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2017年7月26日水曜日

10 フロリンダ・ドナー「シャボノ」 -- アマゾンの奥地・ヤノマミ族の暮らし


ここに翻訳を掲載している「シャボノ」は、アメリカのカリフォルニア大学ロスアンゼルス校で文化人類学を専攻した女性作家フロリンダ・ドナーが、アマゾン奥地の先住民族ヤノマミの暮らしを描いたノンフィクションです。

ドナーは、メキシコの呪術師の世界を描いた「ドン・ファン・シリーズ」で知られるカルロス・カスタネダの呪術師仲間でもあり、この「シャボノ」に
おいても、幻覚性の物質による変性意識体験や、シャーマニズムの奥深い世界観が興味深く語られます。

また、ヤノマミの人々は、NHKの番組から劇場公開された「ヤノマミ~奥アマゾン-原初の森に生きる~-劇場版」でも描かれるように、嬰児殺しの風習をもつことで知られます。

第10回目の今回は、死期の迫った老人と、生まれてすぐに間引かれてしまう赤ん坊という二つの対照的な場面が描かれます。

NHKの番組では、劇的に描かれる「嬰児殺し」の風習ですが、ドナーは淡々と、けれども心動かされる筆致でそのエピソードを書いています。

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フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳、第10回
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は、四百字詰め原稿用紙20枚ほどの分量です]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆第1回〜第9回はこちらです。
[第1回] | [第2回] | [第3回] | [第4回] | [第5回] | [第6回] | [第7回] | [第8回] | [第9回]

[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします]

それでは、どうぞお楽しみください。

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第3部

**118**
第10章

優しい雨だれの音と、男たちが小屋の外で唱いをする声で、私は昼寝から目が覚めた。影は長くなり始め、屋根から吊ってある椰子の葉を風が揺らしている。かすかな音と何者かの存在感が、小屋を瞬く間に満たした。焚き火に薪がくべられでて、じきに何もかもが、煙と湿気、食べ物と濡れた犬のにおいを帯びた。小屋の外の男たちは、仮面のような顔や背中に落ちる雨粒など気にもせず、謡いを続けている。エペナを摂って潤んだ男たちの瞳は、遠くの雲に釘付けになり、森の精霊たちに向かって見開かれていた。
私は雨の中、川へと歩いた。川岸に沿って生える背の高い草の葉の影にひそむ小さな蛙たちが、パンヤノキの葉を叩く大きな雨粒に驚いて跳び出してきた。私は水辺に腰を下ろした。時間が過ぎるのも忘れて、雨粒の作る同心円が川面に拡がる様子や、どこかよその世界に置き去りにされた夢から紛れ込んできたようなピンクの花が、水面を漂い、流れ去ってていくのを眺めた。空が暗くなり、雲の輪郭がぼやけて大きな一つのかたまりになった。木々も一本一本の境をなくし、葉の形も夕方の空に溶けて見えなくなってしまった。
**119** 後ろから泣き声のような音が聞こえたので振り返ったが、葉の上で雨粒がちらりと光るのが見えるだけだった。説明のつかない不安に駆られて、私はシャボノへ戻る道を急いだ。夜になると何もかもが不確かに思えた。川も森も、私にはその存在が感じられるだけで、決して理解することのできない何ものかなのだった。私はぬかるんだ道で足を滑らせ、ねじ曲がった木の根に足の親指をぶつけてしまった。再び、小さな泣くような音が聞こえた。イラマモウェの猟犬が苦しげに鳴いたときの声を思い出した。犬は、狩りの最中、間の悪いときに吠えたためにイラマモウェの怒りを買い、毒矢で射られたのだった。傷ついたその犬は居住地に戻ってくると、木の柵の外に身を潜めて、何時間ものあいだ苦しみの声を上げ続けた。アラスウェがもう一本の矢を打ち、その苦しみを終わりにしてやった。
私は静かに呼びかけた。声は止み、続いて苦しそうな呻き声がはっきりと聞こえた。森に精霊がいるというのは本当かもしれない。私は真っ直ぐ立ち上がりながら、そう思った。人と獣を分ける微妙な境界線を超える存在がいるのだと、イティコテリの人たちは言う。そうした存在が夜、先住民族たちに呼びかけ、死の罠へと誘うと言うのだ。叫び声が出そうになるのを、私はこらえた。暗闇の中に突然何かが現れたように見えたのだ。私が立っているところから、ほんの一歩と離れていない木々の間に、何ものかが潜んでおり、その影が動いた。私は再び座り、身を隠した。微かな息の音がした。それはどちらかと言うと囁き声のようで、咳き込み、むせるような音もした。血生臭い襲撃の、復讐の物語が頭のなかを駆け巡った。男たちが夜になると好んでする話題だ。アンゲリカの兄である老シャーマン、プリワリウェの、敵の襲撃のさなかに殺されたと思われたのに、実際には死ぬことがなかったというその話を、私は特に思い出していた。
「彼は腹を、死が潜む場所を、射られた」ある晩アラスウェが話してくれたのだ。「しかし、自分のハンモックに横たわることもせず、広場の真ん中に立ち続けた。自分の弓矢を支えにしてな。よろめきはしたが、倒れなかった。
「プリワリウェ老が精霊に向かって唱いを始めると、襲撃者たちは自分たちが立つ場所に釘付けになって、次の矢を射ることができなかった。**120**死が横たわる場所に矢が刺さったまま、彼は森に姿を隠した。何日も何晩も彼は戻ることがなかった。食べるものも飲むものもなしに、森の闇の中で彼は過ごした。獣と木々のヘクラたちに祈りの唱いを捧げた。ヘクラたちは昼の明るい光のもとでは無害だが、夜の影の中では、それを操ることのできない者にとっては、恐るべき存在になる。歳経たシャポリであるプリワリウェは、その身を隠した場所から敵をおびき寄せた。そして一人ひとり魔術の矢で射殺したのだ」
また呻き声が聞こえ、続いてむせる音がした。下生えの中、棘が刺さらないようによく気をつけながら、私は這っていった。誰かの手に触れて、私は恐怖に息が詰まった。その指は折れた弓を握り締めている。顔の傷に触れて初めて、横たわっているのがカモシウェであることが分った。「おじいさん」死んでいるのではないかと心配しながら、私は呼びかけた。
老人は寝返りを打って横向きになると、暖かさと居心地の良さを自然に求める子どものように、両足を曲げて体のほうに引き寄せた。救いを求めるような眼差しを私に向け、落ちくぼんだ、片方だけの目の焦点を合わせようとしている。どこかとても遠い、別の世界から戻ってこようとしているかのようだった。折れた弓に体を預け、何とか立ち上がろうとして、私の腕にぱっとつかまったが、次の瞬間には奇妙な呻き声を上げて、地面に倒れた。私には彼を支えて立たせるだけの力はなかった。体を揺すってみたが、彼はじっと横たわったままだった。
まだ生きているのを確かめるために鼓動を探った。カモシウェは一つだけの目を開けた。言葉にはならない願いが、その眼差しに込められているように思えた。開かれた瞳孔は光を写すことがなく、深く暗い洞窟のようで、私は体から力を吸い取られるような気がした。間違ったことを言わないように、私はスペイン語で、優しく、子どもに話すように、彼に話しかけた。彼がその強力な目を閉じて眠りに落ちてくれたらいいのにと、私は願った。
両脇を抱えて体を持ち上げ、私はシャボノへと彼を引きずった。皮と骨だけのような体なのに、一トンもあるかのように感じた。二、三分もすると、休まざるを得ず、まだ息はあるだろうかと心配に思いながら、私は座った。彼の唇が震え、タバコの塊が吐き出された。**121**黒っぽい唾が私の足にしたたった。両方の目に涙が溢れている。私はタバコの塊を口に戻してやったが、彼は拒んだ。彼の両手を取り、少しでも温めてあげようと、自分の体にこすりつけた。彼は何かを言おうとしたが、理解のできないつぶやきが聞こえるだけだった。
シャボノの入口に近い、カモシウェ老人の小屋の隣で寝ている少年の一人が、老人を抱えてハンモックに寝かせるのを、手伝ってくれた。「焚き火に薪をくべて」驚きに目を見張っている少年たちに私は言った。「それからアラスウェかエテワか、誰かおじいさんを助けられる人を呼んできて」
カモシウェは息を楽にしようと口を開いた。小さな焚き火の揺らめく光で、老人の顔の幽霊のような青白さが強調された。彼は顔を歪めてなんとか笑顔を作った。その痛々しい笑顔を見て、自分がしたことは正しかったのだと確信が持てた。小屋は人々で一杯になった。誰の目にも涙が光っている。悲しげなすすり泣きがシャボノ中に拡がった。
「死は夜の暗闇のようなものではない」ようやく聞き取れるほどの声で、カモシウェが言った。束の間、ハンモックの周りに集まる人々の悲しみの声が止み、彼の言葉は沈黙の中に落ちていった。
「我々を置いて逝かないでください」男たちはそう嘆き、大きな泣き声を上げた。男たちは、老人の勇敢さについて語り、彼が敵を殺したときのこと、彼の子どもたちのこと、彼がイティコテリの首長だった日々のこと、彼が村にもたらした繁栄と栄光について語った。
「わしはまだ死なん」老人の言葉に、男たちは再び静まった。「お前たちの泣き声を聞くと悲しくてかなわん」彼は片方だけの目を開き、取り巻く顔を見回した。「わしの胸にはまだヘクラたちがいる。彼らに唱うんだ。彼らこそがわしを生かしておるんだからな」
アラスウェ、イラマモウェと、他に四人の男が、互いの鼻腔にエペナを吹き入れた。焦点の定まらない目をして、彼らは天界と地界に住む精霊たちに向けて唱いを始めた。
「何が苦しみをもたらしているのでしょうか」しばらくしてアラスウェが、体を老人に向けてかがめながら、訊ねた。**122**アラスウェは力強い手で老人の弱々しく干からびた胸をマッサージした。そして老人の動かぬ体に、暖かい息を吹きかけた。
「悲しいだけだ」カモシウェは呟いた。「ヘクラたちはじきにわしの胸から去る。悲しみのせいでわしは弱っておるのだ」
私はリティミと一緒に自分の小屋に戻った。「彼はまだ死なないわ」顔の涙を拭いながら、リティミは言った。「どうしてあんなにも長く生きたいと思うのかしら。あんなに年を取って、もう人間とは言えないほどなのに」
「人間じゃないって、どういうこと?」
「彼の顔」彼女は言った。「あんなに小さくなって、やせこけちゃって……」何と言えばいいか分からないというような顔で、リティミは私のことを見た。どう言葉にすればいいか分らないその思いを、つかもうとでもするかのように、彼女は曖昧に手を振った。そして肩をすくめると、微笑みながら言った。「男たちは夜通し唱いを続けるわ。そうすればヘクラたちが老人を生かしておいてくれる」
降り続く暖かい雨の単調な滴の音が、男たちの唱いと混ざり合った。ハンモックの中で体を起こしてみるたびに、男たちが広場の向こうの、カモシウェの小屋の中で、囲炉裏の火の前にしゃがみ込んでいる姿が見えた。自分たちの祈りでその命が守られることを確信している彼らは、他のイティコテリたちが眠っている間も、力強く唱いを続けた。
薔薇色を帯びた物憂げな暁の訪れとともに、声は静まっていった。私は起き上がると広場を横切って歩いた。空気は冷たく、地面は雨でしっとりと濡れている。囲炉裏に火は見えなかったが、小屋はしめった煙で暖かかった。男たちはまだカモシウェの周りに集まってしゃがみ込んでいる。顔は疲れ果て、目の周りには深い隈ができていた。
ハンモックに戻ると、リティミが起き上がって焚き火の熾きを起こしているところだった。「カモシウェは大丈夫みたい」それだけ言って、私は眠りについた。

**123** 茂みの陰から立ち上がると、アラスウェの一番若い妻とその母親が川の方へ向かって、ゆっくりと薮の中を歩いていくのが見えた。私はそっと二人のあとを追った。二人ともかごは持っておらず、鋭く研がれた一片の竹を手にしているだけだった。身重の若い妻は、腹の重さを支えるかのように両手を腹に添えていた。二人はアラプリの木の下で立ち止まった。下生えは刈られ、プラタニージョの大きな葉が地面一面に敷き詰められている。女は葉の上にひざまずくと腹を両手で押した。軽いうめきを口からもらすと、女は子どもを産んだ。
私は笑い声をもらさないように口を手でおおった。こんなに簡単に、こんなに素早く、子どもを産むことができるとは、私には想像もつかないことだった。二人の女はひそひそと言葉を交わしたが、葉の上で濡れて光る赤ん坊に目をやることも、拾い上げることもしなかった。
老婆は竹のナイフでへその緒を切ると、何かを探して辺りを見回した。そして真っ直ぐな枝を見つけると、それを赤ん坊の首にかかるように置いた。老婆はその両端を足で踏んだ。何かが折れる小さな音がした。その音を立てたのが赤ん坊の首だったのか、折れた木の枝だったのか、私には分らなかった。
二人は後産を何枚かのプラタニージョの葉でくるみ、命の絶えた小さな体はもう一つ別の包みとしてくるんだ。そして、二つの包みをつるで一つにしばると、木の根元に置いた。
女たちが立ち上がり、その場を去ろうとしたので、私は茂みの陰に隠れようとした。けれど足が言うことを聞いてくれない。奇怪な悪夢を目の当たりにしているかのようで、あらゆる感情が自分の中から流れ出していく気がした。女たちは私を見た。二人の顔には驚きの表情がかすかに浮かんだが、後悔からくる痛みのかけらも、二人の目には見当たらなかった。
二人が立ち去るとすぐに、私はつるを解いた。葉の上に横たわる赤ん坊は女の子で、すでにこと切れていたが、まるで眠っているかのように見えた。**124**絹のような長い黒髪が濡れた頭に張り付いている。閉ざされた目は、まつ毛のない腫れたまぶたで覆われていた。蒼ざめて紫色がかった肌の上には、鼻と口から流れた血が乾いて跡を残し、不吉なオノトの模様を思わせた。私は赤ん坊の小さな握りこぶしを開いてみた。足の指の数も確かめたが、目に見える異常はなかった。
遅い午後の時間は、それ自体の持つ緩やかさで流れていった。裸足で歩く私の足元で、落ち葉はかさりとも音を立てない。夜のうちに湿ってしまうのだ。セイバの樹の葉が生い茂る枝を、風が分けた。幾千もの無関心な目が、緑のベール越しに私を見つめているような気がした。私は川まで歩いて下りると、倒木に腰を下ろした。その木はまだ枯れておらず、何本もの若い枝が光を求めて精一杯に伸び出している。私はその枝にそっと手で触れた。こおろぎの鳴き声が、私の涙をからかっている気がした。
煙の匂いが小屋から漂ってくる。時間も出来事も呑み込み、昼も夜も燃え続けるいくつもの焚き火に、私は苛立ちを覚えた。月は黒い雲に隠れ、川は嘆きのベールに覆われた。獣たちの立てる音が聞こえる。昼の眠りから目覚め、夜の森をうろつく獣たちだ。別に怖くはなかった。ただ早く眠りについて、目が覚めたら全てが夢だったと分ればいいのにと私は思った。
雲の切れ間に星がひとつ流れるのを見て、私は思わず微笑んだ。いつもなら素早く願いをかけるところだが、そのときは何も考えることができなかった。
リティミが私の首に腕を回すのを感じた。森の精霊のように音もなく、彼女は私の隣に腰を下ろした。口の両端に刺した白っぽい木の飾りが、闇のなかで黄金のようにきらめいた。彼女が何も言わずにそばにいてくれることが、私にはとてもありがたかった。
月を覆っていた雲を風が追い払い、私たちは青い光にうっすらと包まれた。カモシウェ老人が倒木の傍らにしゃがみ込み、一つだけの目で私をじっと見ていることに、その時はじめて気がついた。彼はゆっくりと一つ一つの言葉をはっきりと区切りながら話し始めたが、私はその言葉を聞いていなかった。老人は弓にすっかり体重を預けながら、シャボノまで自分について来いと身振りで示した。彼は自分の小屋の前で足を止めた。リティミと私は自分たちの小屋まで歩いていった。
**125**「たった一週間前のことじゃない、女も男も涙を流してたわ」私は自分のハンモックに腰を下ろすと言った。「カモシウェが死んじゃうと思って皆泣いてた。なのに今日、アラスウェの奥さんは産んだばかりの赤ちゃんを殺したのよ」
リティミは私に水をくれた。「まだお乳を欲しがる子どもがいるお母さんが、新しい赤ちゃんにお乳を上げられるかしら?」彼女はきっぱりと言った。「今まで元気に育ってきた子どもがいるっていうのに」
頭ではリティミの言うことは分った。アマゾンの先住民族の間で間引きが普通に行われていることは知っていた。子どもをもうける間隔として二年か三年の間を置くのが普通で、その間母親は子どもに母乳を与える。十分な量の母乳を子どもに与えるために、その間は新しい子どもをもうけないのだ。この期間に奇形の子や女の子が生まれた場合は、その子は殺されることになる。授乳期間中の子どもが生き延びる可能性を増やすためである。
しかし、気持ちの上では私はそうした事実を受け入れることができなかった。リティミは私の顔に手を添えて自分の方を向かせた。彼女は気持ちの高ぶりに目を潤ませ、唇を震わせた。「まだ空を見る前の赤ちゃんは、自分がやってきた場所に帰らなくちゃならないの」私たちの足元から始まり、空まで至る大きな黒い影を、彼女は腕を伸ばして指し示しながら言った。「雷の住むところへとね」

[続く]

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☆第1回〜第9回はこちらです。
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