちを言葉にするよう頼まれても、そうすることはできなかっただろう。けれども、アンゲリカが私の中に植えつけた魔法の効果のうちのいくらかは、その時を境に消え去ったのだと私は感じた。
私たちが森の中の開けた場所に辿りついたのは、木々の作る地平線の向こうに日がすでに落ちたあとだった。緑の影の中に、ほとんど透明と言ってもよいほど明るい緑色をしたプランテンの葉がはっきりと見えた。かつては大きな畑だったに違いない場所の縁に、**057**三角形をした背の低い小屋がいくつか、その背を森に向け、半円形を描いて並んで建っていた。住まいは屋根があるだけで壁はなく、屋根は幅広いバナナの葉で何層かに葺いてあった。
誰かが合図でもしたかのように、口を開け、目を見開いた女と男の一群が突然現れて私たちを取り囲んだ。私はリティミの腕にすがりついた。森の中を一緒に歩いてきたことで、彼女は私たちを取り巻く見知らぬ人影とは違う存在になっていたのだ。リティミは私の腰に手を回し、私を自分の方に引き寄せた。彼女が発する早口で甲高い声のお陰で、少しの間人々の群れは距離を保っていたが、突然彼らの顔が私の顔から一インチと離れないほどに近づいた。あごからはよだれがしたたり落ち、歯茎と下唇の間に挟んだタバコの葉の塊のせいでどの顔も形が歪んで見えた。人類学者が異文化を考察するときに必要な客観性のことなど、すっかりどこかに行ってしまっていた。その瞬間、先住民族たちは醜く汚らしい人々の群れ以外の何者でもなかった。私は目を閉じたが、骨ばった手がぎこちなく頬に触れるのを感じて、次の瞬間には再び目を開けざるを得なかった。目の前に老人の顔があり、男はにやりと笑いながら叫んだ。「アイア、アイア、アイーーア・ショリ!」
その叫びが響き渡ると、誰もが大喜びで一斉に私に抱きつこうとしたが、それはほとんど私にぶつかってくるのと変わりなかった。私はTシャツを引っ張られ頭から脱がされてしまった。彼らの手、唇、舌が私の顔と全身を這い回り、煙と土のにおいがした。肌には彼らの唾がまとわりつき、すえたタバコのにおいを放った。耐え切れずに私は声を上げて泣き出してしまった。
心配そうな顔をして彼らは身を引いた。言葉は分らなかったが、声の調子で彼らが戸惑っているのがはっきり分った。
夜になってからミラグロスに聞いたところによると、リティミは人々に、森の中で私を見つけたと説明したのだそうだ。彼女は初め、私を精霊だと思い近づかなかったが、バナナを平らげるのを見て人間であることを確信したのだという。何しろあんなにがつがつとものを食べるのは、人間以外ありえないからだ。
私とミラグロスのハンモックの間に、焚き火がたかれた。焚き火は煙を出し、ぱちぱちと音を立ててはぜながら、壁のない小屋にかすかな光を投げかけた。小屋を取り巻く木々は、一かたまりの黒い闇にしか見えなかった。その赤みを帯びた光が煙と一緒になり、私の目は涙でうるんだ。人々は焚き火を囲み、肩と肩が触れ合うほど近くに座った。影のついた人々の顔はどれも同じに見えた。体に描かれた赤と黒の模様は、彼らが体を動かすたびにくねくねとよじれ、それ自身、命を持っているかのようだった。
リティミは足はまっすぐに投げ出して地面に座り、左腕は私のハンモックにもたせかけていた。揺れる明かりの中で彼女の肌は柔らかく濃い黄色に見えた。こめかみに向かって顔に描かれた模様で、アジア風の顔立ちが強調されている。口の両端、下唇、鼻梁に開けられた小さな穴が、棒を外されて、はっきりと見えた。私が見ているのに気づいて、彼女は真っ直ぐこちらを見ると、丸い顔をくしゃくしゃにして微笑みを浮かべた。短く角ばった歯は、丈夫そうで真っ白だった。
人々が静かに話す声を聞いているうちに私はうとうとし始めたが、眠りは途切れ途切れだった。ミラグロスは何を話しているんだろうと思いながら、私は眠らずに、人々の笑い声に耳を傾けていた。

(第一部・了)

☆第一回〜第四回はこちらです。
[第一回] | [第二回] | [第三回] | [第四回]

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2017年4月8日土曜日

人生はすごく苦しいけど、すごく素敵。なのに素敵が見つからないあなたへ。


お釈迦さまことゴータマ・シッダルタさんの生まれし土地、ネパール・ルンビニに滞在中、若い友人しぷとさん(仮名)とtwで楽しい会話をし、質問をいただいた。

ぼくはもう五十すぎ、しぷとさんはたぶん二十代前半、頭の回転では到底かなわないが、こちらには亀の甲より使えるとされる齢(よわい)という道具があるので、ch3ch2oh で濁り気味の頭を駆使しつつ、ちょいと答えてみようかと思う。

  *  *  *

まず、質問に至るまでの説明。

話の発端は、「人生はすごく苦しいけどすごく素敵」とぼくが書いたことで、それに対してしぷとさんは、「自分のTLには苦しんでいる人が多いのだが、どうすれば素敵が手に入るのだろうか」と疑問を投げかけてくれた。

ぼくはこのところヴィパサナ瞑想で仏教づいているから、「痛みは避けられないが、痛みを苦しみとするのは、癖・習慣の問題なので、それに気づけば『素敵』な世界が近づいてくる。けれども、苦しみに愛着がある以上、無理に苦しみを手放す必要はない」と書いた。

するとしぷとさんは、「苦しんでいる人たちは、別に苦しみに愛着はないし、『苦しみ』の方が自分たちを手放してくれないと考えているようだ」という。

ぼくは、「愛着があることに気づくのも難しいし、主客はすぐ転倒する。そしてて、気づくためには『ゆさぶり』が必要である」と述べた。

そして、しぷとさんは、「『ゆさぶり』の話は理想としては分かるが、現実にはどうしたらいいのか」と問うてくれた。

これが今回取り上げる質問です。

  *  *  *

[回答 1.]
まず初めにしぷとさんに伝えたいのは、人のことはとりあえず、放っておいたらいいよ、ということ。

人が苦しんでるのが気になるっていうのは、自分が苦しんでるからなんだよね。

この考え方は、初めは納得いかないかもしれない。

ぼくも R. D. レインの「愛のレッスン」という本で、「人のために泣くのは、自分のために泣いているんだ」という言葉を読んだときは、そこに何か真実があるのは感じたんだけど、はっきり言ってピンとこなかった。

でも、そのうち、なるほど、と思うようになった。

人を嫌いになるのは、その人に自分が持っている嫌な面を見てるからだし、この世界にうんざりするのは、自分にうんざりしてるからなんだ。

だから、人のことを気にするより前に、自分の問題と向かい合ったほうがいい。

まず自分が十分に「素敵」な人生を送ること。それができればいくらでもその「素敵」を人に分けてあげることができるようになる。

これが一番「現実的」な回答だと思います。納得はいかないかもだけど。

[回答 2.]
「気づき」も「ゆさぶり」も「現実的」な話なので、たとえばその二つに、じっくりと時間をかけて、気づきを重ね、ゆさぶりを重ねていけばいい、ということ。

以下その説明。

しぷとさんは、「痛みと苦しみのつながりに気づく」ことや、「ゆさぶり」をかけることを「理想論」というのだけれど、そこの意味がもうひとつぼくには、ピンとこなかった。

ピンとこない上で、回答にするべく言葉を重ねてみると、「痛み」を感じているのも「現実」だし、「苦しみ」を感じてるのも「現実」、だから「痛みと苦しみのつながりに気づく」のもまさに、この「現実」世界においての話で、「理想」の世界の話じゃないんだけどね?

とはいえ、その「気づき」は普段の「現実」の次元では隠れていて見えないから、「理想」世界の話に思えるのかな。

ともあれ、その「隠れて見えない」結びつきに気づくためには「ゆさぶり」が必要で、この「ゆさぶり」も「現実」世界での「ゆさぶり」なわけです。

ここでも、しぷとさんが指摘するように、「ゆさぶり」をかけても相手に「ゆさぶり」として伝わらない、ということがあって、それは「現実」の話でありながら、ふだんの「現実」からは「隠れて見えない」別次元の話ということになりましょう。

この「別次元」が、ぼくには「現実」世界として見えるけど、しぷとさんには「理想」世界に見えるってことみたいだね。

というわけで、改めて回答し直すと、「気づきもゆさぶりも理想世界の話に思えるかもしれないけれど、じっくり時間をかけて、その二つを続けていくことで、それが決して理想世界の話ではなく、現実世界の方法論であることが分かってくる」ということになります。

[回答 3.]
というような回答を二つ並べても、「いや、そうじゃなくて、今すぐ実行ができて、ぱっと結果が分かるような回答がほしいんだ」と言われるかもしれません。

ぼくもそんな回答があったら教えてほしいです。

というのはほとんど嘘で、ぼくはそういう回答はありえないと思っています。

孔子のことはよく知らないながらに、現実世界の決まりごとや、約束ごとの代表としてその名前を使わせてもらうことにすると、孔子的な「こうするべし」という規範は、あくまで便宜上のものだと思うんです。

シッダルタさんは、理想世界の人ではありますが、現実世界で修行者の集団の指導に当たりましたから、修行者集団のために何百もの決まりごとを定め、いわば孔子的な規範も作りました。

でもそれは、あくまで「修行者集団」内でのトラブルを防ぐための便宜的なものであって、それを守っているだけでは、最高に「素敵」に生きられる段階まではいけないんですよね。

もちろんトラブルが未然に防げれば、それなりに「素敵」を感じやすくなるというメリットはある。

だけれども最終的には、各人が「痛みと苦しみのつながりにリアルに気づく」ことが必要で、そのためには八正道が必要ですよ、瞑想が大事ですよ、みたいな話になるわけです。

社会生活をする上で孔子的規範は当然必要ですが、それだけでは、「素敵」を感じるための必要条件が整ったくらいのもので、現実に「素敵」を感じることができるかどうかは、個々の人間が、自分の中に「存在価値」を見いだせるかどうかにかかっていて、それは規範では得られないはずのものです。

今の若い人たちが自分の中に「存在価値」を見いだしにくくなっている事情は、ある程度ぼくにも見当はつきます。

けれども、ぼくとしぷとさんの間には大きな時代の隔たりがありますし、お会いしたことすらないままに、このような話をしているわけですから、ひょっとしてぼくの書いている話は、しぷとさんの想定している範囲から大きく逸脱しているかもしれません。

でも、それは気にせず続きを書くと、ぼく自身の経験としても自分の中に「存在価値」を見いだすことは、未だ十分にはできていませんし、物質的・情報的に「豊かさ」があふれればあふれるほど、自分という存在に固有の「価値」を見いだそうとする試みは一層むずかしいものとなるでしょう。

そのとき、「固有」の価値など実はないのだということに気づき、自分というちっぽけな存在が、そもそもこの世界の切れ端にすぎないことに気づくこと。また、エゴというものは、子どものうちは生まれて生き延びるために確かに必要だけれど、自立して生きられるようになったら、脱ぎ捨ててしまったほうがいい抜け殻にすぎないこと。そんなようなことが分かってくると、世界を深く味わうためには、孔子的規範だけでは足りないことが分かってくるし、残念なことに思えるかもしれませんが、そのように深く世界を味わうことができるのは、限られた少数の人間の特権であることも分かってくるはずです。

そのとき、シッダルタさんは、その特権を私物化せず、すべての命ある存在に還元するという、極めて社会主義的で無謀とも言えるほどの理想を、慈悲という名において周りの人々に説いたわけです。

ここに至って、しぷとさんが言うとおり、これが「理想論」であることは、はっきりしました。

そして同時に、ぼくがシッダルタさんの言葉を借りて言うとおり、これは「現実論」でもあるのです。

シッダルタさんの教えにしたがうことは、多くの人にとっては「理想論」にすぎないでしょう。そしてぼくも丸ごと従うつもりはありません。

けれども、その教えは部分的にではあっても実践可能な「現実論」であるわけで、しぷとさんがそれを実践するかどうかに関わらず、誰かが現に実践している以上、完全に「現実論」なのだ、というのがぼくの立場です。

ということで、しぷとさんが求めるような「現実論」の回答にはなりえませんでしたが、現時点でぼくが答えられるのはこんなところだと思います。

ほかにも色々と細かい論点はありますので、何か疑問があれば、また質問していただければと思います。

こんなに長文の回答はこれが最初にして最後かもしれませんが、できる範囲で言葉を交わし、楽しみながら世界を味わっていけたらと思います。

というわけで、ここまで読んでいただいたみなさん、どうもありがとうございました。

みなさんも何か質問などありましたら、コメント欄などにお気軽に書き込みください。

それでは、今日はこのへんで、ナマステジー!!

2017年4月6日木曜日

支配階層に入ること、支配・被支配関係から抜けること


今日は謎の投資家ガメさんの [ラットレースから抜け出す] という記事について書きます。

出だしは黒いですが、最終的に「ガメさん♡」になります。

*  *  *

ガメさんのこれは、嘲笑なのだろうか、黒い冗談なのだろうか、それとも、お金持ちの戯言(たわごと)なのかしら?

どうしてあんなに手放しで資本家を礼賛することができるのか、ぼくには分からないんですよね。

でもぼくは、別にガメさんが嫌いだからこんなことを書いているわけではない。

イギリス出身の覆面投資家にして、日本語堪能な天才青年(というには少し歳をくってるか)である彼の weblog や twitter はいつ見てもおもしろい。

一度一緒に酒でも飲んだら、どんなに楽しい話ができるだろうかと、わくわくするくらい、ネット上で見る彼の言葉と、その人格には惚れている。

...... と、ここまで書いたところで一休みして、Medium に記事など書いてたら、初めの問いに対する答えが分かってしまった。

ガメさんは、支配階層の人間で、日本の中の、才能ある、支配階層に入る力はあるのに、「日本的」システムの中に閉じ込められているため、支配階層に入れないでいる人に対して「きみにもできるよ」と呼びかけてるわけだ。

なれない人のことは、はなから相手にしてないし、なれると勘違いして自滅する人のこともどうでもいい。

それが「欧米」流の支配階層の価値観ってわけですか。なるほど。

「日本的」システムの中に閉じ込められている人に呼びかけたい気持ちは、ぼくも一緒なんだけど、方向がちょい違ってたんだ。

支配階層に入りたい人は入ればいい。

でも、支配・被支配の関係から抜け出すほうが、ぼくの場合、好みってことです。

もちろん投資をして「悠々」と暮らすことのできる人は、そうすればいいでしょう。

でも、多くの人はガメさんのように「悠々」とはできない。

投資をしながらも、日々の雑事に追われながら、なんとか生きていくだけになってしまわないでしょうか。

支配階層に入るのも、投資をして儲けるのもいいけど、それは手段であって、目的ではない。

日々を「悠々」と生きることこそが、目的ですよね、例えば。

そのためには本当はお金なんていらないんであって、それはインドに行って路上で暮らす行者をよく見れば分かること。

もちろん、多くの行者は「悠々」とは生きていません。

かつかつで生きているような人も多いし、銭稼ぎに一所懸命な行者もいる。

だけど中には、無一文、無一物で、「悠々」と暮らしてらっしゃる方がいます。

そして、支配階層に入ることができる人は限られていますが、行者になることは誰にでもできます。

「悠々」と暮らせるようになる人は、その中のごく一部でしょうが、支配階層についてもそれは同じこと。

だからぼくは「上に行こう」と誘うよりは、「横にそれよう」と誘いたいのです。

ガメさんがおっしゃる「視点を変えることで金鉱が見つかる」ということは、まったくその通りだと思います。

そして、そのとき、もう一段階、視点を変えることによって、「お金ではないものに金鉱を見つける」ことができたとき、人は本当の意味で「悠々」と生きることができるようになるのではないでしょうか。

そして現に、ガメさんは「お金ではないものの金鉱」を見つける才能に長けているからこそ、いつも素敵な文章を授かり、授けてくださるのだと思います。

てなわけで、ガメさん、これからもオモロイ文章、よろしくねーー。

それじゃあ、みなさん、ナマステジー!!

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2017年3月25日土曜日

安倍昭恵氏に関する記事まとめ #森友学園 #アッキード事件


アッキード事件とも呼ばれる、森友学園の問題で、マスメディア取り沙汰されている安倍昭恵氏ですが、ここに、昭恵氏および、三宅洋平氏、てんつくマン氏に関わる記事の目次を置きます。

今の日本が抱える問題を、みなさんが考える一助になったら幸いです。

✧安倍昭恵氏に関する記事の目次です✧

[洋平と昭恵をつないだ「怪人」てんつくマンとは!?]

[大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。]

[洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために]

[「洋平・昭恵会食」再々考、ネット「世論」をどう読むか]

[「天然系・総理の密使」安倍昭恵氏が沖縄高江のヘリパッド建設反対運動テントを訪問]

[「大物」か「あほう」か、三宅洋平、安倍昭恵と高江に同行]

[昭恵氏の高江訪問について三宅洋平氏に今伝えたいこと 2016年8月9日]

[三宅洋平は「許可」を得て安倍昭恵を高江に案内したのか]

[三宅洋平は権力にすり寄る節操なしではない]


2017年3月24日金曜日

そしてぼくはネパールに行った - 意識のメタモルフォーゼ 01


ぷちウェブ作家のとし兵衛です。

お釈迦さまの生誕地ルンビニの、安宿のベッドに寝そべりながらこれを書いてます。

こちらは、ネパール時間で午後五時半(日本より三時間十五分遅れなので、日本はとっくに夜ですね)、まだ外は明るいです。

五十二歳にして定職を持たないぼくは、いま奥さんと二人、アジアをゆらゆらと漂っているのですが、しばらく前から奥さんはヴィパッサナ瞑想の十日間コースに行っているので、今は気楽な一人暮らしです。

それをよいことに昼間からビールを飲んで、心地良くも気怠い日々を過ごしています。

さて、今回のシリーズでは、そんなぼくの最近の日々に置きつつある、「風変わりな変化」について書きたいと思うのです。

その変化というのは、「意識のメタモルフォーゼ」とでも呼ぶべきもので、ある種の昆虫が、幼虫から、蛹(さなぎ)になり、成虫になるように、個体自体は保たれながらも、劇的な変身を遂げたことが感じられるような不思議な体験なのです。

そんなふうに書くと、オカルトめいた説明に思われるかもしれませんが、これは変性意識状態として知られるものが、一段階上に上がるようなことであって、現代の脳科学の範囲内においても、十分説明しうるものだろうと、仮説を立てています。

この劇的といってもいい変化が起こり始めたのは、この十日間ほどのことなのですが、これがどうして今起こったのかということを説明するには、ぼくが今までどんな人生を送ってきたのかを知ってもらう必要があります。

というのは、この変化は、ぼくという「一人の人間の中で起こった」話ではなく、「周りの人や物との相互作用を通して起こった」ものだと考えるからです。

そこで、まずはぼくの高校・大学時代から話を始めたいと思います。

  *  *  *

ぼくは、高校生の頃から心理学に興味を持ち始めたのですが、高校の友だちの影響で、大学ではコンピュータのソフトウェアの勉強をしました。

心理学に興味を持ったのは兄の影響で、兄は実際、大学で心理学を学びました。

けれどもその兄を見ていて、心理学では大学を出たあとに大変そうだなと打算的に考えて、もう一つの興味の対象のコンピュータを学ぶことにしたのです。

こまかい話をすれば、ぼくが大学でコンピュータを学ぶことになったのには、ある日たまたま旧友にばったり会ったこととか、ほかにもいろいろな偶然ともいっていいエピソードがいくつも関係しているのですが、とりあえずは、「この兄の影響は捨てて、友だちの影響を取った」という形での、
「周りのいろいろな物事の影響をすぐ受けるが、その中で自分でやりたいものを取る」
というやり方が、ぼくの場合の人生を形作る、典型的なパタンとしてあるわけです。

ちなみにぼくが大学生だったのは、1980年代の半ば、日本社会が戦後最後の好景気に浮かれていた頃の話です
同じ大学の別の友だちが先輩と共にソフトの会社を起こしたので、学生時代はそこでバイトをしてずいぶん勉強させてもらいました。

ぼくが大学四年のとき、その友だちが、その会社に就職しないかと誘ってくれたのですが、あいにく会社のやっていることはぼくの興味の範囲内になかったので、断ってしまいました。

ここでも、友だちの影響でプログラムのバイトをし、けれども就職の誘いは自分の判断で捨てる、という、大学の選択と似たパタンが現れます。

友だちの誘いを断ったぼくは、その代わりにこう考えました。

自分は高校のときから会社員になるつもりはなかったし、今も会社員として人生を送るつもりはない。

けれども、大学を卒業するというこの機会を逃したら、ぼくには日本の会社勤めを経験する機会はないだろう。

せっかくだから、就職してみよう。
二、三年でやめるつもりで。

会社での経験については、今はくわしく書きませんが、大手の精密機器メーカーでファームウェアの技術者として働いてみて、とにかく分かったのは、自分は日本の会社的環境にはとことん馴染めないということです。

そして、当初の目論見よりはやや早く、二年足らずでその会社はやめました。

これも、こまかいことは書きませんが、ある種の偶然的な会社内での経験をきっかけに突発的にやめようと思い立ったもので、「やめる」ということ自体は自分で決めているのですが、ある種の偶然の影響に対しての反応ということでは、典型的なパタンということができると思います。

「このときぼくは将来どうしよう」というようなことは、一切考えませんでした。「長いスパンでものを見て人生を設計する」といったスタイルとは無縁の人間なのです。

余計なことはあまり考えず、周りの影響を素直に受け、自分の直感に従って行動する。そうしたパタンがぼくの今を形作ってきたわけです。

  *  *  *

会社をやめることにしたぼくは、せっかくだからこの機会に海外に旅をしようと思いつきました。

そしてある日曜、自宅の近所の、普段はあまり行かない本屋でガイドブックの棚に行き、ぱっと目に入ってきた一冊のガイドブックを手に取りました。

「地球の歩き方」のネパール編です。

ふーん、ネパールは二月、三月は旅行に適した時期なんだ。じゃあ、ちょっと行ってみようかな。

そうして、ぼくは、初めての海外旅行の行き先としてネパールに向かうことになったのです。

(続く)

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[[本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」]

[あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?]

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2017年2月21日火曜日

偶然と奇跡の物語、「あーす・じぷしー」って実話なの?


今日は[「あーすじぷしー」]という本の紹介を兼ねて、この話は「ほんとに実話なのか」ということについて、書いてみようと思います。

「あーすじぷしー」は大分出身の若い女の子まほが、一般社会の普通の枠組みの中で生きることに違和感を感じて、自由でワクワクする人生を送り始めるまでの実話の物語です。

専門学校を卒業して憧れの会社に就職して服飾デザイナーになったのに、なぜか充実感を感じられないまほは、一年足らずでやめ、東京の専門学校に入り直します。

そうして一人暮らしを始めた東京で、偶然が導く人や出来事の連続の結果、「デザイナーになる」という過去の夢を捨て、彼女はペルーへと導かれます。

そして、ペルーで体験する「聖なる真実アヤワスカ」のビジョンこそが、この物語の圧巻なのですが、その辺りについては、次の記事にもう少しくわしく書いていますので、ご覧ください。

[[本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」]

  *  *  *

さて、この本の話を読んで、
「これ、ほんとに実話なの?」
と思う方は少なくないように思います。

なにしろ、東京に出てから、彼女がペルーに導かれていく道行きというものが、普通にはありえないような偶然の連続に満ちているからです。

就職の内定を辞退し、東京で出会った友だちの影響から、海外に旅すること決めた彼女の中には、海外旅行に対する具体的なビジョンはありません。

どこに行こうかと考えあぐねている彼女に、友だちのすすめてくれた一冊の本が答えをもたらします。シャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」という本です。この本でシャーリーは、ペルーでの神秘体験について書いており、それがシャーリーの人生の大きな転換点になるのですが、そのあまりの不思議な記述に、まほは「これは本当の話なんだろうか?」と思います。

そのことに加え、シャーリーの誕生日がまほと同じであることが「大きな前兆」となり、まほはペルーに行くことを決心するのです。

そして、ペルーがどこにあるかもよく分からないまま、借金をまでしてペルー行きの航空券を買ってしまいます。

旅の準備も整わないでいる彼女に、次の偶然がやってきます。専門学校の友だちの、お母さんの友だちのまきさんという人がペルーに行ったことがあるという情報です。

けれども、出発まであとひと月というのに、まほは旅費を稼ぐアルバイトに精一杯で、まきさんに十分連絡を取る余裕もありません。

すると、まきさんが東京に来ることになり、会って直接ペルーの話を聞くことができたのです。そして、まほのペルーでの体験についてのキーパーソンとなる、日本語堪能なリョニーさんを紹介してもらいます。

そして、さらに出発の一週間前、次なる奇跡が起こります。

いまだアルバイトで手一杯で、旅の準備ができないままでいるまほに、旅から帰ったばかりのバイト先の先輩スタッフが、買えば十万円はするのではないかという旅道具を一式そのまま貸してくれたのです。

こんなのって普通ありえないですよね(笑)。

こんなふうに、偶然の導きだけで物語は進んでいきますし、しかもその一つ一つの出会いが、さわやかであったり、感動的なものであったり、あるいは深く重いものであったりするのですから、「アウト・オン・ア・リム」を読んだまほが「これは本当の話なんだろうか?」と思ったのと同様、この「あーすじぷしー」というお話を読んでいるわたしたちも「これって実話?」という思いがどうしても湧いてきます。

けれども、さまざまな出会いと、それに対するまほの、積極的に受け入れていこうとする勇気も、とまどって足踏みをする弱さも、等身大の飾らない表現と思えますし、出会いを糧として自分に向き合い、自分の弱さを克服していく姿勢は、自分の心の深い部分までもさらけ出す勇気ある記述です。

そうした部分について、特に作り話の空気を感じることはありませんでした。

そして、まほは、ぼくたち「一般の人」とは「違う星の下」に生まれた人なんだろうな、というようなことも考えます。

この本を読んでそれを「前兆」と捉え、ペルーに行き、やみくもに聖なる真実の体験をしたからといって、まほのような「変容体験」は期待できません。

お金持ちやスポーツ選手の人生というものも、ある種の奇跡に満ちているものです。けれども、そうした成功者の人生についての本を読んで、そのとおり真似をしたからといって、自分も成功者になれるかというと、そう簡単にいくものではないのと一緒です。

もちろん、この本をきっかけに、自分なりの準備をし、十分な決心をして臨めば、「聖なる真実」はあなたの人生にとって重要な体験となりえます。

逆に言えば、十分な準備ができずに行きあたりばったりで「聖なる真実」を体験しても、頭痛や吐き気、そして見たくもない不愉快なビジョンを得るだけで終わり、ということも考えられるのです。

まほは、自分から積極的に「聖なる真実」との出会いを求めたわけではありません。

東京に行ってからの新しい出会い、そして出会った人からの助言によってお母さんとの和解を経験し、そうした数々の前兆とそこからの気づきの連鎖が、ペルーに行ってからも、さまざまな偶然を呼び寄せ、彼女を「聖なる真実」へと導くのです。

まほの中に眠っていた「目覚め」への欲求が、世界の流れと呼応して、彼女の「変容体験」という奇跡を呼んだのです。

まほは、ほんとに「特別な星の下」に生まれた人なのだなあと、深く思います。

  * *  *

この本は一冊の物語ですから、いくらかの脚色はあるかもしれませんし、思い違いによる事実との相違もありえます。

けれども大筋としての事実性を疑う必要はなさそうです。

そして、仮にこれが完全なフィクションだとしたら...... 。

それこそ、まさに驚くべきことで、これだけのものをフィクションで書けるということは、まったく稀有な才能というしかありません。

[こちらのページ]を見ますと、単行本は15,000部に達し、韓国語版の出版も決まったとのことで、この日本発のスピリチュアル・ストーリーが、広範な読者を獲得し、末永く読み継がれていくだろうことを予感させます。

新しい才能の誕生を目撃する幸せを感じながら、今日はこの辺りでタブレットを置きます。

それでは、みなさん、またー。

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2017年2月16日木曜日

[本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」


Naho & Maho「あーす・じぷしー」 [Kindle版] [単行本]

この本は、「あーす・じぷしー」という名前で、世界中、気ままに旅をしながら、自由な人生を生きる実験をしている双子の姉妹、なほとまほの自伝的な物語です。

双子の物語ではありますが、実際には妹のまほが語り手であり、主人公です。まほの「そぱ」には、姉のなほがいつも寄りそいたたずんでいます。

なほとまほは双子であるがゆえに、子どもの頃には互いにテレパシー的な感覚があって、永遠あいこができました。

二人でじゃんけんをして、片方は出す役、片方は読む役。そうするといつまでもあいこを続けられたのです。

また、まほは、幽霊やお化けもよく見ていて、亡くなったおじいちゃんにも会ったことがあるような、霊感の強い人です。

そして、彼女は共感覚の持ち主であり、音や人、場所に色がついて見えていました。色とりどりの楽しい毎日を生きていたのです。

ところが大人になるにつれ、そんな感覚も消えていきます。お金のこと、就職のこと、仕事のこと、人間関係のこと、そうしたことで頭がいっぱいになるにつれて、子どもの頃の「楽しい感覚」を大事にできなくなってしまったのです。

大分出身のまほは、デザイナーになるという子どもの頃からの夢をかなえるために、専門学校に行き、大阪で就職します。けれども、憧れのブランドの会社に入ったのに、なぜか充実感はなく、一年足らずでやめてしまいます。

そして、実家に帰り、寝る時間も惜しんで働き、お金を貯め、東京の難しい洋服の学校に入り直します。そうすることで、デザイナーとしての新しい道が開けるはずだと思ったのです。

  *  *  *

さて、東京では何がまほを待ち受けていたのでしょうか。

それは、さまざまな、人や出来事との出会いです。

道端で運命的に出会った、同じ九州出身の若者二人。二人は、日本の枠にしばられず、この世界を自由に生きています。

また、まほは 2011 年 3 月 11 日の大地震を、アルバイト先の新宿の電器屋で経験します。

まほの心は、この地震に大きく揺さぶられ、せっかく決まった内定も辞退してしまいます。デザイナーになる、という「夢」を捨てたのです。3.11 から半年ほど経った頃のことです。

そして、まほは、「ワクワクして生きなさい」という言葉を胸に、行き先の見えない、不思議な旅を始めることになるのです。

  *  *  *

パウロ・コエーリョの「アルケミスト」シャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」、ブログで知った青年との出会い、その青年からのつながりで知った作家からのアドバイスなど、たくさんの「前兆」がまほを旅へと導いて行きます。

そして、無謀とも言えるような、直感にだけしたがった旅は、彼女をペルーにまで呼び寄せ、シャーマンの儀式へと立ち会わせることになります。

ペルーの小さな村の、さらに人里離れた小さな家で、聖なる真実アヤワスカが彼女に見せるビジョンは圧巻です。

すべての空想が現実になり、あまたの時代の様々な人生を、彼女は自分のものとして経験します。

自分が双子の姉とともにこの世に生まれる瞬間を、強烈な喜びを感じながら再体験します。

そして、そうした「光」の面からさらに進み、世界の「影」の面、自分の感覚が当てにならない、どこにも確かなものがない、一人ぼっちの孤独な宇宙をも見せつけられます。

「もう元には戻れない」という恐怖を味わい尽くしたあとで、ようやく彼女は、「戻る」のではなく「選ぶ」ことによって、この世界に戻ってきます。

粉々に砕けてしまい、形を失ってしまった世界が、そして秩序が、再生するのです。

こうした断片的な記述では、彼女の体験を十分には伝えられませんので、そうした神秘体験や、変性意識について興味のある方は、ぜひ「あーす・じぷしー」という本を手にとって読んでほしいと思います。

この本は、ハクスリーの「知覚の扉」カスタネダのドンファン・シリーズと並べてもおかしくないほどの、日本発かつ日本初の本格的なサイケデリック文学といってよいでしょう。
(ほかに日本産のサイケデリック文学をご存じの方があれば、ぜひご教示ください)

Naho & Maho「あーす・じぷしー」 [Kindle版] [単行本]

なお、聖なる真実アヤワスカの場面は、「あーす・じぷしー」の書籍でしか読めませんが、まほがペルーに至るまでの物語は、ネット上でもほぼ同一の内容が公開されています。

[あーすじぷしー第1話]

以上、不思議な双子の姉妹、「あーすじぷしー」の物語のご紹介でした。

では、また。

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